夜の寝所。
いつものように、紫苑が私を抱き枕にして寝台に潜り込んでいる。
今夜は拘束が特にきつい。
ミシッ。
私の肋骨がきしむ音がした。
(……これ、あと少し力が入ったら折れるな)
「陛下、少し緩めてください。私の骨が粉砕されます」
「……嫌だ。離すと世界がうるさい」
紫苑はむずかると、さらにギュッと腕に力を込めた。
子供か。
このままでは安眠どころか永眠させられてしまう。私は気を紛らわせるため、そして昼間の疑問を解消するために問いかけた。
「陛下から見て、紅玉様と翠蓮様は……その、どう見えているのですか?」
紫苑は私の首筋に顔を埋めたまま、眠たげに答えた。
「ああ、あの『赤いの』か。……あれはやかましい」
「やかましい、ですか」
「全身から火花のようなノイズが出ている。近寄ると焦げ臭い臭いがする。キーキーと喚く女の亡霊が、背中に張り付いているように見えるな」
焦げ臭い臭い。
それはおそらく、紅玉様の情熱やヒステリー、あるいは彼女がひた隠しにしている病の苦痛が、紫苑の目には「ノイズ」として変換されているのだろう。
「では、翠蓮様は?」
「『青の』は……気色が悪い」
紫苑の声が、嫌悪感に沈む。
「底なし沼だ。喧しくはないが、ジメジメとした水音がする。何を考えているか分からん、のっぺらぼうに見える」
のっぺらぼう。
あの完璧なポーカーフェイスや静けさが、逆に不気味な「沼」として映っているということか。
(なんて散々な評価だ)
私は、彼が美しい側室たちを「騒音源」か「不気味な物体」としてしか認識していないことを理解した。
これでは恋愛など生まれるはずがない。
「では、お二人の仲については? 仲が良いとか、悪いとか」
紫苑は欠伸を噛み殺し、興味なさげに鼻を鳴らす。
「知らん。興味もない」
「……そうですか」
「肉塊同士がくっつこうが離れようが、俺には関係ないことだ」
紫苑はそれきり口を閉ざした。これ以上会話をする気はないらしい。
だが、ふと何かを思い出したように唇が動いた。
「……いや、待て。そういえば昔、妙なことがあったな」
紫苑の独り言のような呟き。
「昔、あの『赤いの(紅玉)』が処刑されそうになったことがあった」
「処刑?」
「『あれ』の機嫌を損ねたらしい。贈り物の色が気に入らないとか、そんなくだらん理由だったはずだが」
「あれ?」
「……皇太后のことだ」
皇太后……つまり陛下の実の母だ。
実の親すらモノ呼ばわりなのか。
「あの女は、即座に紅玉の首を刎ねようとした。……それを止めたのが、翠蓮の一族だ」
翠蓮様の実家である宰相家が嘆願書を出し、翠蓮様自身も皇太后の前に座り込んで助命を乞うたのだという。
「おかげで紅玉は死なずに済んだ。……まあ、どうでもいい昔話だ」
(命の恩人!?)
私は驚愕で目を見開いた。
ライバルどころか、とんでもなく重い絆がありそうじゃないか。
小鈴や世間の言う「不仲説」と、実際の翠蓮様の「姉のような態度」のズレが、少し見えたかもしれない。
私は身を乗り出した。
「それはいつのことですか? その後、二人は――」
「…………スー……」
「陛下?」
返事がない。
すでに紫苑からは、規則正しい寝息が聞こえていた。
「……肝心なところでこれか」
私は脱力し、天井を仰いだ。
これ以上の情報は引き出せないだろう。
「おやすみなさいませ、役立たずの暴君様」
私は諦めて、紫苑の背中をトントンと、少し強めに叩いてやった。
○
翌日。
私が仕事をしていると、女官たちのヒソヒソ話が聞こえてきた。
今日の噂は、いつもより陰湿で、具体的だった。
「ねえ、聞いた? 紅玉様のこと……」
「ええ、まさかそんなことまでして」
作業の手を止めず、私は耳を澄ませる。
「翠蓮様に、毒を盛ろうとしているって……」
「怖いですねぇ」
「本当なら恐ろしいわ。嫉妬に狂った女って」
クスクスという笑い声。
(……毒?)
私は眉をひそめた。
昨夜聞いた「命の恩人」という話と、あまりに矛盾する噂だ。
そして何より、先日紅玉様から漂っていた「甘い腐敗臭」が脳裏をよぎる。
(あの匂いは、内臓が腐っていく匂いだ)
毒を盛ろうとしている?
違う。
むしろ毒を盛られているのは、紅玉様の方だ。
私は筆を置いた。
後宮に漂う空気は、私が扱う死体よりもよっぽど不穏で、生臭かった。
いつものように、紫苑が私を抱き枕にして寝台に潜り込んでいる。
今夜は拘束が特にきつい。
ミシッ。
私の肋骨がきしむ音がした。
(……これ、あと少し力が入ったら折れるな)
「陛下、少し緩めてください。私の骨が粉砕されます」
「……嫌だ。離すと世界がうるさい」
紫苑はむずかると、さらにギュッと腕に力を込めた。
子供か。
このままでは安眠どころか永眠させられてしまう。私は気を紛らわせるため、そして昼間の疑問を解消するために問いかけた。
「陛下から見て、紅玉様と翠蓮様は……その、どう見えているのですか?」
紫苑は私の首筋に顔を埋めたまま、眠たげに答えた。
「ああ、あの『赤いの』か。……あれはやかましい」
「やかましい、ですか」
「全身から火花のようなノイズが出ている。近寄ると焦げ臭い臭いがする。キーキーと喚く女の亡霊が、背中に張り付いているように見えるな」
焦げ臭い臭い。
それはおそらく、紅玉様の情熱やヒステリー、あるいは彼女がひた隠しにしている病の苦痛が、紫苑の目には「ノイズ」として変換されているのだろう。
「では、翠蓮様は?」
「『青の』は……気色が悪い」
紫苑の声が、嫌悪感に沈む。
「底なし沼だ。喧しくはないが、ジメジメとした水音がする。何を考えているか分からん、のっぺらぼうに見える」
のっぺらぼう。
あの完璧なポーカーフェイスや静けさが、逆に不気味な「沼」として映っているということか。
(なんて散々な評価だ)
私は、彼が美しい側室たちを「騒音源」か「不気味な物体」としてしか認識していないことを理解した。
これでは恋愛など生まれるはずがない。
「では、お二人の仲については? 仲が良いとか、悪いとか」
紫苑は欠伸を噛み殺し、興味なさげに鼻を鳴らす。
「知らん。興味もない」
「……そうですか」
「肉塊同士がくっつこうが離れようが、俺には関係ないことだ」
紫苑はそれきり口を閉ざした。これ以上会話をする気はないらしい。
だが、ふと何かを思い出したように唇が動いた。
「……いや、待て。そういえば昔、妙なことがあったな」
紫苑の独り言のような呟き。
「昔、あの『赤いの(紅玉)』が処刑されそうになったことがあった」
「処刑?」
「『あれ』の機嫌を損ねたらしい。贈り物の色が気に入らないとか、そんなくだらん理由だったはずだが」
「あれ?」
「……皇太后のことだ」
皇太后……つまり陛下の実の母だ。
実の親すらモノ呼ばわりなのか。
「あの女は、即座に紅玉の首を刎ねようとした。……それを止めたのが、翠蓮の一族だ」
翠蓮様の実家である宰相家が嘆願書を出し、翠蓮様自身も皇太后の前に座り込んで助命を乞うたのだという。
「おかげで紅玉は死なずに済んだ。……まあ、どうでもいい昔話だ」
(命の恩人!?)
私は驚愕で目を見開いた。
ライバルどころか、とんでもなく重い絆がありそうじゃないか。
小鈴や世間の言う「不仲説」と、実際の翠蓮様の「姉のような態度」のズレが、少し見えたかもしれない。
私は身を乗り出した。
「それはいつのことですか? その後、二人は――」
「…………スー……」
「陛下?」
返事がない。
すでに紫苑からは、規則正しい寝息が聞こえていた。
「……肝心なところでこれか」
私は脱力し、天井を仰いだ。
これ以上の情報は引き出せないだろう。
「おやすみなさいませ、役立たずの暴君様」
私は諦めて、紫苑の背中をトントンと、少し強めに叩いてやった。
○
翌日。
私が仕事をしていると、女官たちのヒソヒソ話が聞こえてきた。
今日の噂は、いつもより陰湿で、具体的だった。
「ねえ、聞いた? 紅玉様のこと……」
「ええ、まさかそんなことまでして」
作業の手を止めず、私は耳を澄ませる。
「翠蓮様に、毒を盛ろうとしているって……」
「怖いですねぇ」
「本当なら恐ろしいわ。嫉妬に狂った女って」
クスクスという笑い声。
(……毒?)
私は眉をひそめた。
昨夜聞いた「命の恩人」という話と、あまりに矛盾する噂だ。
そして何より、先日紅玉様から漂っていた「甘い腐敗臭」が脳裏をよぎる。
(あの匂いは、内臓が腐っていく匂いだ)
毒を盛ろうとしている?
違う。
むしろ毒を盛られているのは、紅玉様の方だ。
私は筆を置いた。
後宮に漂う空気は、私が扱う死体よりもよっぽど不穏で、生臭かった。


