あの夏の日、先輩は

ベッドから飛び起きる。

ゼェゼェと荒い呼吸は俺自身の喉から漏れていた。

今見た夢が、先輩が言っていた『俺が死者に数えられている』ということの暗示なのだろうか?


昨日保健室で先輩と『黒まんまい様』を見届けたあとのことを思い出す。
『整理する時間が必要だよね。今日はもう帰ったほうがいい。
家まで送るから』
と、先輩と並んで帰ったんだっけ…



『こうして帰ってると昔のことを思い出しますね』

『ん?』

『どうしてそこは記憶なくなっちゃうんですか?』

キョトンと小首を傾げる先輩。可愛い…じゃなくて。

『俺のこと亮くんって呼んでたし…』

『いつまでも転校生呼びはどうなのかなって』

『ああやって不思議なことが色々分かるのも、先輩が“お兄さん”だからなんですよね?』

『…亮くんはさ、どうしてそんなにその“お兄さん”にこだわるの?』

のらりくらりと俺の質問を交わしていた先輩が、視線を合わせてくる。

『お兄さんの言葉はさ、お兄さんじゃなくっても、きっと他の誰かにだって言える言葉だったと思うよ』

『けどあの時俺にその言葉をくれたのはお兄さんだけなんです』

俺の両親もいわゆる“視える人”というやつで。
それがきっかけで意気投合し結婚まで至ったと聞いたが、2人からするとそれは“感受性強いあるある”で片付けられていた。
感受性にも限度があるだろ…

そして
“感受性は強いままだし、視えるままだけど、その内馴れるよ!”
と言われた俺は齢7歳にして絶望していた。


きっかけは、あの事件だ。

東京の“心霊スポット”と呼ばれる廃墟団地。
3歳くらいだったろうか、家に帰るにはどうしてもその横を通り抜けなければならなかった。

同じ住宅街に住む友達と遊んだ帰り道、廃墟団地を足早に通り抜けようとすると、
『おいおいガキ共ぉ〜ビビってんのぉ?』
高校生くらいの金髪ヤンキーが絡んできた。

団地に打ち捨てられていたドラム缶に腰掛けるヤンキーは、ニヤニヤしながら手に持った鉄パイプを弄ぶ。

『怖いんかぁ?こんなただの建物が』

『み、みんないってるよ、おばけがでるって…』

俺の腕にしがみつく友達につられて、俺も咄嗟に

『こわいのがいるの…おっきくてまっくろなの…』

『そんなんいるわけねーじゃん!』

俺の言葉をせせら笑い、『見てきてやるよ!』と言ったヤンキーは鉄パイプでヒビ割れたガラスを叩き割り、中へと侵入する。

中でもガラスを叩き割っているのだろう、ガシャンッ!パリンッ!!と聞くに耐えない破壊音を響かせながら『ほぉーら何にもいねぇぞぉ!』と誇示するように声を張り上げる。

友達も俺も涙目になりながら『どうしたらいいんだろう…』と立ち尽くしていると

『は?なんだおめ…おいおい近寄るんじゃねぇよ…鉄パイプ食らっとけオラァッ!!



ーーーは?



ーーーーっぎゃぁあぁああああああぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ッッッッ!!!!!

や゛め゛でッッッ!腕がッッッッ腕がな゛ぐな゛る゛ッッッ!!!

い゛だい゛い゛だい゛い゛だい゛ぃぃ〜〜〜〜〜ッッッ!!!』


血の混じった絶叫とともにバキンっ、ゴリィッ!グチャグチャと普段耳にしない音が響き渡る。


グチャグチャ…ゴクリッ

悲鳴と何かの折れる音、粘着質な音の合間に聞こえてくるそれが咀嚼音だと気付いた俺は、思わず口元を抑えた。


『どうな゛っでる゛ッッ!?!?!?

おれ゛、お゛れ゛のか゛ら゛だどうなっ、』




静寂。




割られたガラスから何かが投げ捨てられる。
ゴロン、と転がったそれはヤンキーが履いていた赤いスニーカー。


履き口がこちらに向いた状態のそこには。




みっちりと詰まった真っ赤な肉の断面図が覗いていた。








こんなの、馴れるわけがなかった。



『俺も友達もその場で気を失って、親が見つけてくれて無事家に帰ったんですけど…

そんな、足先以外何かに食われたような高校生の異常死体は見つからなかったし、きっと夢だったんだろうって』

『……』

『けどそういうことが、一度じゃなくて』

“ごめんね、りょうくんがわるいわけじゃないんだけどね、

りょうくんといるとこわいことばっかりおこるの…”

泣きながら去っていった友達の背中。

『皆俺とは距離をとったし、
俺も…今も視えるのは変わらないから、極力人とは関わらないようにー』

先輩が俺の手を掴む。

それから掴んだ手の側にもたれかかるように、その身を預けてくる。



えっっっっっ(大混乱)


『ごめんね。君の、そんな事情も知らずに俺は、

君のー』

『え、先輩、あの』

思わず掴まれていない方の手で先輩の肩に触れる。

先輩はほとんど泣き出しそうな顔をしていた。

俺は先輩の、決壊しそうに水の膜が張った目元に手を触れようとしてー



ヂャヂャリヂャリヂャリヂャリーーーン


「なになになになに」


意識が現実に引き戻される。

今いいところだったろうが…

いや、手を触れようとした直後蝉が肩に直撃してきた俺が半狂乱になり、先輩はクスクス笑いながら『ここまで来たら大丈夫だね』って帰っちゃったんですけどね…
人がいそうな辺りに差し掛かる前に帰っちゃうとこもやっぱり“お兄さん”と似てるんだよな…


いまだに鳴り続ける音に2階に割り当てられた自室から窓を開けて外の犯人を探す。

庭先の玄関で顎をしゃくりながらこちらを煽るように跨った自転車のベルを鳴らし続けるのは、溝口くんとタカ&トシブラザーズ。
やめて…?

千夏(ちか)ちゃんが『遅刻なるよ転校生ー!』とブンブン手を降る隣で、先輩も軽くこちらに手を上げる。

昨日先輩が言いかけた言葉を思い返す。

『ごめんね。君の、そんな事情も知らずに俺は、

君のー』


“消してごめん”

先輩は、俺から何を消したのだろう。