帝都の裏番長に「運命の女」として身請けされましたが、私はただの売れ残り算術娘です~数字に弱い若頭を、帳簿整理で救ってもいいですか?~

「……目標は、深夜二時に帝都第七船着き場を通過する、黒ガネ屋の荷馬車および蒸気トラック隊です」

 龍屋敷の大広間。
 組員たちがドスを磨き、拳銃(チャカ)の弾を込めて殺気立つ中、私は広げた帝都の地図に赤墨で線を引いていた。

「いいですか。今回の目的は殺戮ではありません。『商品の確保』です。積荷の米俵に穴を開けることなど言語道断。米粒ひとつ、血で汚さないでください」
「聞いたか野郎ども!!」

 私の指示に、蓮が立ち上がって咆哮した。

「米は姐さんの肌だと思って、優しく丁重に扱え! 人間は……まあ、適当に蹴散らしてこい!!」
「「「へい!!(姐さんの肌……!!)」」」

 組員たちの目が、危険な色にギラついた。
 いや、違う。肌って何ですか。私は「商品価値を下げるな」と合理的な指示を出しただけなのに、なぜ変な熱狂に包まれているのか。
 私は頭痛を堪えながら、退路とタイムスケジュールを念押しした。

 ○

 深夜一時五十分。
 霧が深く立ち込める帝都の船着き場。ガス灯のぼんやりとした明かりだけが、波止場を照らしている。

 私たちは、積み上げられた木箱の陰に息を潜めていた。
 冬の夜風が容赦なく体温を奪っていく。
 寒さで私が小さく身震いした、その時。

「……ビビってんのか?」

 蓮の大きな手が、私の冷たい手をすっぽりと包み込んだ。
 分厚く、熱い掌(てのひら)。

「安心しろ。俺の目の届く範囲で、お前に指一本触れさせるかよ」
「(いえ、寒さで指先が悴(かじか)むのと、作戦成功の公算が落ちないか心配なだけですが……)……はい、信じています」

 私がコクリと頷くと、蓮の金色の瞳が暗闇の中で爛(らん)と輝いた。どうやら、彼のボルテージは最高潮に達したらしい。

『……おい、早く積め! 夜明けまでに隠し倉庫へ運ぶぞ!』

 霧の向こうから、重低音のエンジン音と男たちの怒声が聞こえてきた。
 黒ガネ屋の輸送隊だ。小舟から、黒光りする蒸気トラックの荷台へと、次々と米俵が運び込まれていく。護衛には、重武装した傭兵崩れの男たちが何十人もついている。

 私は懐中時計の蓋をパチンと開けた。
 針が、午前二時を指す。

「――今です」

 私は蓮の背中に向けて、静かに宣告した。

「これより、『市場介入(物理)』を開始します」

 ダンッ!!
 私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、蓮が砲弾のように飛び出した。

「通行料(おコメ)、置いてきなァ!!」

 闇夜を切り裂く、一閃。
 蓮が抜いた日本刀が、先頭の蒸気トラックの太い前輪を車軸ごと一刀両断に叩き斬った。
 凄まじい金属音と共にトラックが傾き、後続の荷馬車が次々と玉突き事故を起こして停止する。

「な、なんだ!? 敵襲だ!!」
「撃てェ!! 蜂の巣にしろ!!」

 護衛の傭兵たちが一斉に短機関銃(サブマシンガン)を構え、乱射した。
 火線が闇を縫い、弾丸の雨が蓮に降り注ぐ。

(危ない……!)

 私が思わず目を閉じた、次の瞬間。

「遅ぇな。あくびが出るぜ」

 蓮は、降ってくる銃弾の軌道をまるでし分かっているかのように見切り、首を僅かに傾け、身を翻すという最小限の動きで全て回避していた。

(まさか「勘」で避けてる!?)

 そのまま地を蹴り、敵の懐に潜り込む。刃の峰で次々と傭兵たちの顎を打ち抜き、宙に舞わせる。
 まさに鬼神。圧倒的な暴力の蹂躙(じゅうりん)だ。組員たちも雄叫びを上げて突撃し、瞬く間に黒ガネ屋の部隊は制圧されていく。

「くそっ、龍ガ峰のヤクザどもめ……! 奪われるくらいなら、燃やしてやる!!」

 追い詰められた黒ガネ屋の輸送隊長が、狂ったように叫んだ。
 その手には、火のついた火炎瓶。狙うは、山積みにされた一等米の束。
 距離的に、蓮の剣は間に合わない。

(商品が燃える……大赤字!?)

「させません! 佐吉さん、『帳簿(鈍器)』を!!」
「へいよォッ!!」

 私の叫びに呼応したのは、隣で震えていた副長の佐吉だった。
 彼は学生時代、伝来したばかりの『ベイスボール』という異国の競技で、投手(ピッチャー)として鳴らした男だ。

 佐吉は、懐から取り出した分厚い「大福帳(過去数年分の不良債権の記録)」をボールのように握りしめ、大きく振りかぶった。

「ストライクゥゥゥ!!」

 ビュンッ!!
 風を切り裂き飛来した大福帳は、美しい放物線を描き――隊長の顔面に、見事にクリーンヒットした。

「ふぐっ!?」

 カエルが潰れたような声を上げ、隊長は白目を剥いて卒倒する。火炎瓶は手元にポロリと落ち、地面の水たまりでジュワッと音を立てて鎮火した。

「ナイスだ鈴! 俺の女は度胸も采配も一流だぜ!」
「(……腰が抜けて立てないだけです)」

 私は震える膝を抱えながら、安堵の息を吐いた。

 ○

「大漁だぁぁぁ!!」

 組員たちの歓声が、夜明け前の空に響く。
 敵は半壊して逃走。蒸気トラックの荷台には、全く無傷の山のような米俵が残された。

「怪我はねぇな?」

 返り血を拭いながら歩み寄ってきた蓮が、屈み込んで私の顔を覗き込む。

「はい。……約束通り、奪(と)ってきてくれましたね、親分さん」
「おうよ」

 私は米俵の一つに近づき、品質をチェックした。
 見事な一等米だ。
 私は眼鏡のブリッジを押し上げ、ニヤリと笑みを深める。

「現在の高騰した相場で換算すれば……少佐殿への借金を全額返済しても、お釣りが山ほど来ますよ」

 ○

 そして、翌朝。
 帝都のど真ん中、一番人通りの多い大広場に、龍ガ峰組の代紋が染め抜かれた幟(のぼり)が何本も掲げられていた。

「さあさあ、お米だよ! 黒ガネ屋が隠し持っていたお米を、龍ガ峰組が皆様に大放出だ!」
「価格はなんと、現在の市価の『半額(適正価格)』! 持っていきな!」

 組員たちが汗だくになりながら、奪った米の半分を市民に売り出していた。
 広場には、米を求めて長蛇の列ができている。

「龍ガ峰組万歳!」
「黒ガネ屋の買い占めを暴いてくれた英雄だ!」
「極道なのに、なんてお優しい……!」

 涙を流して拝む市民たちに、強面の組員たちは「いやぁ、姐さんの指示っすから」「照れるぜ」と頭を掻いている。

「……おい、鈴」

 広場の隅で、蓮が不思議そうに私に尋ねた。

「あの米、高く売ればもっと儲かったんじゃねぇのか? 半額で売るなんて、もったいなくねぇか?」
「(借金返済分と組の当面の運転資金は、すでに裏ルートで高値で売り抜けて確保済みですが)……これは『宣伝広告費』です」

 私は懐のそろばんを撫でながら答える。

「これで帝都の市民は、龍ガ峰組を『悪人を成敗する義賊』『自分たちの味方』だと認識します。世論が味方につけば、警察も軍も、おいそれとは私たちに手出しできなくなる。今後のシノギのしやすさ、組織の生存確率を考えれば、極めて安い投資ですよ」

 長期的な損益分岐点を見据えた、合理的なブランド戦略だ。
 しかし、蓮は私の言葉を聞いて、なぜかワナワナと震え出した。

「……なんて、慈悲深いんだ」
「はい?」
「自分の利益を捨ててまで、飢えた民を救うなんて……。お前はやっぱり、本物の女神だ……!! 俺は一生、お前についていくぜ!!」
「(いえ、だから損益分岐点の計算をしただけで……まあ、いいか)」

 感動の涙を流す蓮の背中を、私はそっと叩いて慰めた。
 ひとまず、これで少佐殿への借金はクリア。更地にされる危機は去った。

 ――しかし。
 広場の喧騒から遠く離れた、レンガ造りの時計塔の上。
 望遠鏡越しに私たちを監視する、冷たい双眸(そうぼう)があることに、この時の私はまだ気づいていなかった。