災血一番隊長・恋王子ククル──最強な彼は、未亡人に甘えたくて今日もわざと怪我をする


「最強だからじゃ」
 
 食事も、着替えも、歯磨きも。
 “帝都の防衛”以外のすべてを他人にやらせる少年────それが、恋王子(れんおうじ)ククルだった。

 皇国の最高戦力・鉄の災血(さち)として生まれた彼は、存在そのものが世界に対する抑止力。
 さらには、金髪碧眼に絹のような肌をした美しい少年である。ひとたび、異能特務隊(いのうとくむたい)専用の軍服に身を包んだならば、誰もが息を呑んでククルを見つめた。

 だから彼は、他人を奴隷のように扱うことを、当然のこととして育った。

「そこの雑魚、(われ)のハミガキをせよ。デンタルフロスからじゃ」
「おい雑魚、ニンジンをこの世から滅ぼせ。今すぐじゃ」
「雑魚、この雑誌のプリンを買ってこい。地球の裏側にしかない? 行ってくればよかろうなのじゃ」

 やりたい放題である。
 
 美ショタの最高戦力様にご奉仕できる職場。ということで、ククルのお世話役の求人倍率は常に10倍はくだらなかったが、離職率はその5倍。従事者がメンタルを病む確率は最終的に300%を記録した。つまり、一人あたり3回は精神を病んで入院するという有り様なのだった。
 
 そんなある日のこと、事件は起きた。
 彼の頭を、コツンと叩いた少女が現れたのである。

 *

 その日は、朗らかな春の昼下がり。
 12歳になったばかりの恋王子(れんおうじ)ククルは帝都の大通りに立っていた。

 供回りの姿はない。
 護衛も、侍従も、誰ひとりいないのは、ククルによる日々のパワハラに耐えかねて、彼を帝都のど真ん中に置き去りにした上で全員が職場放棄して逃亡したからである。

「……どこじゃ、ここは」

 石畳の道を行き交う人々は、遠巻きに彼を避けていた。
 金髪碧眼の美少年。異能特務隊の軍服は特注の短パン仕様。そして白手袋……。

 気づかぬ者はいない。
 近づく者も、いない。
 “その者”の評判は誰もが知るところ────最悪だからだ。

「雑魚ども、答えよ」

 誰も彼も答えるはずもなく。
 視線を逸らし、足早に去っていく。

「おのれ、雑魚ども……滅してやろうか」

 ククルの苛立ちに反応して、帝都中のありとあらゆる“鉄”が殺気を帯びてゆく。
 地も空も人も獣も、その額に冷や汗を浮かべた。

「……ん?」

 ふと、甘い香りがククルの鼻先をくすぐった。
 一軒の屋台から漂ってきたのだ。蒸気の向こうに、白い饅頭が並んでいる。
 ククルは引き寄せられるように店の前に立つと、不遜な態度で言い放った。

「それを寄越せ」

 この世の終わりのような表情で、店主は震える手を抑えながら饅頭をひとつ差し出した。
 奪い取るように饅頭を鷲掴みし、ククルはわざとらしくスンスンと匂いを嗅いでから一口齧り……眉を寄せる。

「……甘すぎる」

 次の瞬間、饅頭は石畳に落ちた。
 終わりだ……店主の顔から血の気がさっと引いた。

「おのれ、雑魚の分際で我の舌をイラつかせおって……かくなる上は滅して────」
「こら! なにしてるのッ!」

 雲雀(ひばり)の鳴くような声だった。それはククルの言葉を遮ったのだ。
 ────生まれ落ちて十余年、初めて味わった無礼である。
 カッと目を見開きながら振り向いたククルの青い目には、一人の少女が映っていた。
 歳の頃は10代の半ばを過ぎたくらいだろうか。少し身長が高く……質素な着物。というかツギハギだらけで薄汚れているといっていい。
 その姿は、お世辞にも可憐な少女とは言えない。
 だが、まっすぐにククルを見つめる少女の瞳は何一つ恥じることなく爛々と輝いていた。

「拾って食べなさい」

 ざわり、と周囲がざわめく。
 店主が「やめてくれぇぇ」と蒼白な顔で首を振る。

 ククルは、殺気だつ暴れ馬をなだめるようにして軍帽のツバを撫で、少女をキッと睨みつけた。

「おい雑魚。誰の許しを得て口を開いたのじゃ」
「……いま、なんて言ったの?」

 少女は一歩、近づいた。
 そして、ククルの被っている軍帽をさっと取り上げる。
 なんという無礼か────!
 そう誰もが思った、次の瞬間。

 ────コツン。

 小さな音が、帝都の喧騒の中に落ちた。

「え……貴様……いま……我に何をした……?」
「ゲンコツだよ。悪い子にはおしおきしないと」
「ゲ……ゲンコ……ツ……?」

 少女の拳が、ククルの頭を軽く叩いたのである。

 ククルがその意味を理解した刹那、空気が一瞬で変わる。命の危機を察知したのか、街路樹から一斉に鳥たちが飛び立った。
 やがて何処からとなく、黒い蛇のような“鉄”の流れがククルの元に集まり、怨嗟が歯軋りを立てるかの如く渦巻いてゆく。それを見たが最後、通行人は暴君にひれ伏すかのように皆が皆膝をついた。

「この雑魚がッ! 許さ────」

 コツン。

「こら! またその言葉使って。ダメだって言ったでしょ?」
「……な、なな……な……二度もぶった……おのれ……おのれ、この雑魚───」

 コツン。

「ッ!? 雑魚が────」

 コツン。

 繰り返すこと17回。
 ククルのつむじの近辺に小さなタンコブができたあたりで、ようやく“おしおき”が終わった。
 降参したのだ。皇国最強の美少年が、である。

「わかった! わかったから、もうぶつのはよすのじゃ!」
「そっか。じゃあ、することはわかるね?」
「裁判か? よかろう。この無礼の数々。()……貴様は極刑に処されるであろうから覚悟するのじゃ」
「食べて」
「……へっ?」
「お饅頭。拾って食べなさい」

 お饅頭。
 ククルの足下に転がっている物体のことだろう。いまや、蟻さんたちが露出した餡子をせっせと運び出している。それはつまり、もう人間の食べる物ではなくなったということだ……と、ククルは解釈していた。

「いやじゃ」
「どうして?」
「どうしてもこうしてもなかろう。ばっちいのじゃ。我が最強で最高で超高貴ゆえのみならず、貴様とてかように落ちた物なぞ食えぬじゃろうて」
「そんなことないよ?」

 少女はそう言って屈むと、饅頭を手に取って軽く砂を払った。
 そして二つに分けると、片割れをククルに差し出す。

「あなたがどうしても嫌だっていうなら、私も一緒に食べてあげるから。だからね、食べ物を粗末にしたままで終わらせちゃダメ。ご飯がなにもなくて、死んでしまう人が世の中にはいるの。わかる?」

 半分になった饅頭が乗せられた少女の手。よく見ると、ボロボロだ。
 指先はささくれ、手のひらにはいくつものタコがあり、そのほとんどは痛々しく皮が破けていた。

「あ……」

 ククルにとってはじめてだった。こんなにも荒れた人の肌を間近で見たのは。
 顔も知らぬ母親の胎内にいた時から、その生活は“異能(チカラ)”と引き換えに保証されている。だから自身が住まう豪勢な屋敷にいる人間は、たとえ下男下女であろうと身綺麗なのが普通だったのだ。
 ククルは胸の奥に、爪を立てられたような違和感を覚えている。それは、彼がはじめて感じた“心の痛み”だった。そうとは知る由もなく、ククルは居心地が悪くて仕方ない胸のざわつきを振り払うようにして少女の手から汚れた饅頭を掴み取ると、ぎゅっと目を瞑ってひと口でそれを頬張った。

「んん……んむむ……ん?」

 ……美味し……い……?
 砂がまだ残っていたようで、咀嚼するたび歯に絡みついて不快だ。なんだか埃っぽいニオイもする。それなのに何故だろうか。
 その落とした饅頭は、ククルが食べてきたどんな豪勢なスイーツも及ばぬほどに、純粋に「おいしい」と思えるものだった。
 だから、自然と口走ってしまった。目を瞑ったままで、つぶやくように。

「……おいしい」

 そっと、ククルの頭にあたたかい“なにか”が添えられた。
 それは柔らかくて、滑らかで、やさしく慈しむようにククルの髪を滑っては行ったり来たりを繰り返している。
 とても心地よくて、ククルはふと視線を上げた。少女の微笑みが、彼の青い瞳を出迎える。

「いい子だね。よしよし」

 少女が、ククルの頭を撫でていたのだ。
 ────はじめてだった。頭を撫でられたのは。
 誰も彼もがククルに傅く。しかしそこに愛情などなく、単に仕事の延長線上であって、もっと言えばどこかで”化け物“に対する恐怖にも似た感情を抱いていた。ゆえに、ククルと他人との間には分厚い金属の壁が常に立てかけられていて、触れたところで体温など感じようもない。それは途轍もなく冷たく、ククルの異能が示すところの“鉄”そのものであった。
 だからククルは終ぞ知ることはなかったのだ。頭を撫でられるという、ありふれたスキンシップがこんなにも心地よく、涙が溢れそうなほどに心をくすぐるのだということを……いままさに、目の前の名も知らぬ少女に触れられるまでは。

「無礼者。やめるのじゃっ」

 ククルは不機嫌なフリをして少女の手を払った。
 本音を言えば、ずっと撫でていてほしいとククルは思っている。けれど、恐怖ゆえに退けてしまった。そう、恐れを抱いたのだ────
 引き摺り込まれてしまうことを。底なし沼に足を取られ、奥へ奥へと……それは麻薬のように蠱惑的で、ひとたび味をしめたならば身を滅ぼすまでただただ耽っては落ちてゆくに違いない。

「貴様……いや……そなた。名を名乗るのじゃ」

 あっ……とククルは気づいてしまった。自分はもう沼に足を突っ込んでいる。片足だけだったはずが、今しがたの一言で残った足まで囚われてしまったではないか。
 あぁ、そうか。もう抜け出せないのだなと、ククルは自嘲気味に小さくため息をつく。

「私は、ヒバリ。楠木(くすのき)ヒバリ。あなたは?」

 少女が柔らかな笑みを浮かべた。その姿は、常日頃ククルの身の回りにいる天女のような女たちとはまるで違う。色気どころか化粧っ気などまるでなく、髪は労働の邪魔にならぬようにまとめられているだけで、日に焼けた頬は山火事の後みたいに赤みがかっている。
 
 それでも……ククルはどうしようもなく彼女に見惚れてしまい、心の中でこう呟いた。
 
 ────なんて、綺麗な人だろう。

 ヒバリ。そうだ、ヒバリだ。この者はヒバリと言うのだ。
 ククルはひたすらにその名前を反芻した。九九を覚える子どものように、脳裏から消えることのないように、ナイフで刻みつけるかのように。幾重にも幾重にも、ククルはヒバリという名をなぞり続けていた。

「おーい、どうしたの。ちっちゃな軍人さん。教えてくれないの、あなたのお名前」

 ヒバリの声だ。ハッとしたククルは、顔が妙に熱いことに気づく。
 これはまずい。と紅潮した肌を隠そうとするが、こう言う時に役にたつお気に入りの軍帽はヒバリに取り上げられたままだ。
 仕方がないから、通過してゆく路面電車を異能で解体して“鉄”を集め、軍帽を錬成しては深く被る。
 そして、コホンッと演技の咳払いを挟み、ひと息おいてからククルはそっと口上を述べた。

「皇国軍異能特務隊・御楯部(みたてべ)、一番隊隊長────」

 ククルは俯いた顔をあげ、青い瞳でまっすぐにヒバリを見据えた。
 
「鉄の災血(さち)恋王子(れんおうじ)ククル」

 ────結婚するのじゃ、この娘と。
 
 欲しいものはなんでも手に入る。だからククルは疑いもなくヒバリと夫婦(めおと)になれるのだと思った。しかしそれは一瞬。一瞬だけだった。
 なぜなら、ククルは見てしまったから。
 
 ヒバリの薬指に光る────白金の指輪を。

 だからといって、走り出した心は止まるはずもなかったのだが。
 ちょうど、先ほど異能で解体した路面電車のように。いまや車輪だけになっても線路の上を廻りまわって何処かへと流れてゆく。
 ブレーキなど、どこにもない。ならば終点まで、夢でも見ながら居眠りをしよう。
 最強の少年はひとり、花の都の真ん中でそう思うのだった。
 
 桜の開花予想よりも、ひと足先に淡く色づいた頬を隠しながら────