帝都の裏番長に「運命の女」として身請けされましたが、私はただの売れ残り算術娘です~数字に弱い若頭を、帳簿整理で救ってもいいですか?~

 夜が明けきらぬ、帝都の早朝。
 龍ガ峰組の本邸は、文字通り「死」に包囲されていた。

「期限だ。金がなければ、この屋敷を接収する。組員は全員、北の炭鉱送りだ」

 屋敷の門前に整列した、軍用トラックと重武装の兵士たち。
 その先頭に立つのは、帝国陸軍・独立遊撃隊「黒鉄(くろがね)連隊」を率いる少佐だった。
 軍帽の奥で光る、冷徹で理知的な黒瞳。軍服の着こなしに一切の乱れはなく、静かに佇んでいるだけにも関わらず、抜き身の刃のような威圧感を放っている。
 まっとうな正義と武力を兼ね備えた、決して冗談の通じない男だ。

「……ああん? 上等だ」

 対するは、我らが若頭、龍ガ峰蓮。
 彼は肩にかけた羽織をバサリと翻し、鯉口(こいくち)を切った。ギラリと日本刀の刃が朝日に反射する。
 彼の背後では、数十人の組員たちが一斉にチャカ(拳銃)やドスを構えた。

「俺の女と若い衆には、指一本触れさせねぇ。力ずくで来るってんなら、全員斬り殺してやる!」

 蓮の全身から、猛獣のような殺気が立ち上る。
 一触即発。帝都最強のヤクザと、帝国最強の軍隊が、今まさに激突しようとしていた。

(ダメェエエエエ!!)

 私は玄関の陰で、心の中で絶叫した。
 国家権力と真正面から戦争して勝てるわけがない。組織の生存率は完全にゼロ。文字通り、屋敷ごと蜂の巣にされてジ・エンドだ。

(ここは、私が……!)

 私は強く目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
 元・相場師の娘としての「ポーカーフェイス」を顔面に張り付け、震える膝を叩いて前へ出る。

「お待ちなさい、少佐殿」

 凛とした声(のつもり)を出して、私は抜刀する蓮の前にスッと割って入った。

「す、鈴!? お前、下がってろ! 危ねぇ!」
「黙っていてください」

 私は蓮を背中で制し、小声で告げる。

「私がこの場を収めます。……信じて」

 蓮が息を呑む気配がした。

 私は、銃口を向けてくる兵士たちを一瞥もせず、真っ直ぐに少佐を見据えた。
(怖い怖い怖い! 銃口が全部こっち向いてる! 漏れそう!)と脳内では警報が鳴り響いていたが、顔の筋肉だけは徹底的に凍らせる。

「……計算の時間です」
「ほう。極道の女が、軍に何の口答えをする気だ?」

 少佐は眉一つ動かさず、私を見下ろした。

「現金はありません」
「ならば連行する。撃て」
「ですが……あなた方にとって、金以上に価値のある『提案』があります」

 少佐が、ピタリと片手を上げて部下の動きを制した。

「……言ってみろ」
「あなた方が手を焼いている、軍の腐敗と癒着した悪徳貿易商『黒ガネ屋』。彼らを、私たちが三日以内に壊滅させて差し上げます」

 その言葉が出た瞬間、少佐の背後にいた副官たちがざわめいた。
「なぜ、一介の小娘が黒ガネ屋の件を……!」「少佐、黒ガネ屋は上層部の息がかかっています。我々には手が出せない案件のはず……」と、ひそひそと耳打ちしている。

 私は確信した。この少佐は真面目すぎるがゆえに、軍内部の「汚い部分(癒着)」を忌み嫌いながらも、手を出せずに歯痒い思いをしているはずだと。

 少佐は部下を黙らせ、鋭い視線を私に突き刺した。

「……我々軍部ですら手を出せない相手を、女の細腕でどうにかできると?」
「軍という『表の組織』の立場では無理でしょう。ですが、私たちアウトローになら出来る方法があります」

 私は眼鏡のブリッジを押し上げ、冷徹な光を瞳に宿らせた。

「……つまり、『力(暴力)』で潰すのです。軍は一切手を汚す必要はありません。私たちが汚れ役を引き受けます」

 少佐の目が、僅かに見開かれた。
 この提案の異常性と、そこに潜む巨大なメリット(軍の腐敗を一掃できる大義名分)を瞬時に計算したのだろう。

「成功の暁には、この借金は帳消しに。……失敗すれば、借金を『三倍』にして、私の首と共にお支払いします」

 静寂が下りた。
 朝の冷たい風が、私と少佐の間を吹き抜ける。
 永遠とも思える数秒の後、少佐は静かに踵(きびす)を返した。

「……いいだろう。三日待つ。失敗すれば、この区画ごと更地にする。行くぞ」

 軍靴の音が、規律正しく遠ざかっていく。
 見えなくなった瞬間、私はその場にへたり込んだ。

「あ、姐さぁぁぁん!!」
「ヒヤヒヤしたぜ……寿命が縮んだ……!」

 組員たちが一斉に泣き崩れる。蓮が慌てて私を抱き起こそうとした。

「三倍って、あんた! どうやってあの黒ガネ屋を潰すんだ!?」

 佐吉が頭を抱えて悲鳴を上げる。
 私は震える足でなんとか立ち上がり、懐からクシャクシャになった「一枚の汚れた紙切れ」を取り出した。

「これを見てください。先日、組の若い衆が黒ガネ屋の下請けで運ばされた荷物の『領収書』です」
「あ? それがどうしたんだ?」

 蓮が首を傾げる。
 佐吉が眼鏡を直して紙を覗き込んだ。

「ええと……明後日の日付で、大量の『空の米俵』の発注……? それと、港の倉庫の貸切証……?」
「そうです。今、帝都の市場では深刻な『米不足』が叫ばれ、価格が高騰しています。しかし、実は米は不足などしていない。黒ガネ屋が隠し倉庫に溜め込んでいるのです」

 私はポン、と領収書を指で弾いた。

「彼らは明後日の深夜、大量の米を空の米俵に詰め替え、港から運び出して、価格が最高潮に達したところで売り抜けるつもりです。……つまり」

 私は蓮と佐吉を見据え、にっこりと(おそらく悪魔のように)微笑んだ。

「明後日の深夜。黒ガネ屋の全財産が動く、巨大なシノギ(輸送)があります。それを、私たちが『乗っ取る』のです」

「……は?」
「の、乗っ取る!?」

 佐吉が素頓狂な声を上げた。

「はい。密輸同然の隠匿物資です。警察も軍も介入できません。現場を押さえ、積荷をすべて強奪し、私たちが売りさばく。そうすれば、借金返済どころか、莫大な利益が出ます」

 あまりにも大胆不敵な、ただの泥棒計画。
 しかし、これこそが最も効率的で、何より「この組織(ヤクザ)」に最も向いた解決策だった。

「……細かい計算と、安全な売却ルートの確保は、私がやります」

 私は蓮の手を取り、その大きく分厚い掌(てのひら)に、クシャクシャの領収書を乗せた。

「ですが、現場の制圧と物資の強奪には『力』が必要です。……はい、武闘派の出番ですよ。派手に暴れてきてください、親分さん」

 その言葉を聞いた瞬間。
 蓮の顔から呆けが消え、代わりに、獰猛で、底抜けに嬉しそうな獣の笑みが広がった。

「……ククッ、ハハハハハ!!」

 蓮は私の肩を抱き寄せると、空いた手で愛刀を天高く掲げた。

「上等だ! 黒ガネ屋を潰すだけかと思いきや、俺への『乗っ取りのおねだり』とはな! 可愛いとこあるじゃねぇか、鈴!」
「(……おねだり? 違います、業務命令です)」
「聞いたか野郎ども!! 俺の女神様が、『敵を根絶やしにして奪ってこい』だとよ!!」

 蓮の咆哮(ほうこう)に、組員たちの顔色が一変した。
 先ほどまでの怯えは消え失せ、暴力のプロフェッショナルとしての血の気が爆発する。

「祭りだ!! 全員、ありったけの武器を持てェ!!」
「「「オオオオオオオオッ!!!(やっぱ姐さん、パねぇ!!)」」」

 帝都の空に、野獣たちの雄叫びが響き渡る。
 張りぼてインテリ軍師(経理)の指揮のもと、最強のヤクザ軍団による「大規模強奪作戦」が、今、幕を開けようとしていた。