しがない死化粧師ですが、不眠症の暴君に「専用の抱き枕(眠り薬)」として溺愛されています

 翠蓮宮での「事情聴取」を終え、私は職場である遺体安置所の控え室に戻ってきた。
 大きなトラブルもなく、無事に帰還できたことに安堵の息を吐く。

(でも精神的に疲れた……。生きている人間の相手は、死体の三倍は体力を使う)

「お帰りなさい、柚葉!」

 待ち構えていた小鈴が、目を輝かせて突撃してきた。

「どうだった!? いじめられなかった!? 嫌味言われてない!? 毒とか盛られてない!?」
「……お茶は美味しかったし、お菓子も高級だった」

 私は淡々と報告し、椅子に腰を下ろした。
 毒気はなかった。むしろ、妙に同情的だった。

(あの態度は何だったのだろう)

 翠蓮様は、紅玉様の不始末を詫びていた。「あの子は情熱的すぎるから」と、まるで手のかかる妹を庇う姉のように。
 あの二人の関係性は、外から見るのと中から見るのとでは違うのかもしれない。

 私は分析のために、小鈴に尋ねた。

「ねえ小鈴。今の『四大夫人』って、どういう力関係になってるの?」

 ガタッ!

 小鈴が勢いよく椅子から立ち上がった。
 その瞳が、感涙にむせぶように潤んでいる。

「ついに……ついに柚葉が、自分の立ち位置と『敵』について知る気になったのね! 小鈴ちゃん、嬉しい!」
「え、いや別に」
「いいから聞きなさい! これを知らなきゃ後宮(ここ)では生き残れないのよ!」

 小鈴は私の言葉を遮ると、机の上に並んでいた遺体修復用の道具を掴んだ。
 そして、それらを将棋の駒のように配置し、熱っぽく語りだした。

「現在の皇后(正妻)は空席。その下に四人の高位の妃(四夫人)がいるんだけど、今の勢力図はこう!」

 ドン、と置かれたのは、一本の派手な『紅筆』だ。

「序列二位:淑妃(しゅくひ)・紅玉様! 通称『炎の君』! ご実家は軍事力を持つ名門侯爵家。気位が高くて攻撃力も高い、次期皇后の最有力候補よ!」

 確かに、あの真っ赤な筆の毛先は紅玉様のドレスによく似ている。

「対するは、これ!」

 次に置かれたのは、白くてふわふわした最高級の『パフ』だ。

「序列三位:徳妃(とくひ)・翠蓮様! 通称『水の君』! ご実家は文官トップの宰相家系。慈悲深くて、後宮の良心として人望が厚い聖母様よ!」

 なるほど、見た目のイメージは完璧だ。

「ちなみに序列一位の貴妃様は不在で、四位の賢妃様は病気療養中だから……実質、この二強ってわけ」
「ふーん」
「つまりね! 序列(ランク)で言えば紅玉様が一番上! でも人望(人気)は翠蓮様が上! お二人は実家の派閥的にも水と油、永遠のライバルなのよ!」

 小鈴は紅筆とパフをガチンとぶつけ合わせ、「バチバチしてるの!」と強調した。

「なるほどねえ」

 私は顎に手を当てた。
 小鈴の話(世間の噂)では、二人はバチバチの敵対関係にあるはずだ。
 しかし、今日会った翠蓮様は、紅玉様のことを「困った子」と呼ぶような、妙な余裕があった。

(ライバル……? にしては、翠蓮様のあの態度はなんだ? マウントにしても種類が違うような……)

 敵対しているというより、どこか「保護者目線」を感じたのだ。

「で、個人的には仲良いの? 悪いの?」

 私は核心を聞いてみた。
 すると、小鈴はキョトンとして首を傾げた。

「え? だからライバルだってば。お茶会で火花散らしてたって噂よ?」
「……噂、ね」
「『あら、紅玉様。今日も随分とお顔の色が優れませんこと?』『黙りなさい、貴女の顔が薄いだけよ!』ってやり合ってたらしいわよ!」

 小鈴が芝居がかった口調で再現する。
 ……まあ、紅玉様のほうは言いそうだけど、それ以上は分からない。
 小鈴の情報網はあくまで「下級女官の噂話レベル」であり、当人同士の本当の機微までは掴めていないようだ。

「うーん、いまいち腑に落ちない」

 私が考え込んでいると、小鈴がもっともなことを言った。

「そんなに気になるなら、陛下に直接聞けばいいじゃない?」
「へ?」
「旦那様なんだし、奥さんたちのことは一番詳しいでしょ」

 私はハッとして、近くにあった頭蓋骨模型の頭をポンと叩いた。

「確かに」

 物理的な音と共に、納得が降りてくる。
 そうだ。私は毎晩、あの国のトップ(皇帝)に抱き着かれて寝ているのだ。
 聞くチャンスなら、いくらでもある。

「灯台下暗しとはこのことか。……まあ、あの人が他人の事情を覚えているかは謎だけど」

 他人が肉塊に見える人に、妻たちの人間関係を聞いて答えが返ってくるだろうか。
 甚だ不安ではあるが、聞いてみる価値はある。

「よし。今夜の『抱き枕タイム』の議題はこれにする」

 私は小さく頷くと、紅筆とパフを元の位置に戻した。

「さ、仕事仕事。休憩終わり」
「えっ、もう!? もっとドロドロした後宮トークしようよぅ!」

 不満げな小鈴を放置して、私は愛するお客様(遺体)の元へと戻っていった。