災血一番隊長・恋王子ククル──最強な彼は、未亡人に甘えたくて今日もわざと怪我をする


「隊長どの、待ってください!」

 背後から駆け寄る足音と、息を切らした声。副官のチサキだ。
 だが、ククルは振り返らない。

「隊長ってば! 本当にお一人で行かれるのですか!」

 副官が並ぼうとする。だが、わずかに速い歩調に追いつけず、半歩遅れてついていく形になる。
 ククルの視線の先には、古びた木造アパートがあった。
 そこは楠木ヒバリの住まいだ。
 帝都の一角はすでに封鎖されている。普段なら商人の声や子どもの笑い声が響くはずの通りは、異様な静けさに沈んでいた。

「対象はワシントン級の可能性があるんですよ! 鉄の宮様の複製って話、隊長どのだって聞いていたでしょう?」

 副官の声が震える。ククルは歩みを止めない。

「災血すら屠った記録があるって……それを、隊長どのお一人で……」

 言葉が途切れる。副官は、言うべきか迷いながら、それでも口にした。

「応援を……待つべきです。火の隊長どのがいれば────」

 副官は、自分で言ってしまった言葉の続きを、苦い顔で引き受ける。

「……いませんけど」

 乾いた声だった。

「今朝の便で紐育(ニューヨーク)へ戻ったんでした。僕を口説きに帝都に来てたみたいな人ですからね。『落ちないから帰る』とか言って、あっさり行っちゃいましたよ」

 自嘲気味に笑う。
 だが、その笑いはすぐに消えた。

 火の災血がいない。他の隊長たちも遠隔任務中。
 つまり帝都にいる災血はひとりだけ。

「隊長どの……」

 副官・チサキの声が小さくなる。
 ククルの歩みが止まる気配はない。
 石畳を踏む靴音だけが、静まり返った通りに規則正しく響く。

「隊長どのが倒れたら、帝都は────」
「倒れぬ」

 短い言葉。それだけで、副官の声が止まる。
 ククルは前を向いたまま、静かに続けた。

「私は最強なのじゃ」

 その声音に、誇示はない。ただ事実を述べるような、平坦な響きだった。

「だが」

 わずかに間があく。

「確認せねばならぬことがある」

 夕焼けの中で、ヒバリが振り返ったときの顔を、ククルは忘れていない。

 あの震え。
 あの声。
 ────あなた。

 アパートが、目前に迫る。

 古びた木の扉、剥げかけた表札。風に揺れる洗濯物。
 日常の残滓のような光景がそこにはある。
 だがその内側には、死んだはずの男がいるのだ。