舞い上がる埃の中に立っていたのは、不機嫌を絵に描いたような顔の皇帝・紫苑だった。
彼は室内の惨状を見渡すなり、あからさまに顔を顰めた。
「……遅い。どこをほっつき歩いている」
一直線に私を射抜く、鮮血のような紅い瞳。
彼は、床に倒れて苦しむ侍女頭にも、寝台で死の淵を彷徨う紅玉様にも、一切の視線を向けなかった。おそらく彼の呪われた瞳には、彼女たちが吐き出す苦痛が、凄まじい「ノイズ」と「悪臭」の塊として映っているのだろう。
「さっさと戻るぞ。俺は眠い」
紫苑は一直線に私へと歩み寄り、強引に腕を掴もうと手を伸ばしてきた。
私は限界の体を引きずりながら、彼に向けて訴えかけた。
「お待ちください。紅玉様が毒に侵されています……誰か、医官以外の人手を」
「知らん。俺には関係ない」
紫苑は眉間に深く皺を寄せ、ひどく嫌悪感に満ちた顔で吐き捨てた。
「こんな悪臭とノイズが満ちた場所に、一秒たりとも長居したくない。……死にたければ勝手に死なせておけ」
彼にとっては、ただ「呪いによる不快な空間」からの避難に過ぎないのだろう。他者を気遣う余裕など、最初から彼にはない。
だが、その言葉はあまりにも無慈悲に、私の心の奥底を抉った。
(ああ――)
私の脳裏にこびりついた古い記憶を呼び起こす。
家族が、無実の罪で広場に引きずり出された日。彼らをただの「処理すべき汚物」として見下ろしていた、権力者たちのあの目。
今の紫苑の紅い瞳は、あの時の彼らと全く同じだった。
(人の『死』は尊い。けれど、命を蔑ろにして生まれる理不尽な『死』だけは……嫌いだ)
「さっさと来い」
紫苑が再び苛立たしげに手を伸ばし、崩れ落ちそうになる私の身体を引き寄せようとする。
――バシッ。
ひどく乾いた音が、室内に響いた。
私自身も驚いていた。限界を迎えたはずの私の腕が、差し出された皇帝の腕を、勝手に弾き飛ばしていた。
「……触らないで、ください」
ひどく掠れた声が、自分の口からこぼれ落ちた。
目の前が明滅し、立っているのもやっとの状態だ。だが、私の心の奥底には、氷のように冷たくて黒い感情が静かに渦巻いていた。
「ここは、あなたの寝所ではありません。帰って、ください」
私はただ、「拒絶」と「軽蔑」を込めて、彼を真っ直ぐに見据えた。
普段の仕事用の表情はしていなかった、ひどく冷たい顔立ちだったと思う。
「……」
紫苑の動きが、ピタリと止まった。
「……お前、今、俺を拒絶したか?」
鮮血のような紅い瞳が見開かれる。
そこにあるのは怒りというより、理解不能な事象に直面した、純粋な驚きだった。常に自分に従順で、唯一安らぎを与えてくれる「所有物」から向けられた、初めての拒絶に驚いたのだ。
(彼の呪われた視界の中で、今の私は、どう映っているのだろう)
化け物か、それとも。
そんな益体もない疑問を最後に、私の意識は完全に途切れた。
糸の切れた操り人形のように、身体が床へと崩れ落ちていく感覚だけが残る。
「……おい、柚葉!」
暗闇に沈む直前。
いつもは傲慢な暴君の、ひどく焦燥に満ちた声が耳に響いた気がした。
彼は室内の惨状を見渡すなり、あからさまに顔を顰めた。
「……遅い。どこをほっつき歩いている」
一直線に私を射抜く、鮮血のような紅い瞳。
彼は、床に倒れて苦しむ侍女頭にも、寝台で死の淵を彷徨う紅玉様にも、一切の視線を向けなかった。おそらく彼の呪われた瞳には、彼女たちが吐き出す苦痛が、凄まじい「ノイズ」と「悪臭」の塊として映っているのだろう。
「さっさと戻るぞ。俺は眠い」
紫苑は一直線に私へと歩み寄り、強引に腕を掴もうと手を伸ばしてきた。
私は限界の体を引きずりながら、彼に向けて訴えかけた。
「お待ちください。紅玉様が毒に侵されています……誰か、医官以外の人手を」
「知らん。俺には関係ない」
紫苑は眉間に深く皺を寄せ、ひどく嫌悪感に満ちた顔で吐き捨てた。
「こんな悪臭とノイズが満ちた場所に、一秒たりとも長居したくない。……死にたければ勝手に死なせておけ」
彼にとっては、ただ「呪いによる不快な空間」からの避難に過ぎないのだろう。他者を気遣う余裕など、最初から彼にはない。
だが、その言葉はあまりにも無慈悲に、私の心の奥底を抉った。
(ああ――)
私の脳裏にこびりついた古い記憶を呼び起こす。
家族が、無実の罪で広場に引きずり出された日。彼らをただの「処理すべき汚物」として見下ろしていた、権力者たちのあの目。
今の紫苑の紅い瞳は、あの時の彼らと全く同じだった。
(人の『死』は尊い。けれど、命を蔑ろにして生まれる理不尽な『死』だけは……嫌いだ)
「さっさと来い」
紫苑が再び苛立たしげに手を伸ばし、崩れ落ちそうになる私の身体を引き寄せようとする。
――バシッ。
ひどく乾いた音が、室内に響いた。
私自身も驚いていた。限界を迎えたはずの私の腕が、差し出された皇帝の腕を、勝手に弾き飛ばしていた。
「……触らないで、ください」
ひどく掠れた声が、自分の口からこぼれ落ちた。
目の前が明滅し、立っているのもやっとの状態だ。だが、私の心の奥底には、氷のように冷たくて黒い感情が静かに渦巻いていた。
「ここは、あなたの寝所ではありません。帰って、ください」
私はただ、「拒絶」と「軽蔑」を込めて、彼を真っ直ぐに見据えた。
普段の仕事用の表情はしていなかった、ひどく冷たい顔立ちだったと思う。
「……」
紫苑の動きが、ピタリと止まった。
「……お前、今、俺を拒絶したか?」
鮮血のような紅い瞳が見開かれる。
そこにあるのは怒りというより、理解不能な事象に直面した、純粋な驚きだった。常に自分に従順で、唯一安らぎを与えてくれる「所有物」から向けられた、初めての拒絶に驚いたのだ。
(彼の呪われた視界の中で、今の私は、どう映っているのだろう)
化け物か、それとも。
そんな益体もない疑問を最後に、私の意識は完全に途切れた。
糸の切れた操り人形のように、身体が床へと崩れ落ちていく感覚だけが残る。
「……おい、柚葉!」
暗闇に沈む直前。
いつもは傲慢な暴君の、ひどく焦燥に満ちた声が耳に響いた気がした。


