災血一番隊長・恋王子ククル──最強な彼は、未亡人に甘えたくて今日もわざと怪我をする


 帝都動物園の正門は、内側からねじ曲げられていた。
 象舎の鉄柵は溶けたように歪み、獅子の檻は外側へと押し広げられている。園内を満たしていたはずの獣の匂いは消え、代わりに鼻を刺すのは、乾いた錆の臭気だった。

 四つ足の塊が、舗道を砕きながら走り、帝都を覆うように暴れ回っている。

 かつては象だったもの。
 かつては虎だったもの。
 かつては鹿だったもの。

 いまは、錆びた鉄の外殻に覆われた巨大な塊────錆鬼だ。
 鉄の宮様(みやさま)の異能・鉄の災血のチカラによって、園内にいた動物たちがことごとく錆びた鋼の怪物へと姿を変えてしまったのである。

 逃げ惑う人々の悲鳴が、街路に反響する。踏み潰された屋台。横転した人力車。路面電車の車体がねじ切られ、火花を散らしている。

 肉が裂ける音、骨が砕ける音、鉄が擦れる音。
 それらすべてが、ひとつの不協和音として帝都を満たしていた。

 帝都の摩天楼の上から、その光景を眺めている男がひとり。
 
 “(さび)の衣”を纏った、細身の男。
 かつてはヒバリの夫であった。しかしいまは違う。鉄の宮様の器だ。

 外套のように体を覆うそれは布ではない。薄く重なり合った鉄片が、呼吸するようにわずかに開閉し、赤黒い錆を滲ませている。歩くたびに、乾いた擦過音が不気味に鳴っている。

 宮様は、感慨もなく口を開いた。

「……あっけないものだな」

 視線の先で、錆鬼が人の群れに突っ込む。悲鳴が途切れ、赤い飛沫が空に散った。

「帝都を守る最強は、もういない」

 己と同じ存在、鉄の災血────恋王子ククル。
 背後から刃を差し込み、その心臓に届いた感触を、宮様は確かに覚えている。
 辛うじて女を守り、愚かにも立ち向かってきた“小僧”を労せず一刀のもとに切り伏せてやった。

 ────死んだ。

 そう結論づけるには、十分な手応えだった。

 宮様の背後には、数名の男たちが控えていた。粗末な外套に身を包み、顔には長年の潜伏生活を刻んだような影がある。
 かつての連合国の残党だ。
 皇国に敗れ、地下に潜り、機会を待ち続けていた者たちである。

「さすがですな、宮様」

 そのうちの一人が、へつらうように口を開いた。

「鉄の災血を討つとは。これで皇国の時代も終わりだ。死者の蘇りの件も、我らの手引きが────」

 言葉は、最後まで続かなかった。男の体が、音もなく崩れたのだ。
 膝から落ち、次の瞬間には、全身が赤黒い錆に覆われている。声を発することもできず、皮膚が剥がれ、骨が露出し、やがてそれすらも風化したように崩れ落ちた。

 残ったのは、砂のような粉だけだった。

 他の男たちが凍りつく。

「み……宮様?」

 かすれた声。
 宮様は振り返らない。

「薄汚い豚が」

 ぞっとするほどに穏やかで澄んだ声色だった。

「こいつらは、錆鬼(サッキ)にもならん」

 残った男たちが後ずさる。だが、逃げるより早く、その体は次々と崩れた。肉が錆に侵され、骨が砂のように崩れ、衣だけが地に落ちてゆく。

 宮様は一瞥もしない。
 足元を流れる血が、ビルの下の水面へと滴っていく。

 遠くで、錆鬼の噛み合わない歯車のような咆哮が響く。
 帝都は、いままさに壊れているのだ。赤子を慈しむかのように柔らかな笑みを浮かべた宮様はゆっくりと歩き出した。
 靴底が石畳を踏むたび、乾いた音が鳴る。
 向かう先はただ一つ。
 
 ────皇居だ。

「帝を殺す」

 それは宣言ではなく、事実の確認のように淡々と呟かれた。

 ビルから地上へと飛び降りた宮様の目に、煙の向こう、朱塗りの門が見えた。

「まもなくだ」

 帝都はまだ燃え続けている……だが、終わりはすぐそこだった。