「……あと、十四日」
龍ガ峰組の本拠地、帳場(事務室)。私が突きつけた「破産宣告」に対し、龍ガ峰蓮は目を見開き、わなわなと震え出した。
(お、怒り出した……! まあ当然ですね。自分の組を『もうすぐ潰れる』と言われて喜ぶ親分はいません)
私は身構えた。そろばんを盾にして、どこまで防御できるか。生存確率は二割以下か。しかし、若頭の口から漏れたのは、怒号ではなかった。
「……そこまで、見えているのか」
低い、畏怖を含んだ声だった。
「え?」
「たった数枚の紙切れを見ただけで、組の寿命を言い当てるとは……お前、本物だな」
若頭は私の肩をガシッと掴み、部屋の外にいる組員たちに向かって叫んだ。
「聞いたか野郎ども! 俺の女神様は、組の未来まで見通せる『千里眼(せんりがん)』をお持ちだ!!」
「「「な、なんだってー!? 千里眼!?」」」
どよめく組員たち。私はきょとんとして、若頭と組員たちを交互に見た。
「……はい?」
「すげぇ!さすが親分が見込んだ女だ!」
「ただの地味な娘かと思ったら、とんでもねぇ『あげまん』だったんだな!」
「違います。ただの足し算と引き算です。帳簿上の現預金と、固定費の流出速度を割っただけです。誰か否定してください……」
私の冷静な訂正は、熱狂の渦にかき消された。唯一、副長の佐吉だけが、涙目で私を見ていた。
「いや、これは正しい計算だ……若(カシラ)のドンブリ勘定のせいで誰も把握してなかった『運命の日』を、姐さん、一瞬で導き出した……!」
彼は拝むように両手を合わせている。どうやらこの組織では、「計算ができる」=「予言できる」と同義らしい。頭が痛い。
〇
「若頭さん。誤解を解くのは諦めます」
騒ぎが落ち着いた後、私は改めて若頭に向き直った。逃げられないなら、ここで生き延びる道を模索するしかない。
「私を身請けした大金……今の私には返せません。ですが、このまま組織が潰れれば、私は路頭に迷うか、あるいは借金取りに売り飛ばされるでしょう」
「鈴……」
「そこで取引です。私がこの組織の『帳簿』を預かり、黒字化させます。その代わり、完済したら私を自由にしてください」
これはビジネスだ。私は元・相場師の娘。投資した分は回収し、利益を出して撤退する。しかし、若頭はニヤリと口角を上げ、熱っぽい瞳で私を見つめた。
「……そうか。俺の金庫(すべて)を、お前に預けていいんだな?」
「(言葉の綾ですが)……はい、そういうことになります」
「いいだろう。俺の命も、金も、組の運命も、全部お前にくれてやる。……好きにしていいぞ」
背景に薔薇の花が見えるような、極上の「溺愛スマイル」。どうやら彼は、「組の財布を握る」=「女神として家を守る覚悟を決めた」と脳内変換したらしい。
(……まあいいです。言質(げんち)は取りました。まずは無駄な固定費の削減からですね)
私は眼鏡の位置を直し、懐から手ぬぐいを取り出した。キュッと頭に巻き、「財務責任者」としての気合を入れる。
「では、早速『大改革』を始めます」
〇
「まずは、その金色の植木鉢。即刻売却し、現金化してください」
「えっ!? これ、若(カシラ)が『金運が上がる気がする』って買ってきた純金メッキの……」
「気がするだけです。そんなものを置くくらいなら、現金(ゲンナマ)を置いてください。その方が金運は上がります」
「へ、へい!」
私は鬼になった。帳場(ちょうば)を中心に、屋敷中の「無駄」を徹底的に排除する。
「次。喧嘩の後の『詫び料』および『治療費』の支払いについて」
「おう、姐さん。俺たちは仁義を大事にするんでね、殴った相手にも見舞金を……」
「廃止です」
「はあ!?」
強面の幹部が声を荒げたが、私は退かない。
「破産寸前なんですよ? なぜ殴った相手にお金を払うのですか? 慈善事業ですか?」
「いや、でも、それが男の……」
「今後は『殴り逃げ』を徹底してください。殴ったら即、撤退。証拠を残さない。治療費は相手持ち。以上です」
「な、殴り逃げって……ヤクザの風上にも置けねぇ!」
組員たちがざわつく。しかし、最大の反発は次の指令だった。
「最後に。組員たちの『飲み代』のツケ。本日より全面禁止とします」
シーン、と場が静まり返った直後。爆発のような怒号が飛んだ。
「ふざけんな!」
「俺たちの唯一の楽しみを!」
「酒も飲めねぇヤクザがどこにいる!」
数人の大男が、私を取り囲む。さすがに怖い。暴力の匂いがプンプンする。私はそろばんを盾に後ずさった。
「ご、合理的判断です……! 水でも飲んでなさい……!」
「うるせぇ! 女だからって手加減しねぇぞ!」
男の拳が振り上げられた、その時。
「……ああん?」
地獄の底から響くようなドス声。若頭が、私の前に立ちはだかった。彼が睨みを利かせただけで、大男たちが「ヒッ」と縮み上がる。
「てめぇら。俺の女神の『ご神託』に逆らう気か?」
「お、親分……でも、酒は……」
「鈴が『水』と言えば水だ。酒なんか飲んだら、俺がこの庭に埋めるぞ」
蓮の目は本気だった。金色の瞳が、獲物を狙う獣のように光っている。
「ヒィッ! わ、わかりやしたぁ!!」
「姐さん……いや、女神様! 水、美味しいです! 最高です!!」
一瞬にして鎮圧完了。全員が直立不動で水を飲み始めた。
(……暴力による統治(ガバナンス)。野蛮ですが、合理的ですね。胃が痛いですけど)
こうして、私の指示=組長の命令=絶対の掟、という図式が完成した。これなら、なんとか立て直せるかもしれない。そう思った矢先だった。
〇
「……ん?」
帳簿の整理を続けていた私は、書類の山から一枚の「奇妙な借用書」を見つけた。他の紙とは紙質が違う。上等な奉書紙に、達筆な文字。そして、そこに書かれた金額は、目を疑うような「ゼロ」の数だった。
「……佐吉さん。このゼロの数、印刷ミスじゃないですよね?」
隣で死にそうな顔をしてお茶を飲んでいた佐吉に紙を見せる。彼は「ブフッ」と茶を吹き出した。
「あ……忘れてた」
「忘れてた、で済む額ではありませんよ!?」
「そ、それ……明日、取り立てに来るやつだ……」
佐吉の顔から血の気が引いていく。
「相手は、『黒鉄(くろがね)連隊』だ」
「連隊……? 軍隊ですか?」
「ああ。帝都でも指折りの武闘派軍閥だよ。武器の横流しとか、ヤバい商売をしてる連中でな……。期限までに耳を揃えて返さないと、屋敷ごと迫撃砲で爆破される」
私は思考停止した。
(明日? 爆破? 屋敷ごと?)
「倒産まで十四日どころか、あと十二時間で物理的に消滅(ロスト)するということですか……!?」
カツ、カツ、カツ……。
屋敷の外から、重々しい足音が響いてくる。それは下駄の音ではない。軍靴(ブーツ)の音だ。
「嘘でしょう……もうお見えになったのですか……?」
私は震える手でそろばんを構えた。計算違いも甚だしい。最強のヤクザの次は、帝国軍人。私の平穏な経理生活は、始まる前からクライマックスを迎えていた。


