「……ぅ……うぅ……」
胸に顔を埋めた瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。
この腕を、ヒバリは知っている。
いや、自分と同じく歳を取っている。同い年の幼馴染だからいまは25歳のはずだ。
それでも、変わらない。あの時の彼のままだ。
夫だ……夫のリヒトだ。
あの夜の冷たい空気。吐く息の白さ。背中越しに聞こえた、遠くの汽笛。
すべてが、いまこの瞬間と重なっていく。
────帰ってきた。
その思いが胸を満たすたび、涙はさらに溢れた。
死んだと聞いた。遺体も確認した。白い布に包まれた顔を見て、声が出なくなった日のことを、ヒバリは忘れていない。
それなのに、いま……この腕の中にいる。
ヒバリは顔を押しつけるようにして、さらに深く縋りついた。
体温が、感じられない。
そのことに気づいたのは、涙が少し落ち着いてからだった。
────気のせいだ。そう思うことにする。
「あなた……あなた……そうだよね?」
違和感は、いくつもあった。
けれど、それらをひとつひとつ数え上げることはしなかった。
数えてしまえば失ってしまう気がしたからだ。
「あぁ、そうだよ。僕は帰ってきたんだ。キミのもとに」
優しいリヒトの声。それはいつか聞いた、愛した人の揺らぎだった。
体温のない腕の中で、ヒバリは目を閉じる。涙で濡れた頬が、衣に擦れた。
そのとき、扉が叩かれた。
乾いた音が、ビリヤードのように六畳間を跳ね回り、ヒバリの肩がびくりと震えた。
それでも抱きしめる腕の力は変わらない。だが、部屋の空気がわずかに……たしかに冷えた気がした。
もう一度、扉が叩かれる。静かな、しかし躊躇のない音。
扉の向こうにいるのが誰なのか、考えるまでもなかった。



