私の離宮――通称『死神の檻』の奥にある調合室には、今日も鼻をつく異臭が充満していた。
土鍋の中でグツグツと煮立っているのは、鳥兜の根をすり潰した猛毒だ。本来ならどす黒く変色するはずの液体が、美しい紫の透明感を保っている。
「ふふ……やはり陛下の血は精力が強くて素晴らしいですね。これほどの猛毒を混ぜても色が濁らないなんて」
昨晩、寝る前の「お仕事(吸血)」で余分に頂戴しておいた陛下の血が、良い働きをしている。
このまま煮詰めれば、強力な鎮痛剤になるはずだ。あるいは、一滴で象を殺す毒にも。
私が上機嫌で鍋をかき混ぜていると、背後の障子が細く開き、人目を忍ぶような足音が滑り込んできた。
「……あら」
振り返った私は、少しだけ目を丸くした。
そこに立っていたのは、後宮を取り仕切る筆頭女官――椿だった。
私がこの後宮に「生贄」として連れてこられた初日、「田舎から来た薄汚い娘」と鼻で笑い、冷たくあしらったプライドの高い女官長だ。
しかし、今の彼女に当時の威厳はない。顔をすっぽりと厚い絹の被衣で隠し、ガタガタと小刻みに震えている。
「……お願い、薬師殿。わたくしの顔を、治して……!」
椿はその場に泣き崩れ、あろうことか、かつて見下していた私の足元にすがりついた。
彼女が震える手で被衣を取ると、そこには目を覆いたくなるような惨状があった。
かつて後宮一と謳われた白く美しい顔は、赤黒くただれ、所々に黄色い膿が浮いて崩れている。
「あらら。見事に爛(ただ)れましたね」
「……神殿が配っている、聖女様の『清め水』を使ったの。最初は、雪のように肌が白く輝いたわ。でも、次第に熱を持って痒くなって……今ではこの有様よ」
椿は嗚咽を漏らしながら語った。
神殿の聖女に祈祷を頼んだが、「信仰心が足りぬゆえ、内に秘めた邪気が溢れ出たのです。祈りなさい」と突き放されたという。御典医たちも「神の呪いには勝てぬ」と匙を投げ、絶望の果てに、彼女は「毒を操る魔女」と噂される私に縋ってきたのだ。
「なるほど、呪い、ですか」
私は同情する素振りも見せず、しゃがみ込んで椿の顔に近づいた。
クンクン、と犬のように匂いを嗅ぐ。
「……ほう。甘い匂いがしますね。それに、少し錆びたような鉄の味もする」
「ひっ!?」
私はためらいもなく、椿の頬に浮いた膿を指ですくい取ると、そのまま自身の舌先に乗せた。
ぴりり、と舌が痺れるような刺激。
間違いない。
「な、何を……!?」
「ああ、やっぱり。これは『呪い』なんかじゃありませんよ」
私はペッと傍らのちり紙に唾を吐き捨て、冷ややかに告げた。
「『鉛(なまり)』と『水銀』の毒です」
「なま、り……?」
「ええ。肌を白く見せるための白粉(おしろい)に微量に混ぜることはありますが……これは分量が狂っている。肌を腐らせて剥がし落とすための『毒薬』そのものですね」
神殿の聖女が配る奇跡の水。
その正体は、高濃度の重金属が溶け込んだ劇薬だったのだ。
「そ、そんな……聖女様のお水が毒だなんて……嘘よ、信じられないわ!」
「信じるも何も、現に貴女の顔が腐り落ちようとしているのが何よりの証拠でしょう?」
現実から目を背けようとする椿に、私は淡々と事実を突きつける。
「治せますよ」
「えっ……」
「この『解毒の泥膏(でいこう)』を塗れば」
私は棚の奥から、ドブのような異臭を放つ真っ黒な壺を取り出した。
「ただし、鉛と水銀を肌から吸い出す過程で、顔の皮を剥がされるような激痛が伴います。それに、完全に跡が消えるまで三月(みつき)はかかるでしょうね」
「か、構わないわ!元の顔に戻るなら、どんな痛みだって……!」
椿の目に、すがりつくような執念の火が灯る。
私はニヤリと笑った。極上の症例と、未知の薬を手に入れた子供のような、無邪気で残酷な笑みだっただろう。
「では、商談成立ですね。お代は金銭ではなく、現物でいただきましょう」
「げ、現物……?」
「その毒入りの水……『清め水』とやら、まだお持ちですよね?残っている分、すべて私にください」
椿は震える手で、懐から美しい装飾が施された小瓶を取り出し、私に差し出した。
私はそれを受け取ると、容赦なく椿の顔に真っ黒な泥膏を塗りたくった。
「ぎゃああああああああっ!!」
顔の表面で毒と薬が激しく反発し、肉を焼くような音が鳴る。
床を転げ回って絶叫する女官長の断末魔を背景に、私は手に入れた「聖女の小瓶」を灯りの火にかざした。
ゆらゆらと揺れる透明な液体は、恐ろしいほどに純度が高い。
(これほど巧みに精製された毒……興味深い。成分を突き詰めれば、『新しい薬』が作れるかもしれない)
玲は小瓶を見つめたまま、ポツリと呟いた。
「さて……神殿の方々は、随分と『効く』毒をお持ちのようで」
土鍋の中でグツグツと煮立っているのは、鳥兜の根をすり潰した猛毒だ。本来ならどす黒く変色するはずの液体が、美しい紫の透明感を保っている。
「ふふ……やはり陛下の血は精力が強くて素晴らしいですね。これほどの猛毒を混ぜても色が濁らないなんて」
昨晩、寝る前の「お仕事(吸血)」で余分に頂戴しておいた陛下の血が、良い働きをしている。
このまま煮詰めれば、強力な鎮痛剤になるはずだ。あるいは、一滴で象を殺す毒にも。
私が上機嫌で鍋をかき混ぜていると、背後の障子が細く開き、人目を忍ぶような足音が滑り込んできた。
「……あら」
振り返った私は、少しだけ目を丸くした。
そこに立っていたのは、後宮を取り仕切る筆頭女官――椿だった。
私がこの後宮に「生贄」として連れてこられた初日、「田舎から来た薄汚い娘」と鼻で笑い、冷たくあしらったプライドの高い女官長だ。
しかし、今の彼女に当時の威厳はない。顔をすっぽりと厚い絹の被衣で隠し、ガタガタと小刻みに震えている。
「……お願い、薬師殿。わたくしの顔を、治して……!」
椿はその場に泣き崩れ、あろうことか、かつて見下していた私の足元にすがりついた。
彼女が震える手で被衣を取ると、そこには目を覆いたくなるような惨状があった。
かつて後宮一と謳われた白く美しい顔は、赤黒くただれ、所々に黄色い膿が浮いて崩れている。
「あらら。見事に爛(ただ)れましたね」
「……神殿が配っている、聖女様の『清め水』を使ったの。最初は、雪のように肌が白く輝いたわ。でも、次第に熱を持って痒くなって……今ではこの有様よ」
椿は嗚咽を漏らしながら語った。
神殿の聖女に祈祷を頼んだが、「信仰心が足りぬゆえ、内に秘めた邪気が溢れ出たのです。祈りなさい」と突き放されたという。御典医たちも「神の呪いには勝てぬ」と匙を投げ、絶望の果てに、彼女は「毒を操る魔女」と噂される私に縋ってきたのだ。
「なるほど、呪い、ですか」
私は同情する素振りも見せず、しゃがみ込んで椿の顔に近づいた。
クンクン、と犬のように匂いを嗅ぐ。
「……ほう。甘い匂いがしますね。それに、少し錆びたような鉄の味もする」
「ひっ!?」
私はためらいもなく、椿の頬に浮いた膿を指ですくい取ると、そのまま自身の舌先に乗せた。
ぴりり、と舌が痺れるような刺激。
間違いない。
「な、何を……!?」
「ああ、やっぱり。これは『呪い』なんかじゃありませんよ」
私はペッと傍らのちり紙に唾を吐き捨て、冷ややかに告げた。
「『鉛(なまり)』と『水銀』の毒です」
「なま、り……?」
「ええ。肌を白く見せるための白粉(おしろい)に微量に混ぜることはありますが……これは分量が狂っている。肌を腐らせて剥がし落とすための『毒薬』そのものですね」
神殿の聖女が配る奇跡の水。
その正体は、高濃度の重金属が溶け込んだ劇薬だったのだ。
「そ、そんな……聖女様のお水が毒だなんて……嘘よ、信じられないわ!」
「信じるも何も、現に貴女の顔が腐り落ちようとしているのが何よりの証拠でしょう?」
現実から目を背けようとする椿に、私は淡々と事実を突きつける。
「治せますよ」
「えっ……」
「この『解毒の泥膏(でいこう)』を塗れば」
私は棚の奥から、ドブのような異臭を放つ真っ黒な壺を取り出した。
「ただし、鉛と水銀を肌から吸い出す過程で、顔の皮を剥がされるような激痛が伴います。それに、完全に跡が消えるまで三月(みつき)はかかるでしょうね」
「か、構わないわ!元の顔に戻るなら、どんな痛みだって……!」
椿の目に、すがりつくような執念の火が灯る。
私はニヤリと笑った。極上の症例と、未知の薬を手に入れた子供のような、無邪気で残酷な笑みだっただろう。
「では、商談成立ですね。お代は金銭ではなく、現物でいただきましょう」
「げ、現物……?」
「その毒入りの水……『清め水』とやら、まだお持ちですよね?残っている分、すべて私にください」
椿は震える手で、懐から美しい装飾が施された小瓶を取り出し、私に差し出した。
私はそれを受け取ると、容赦なく椿の顔に真っ黒な泥膏を塗りたくった。
「ぎゃああああああああっ!!」
顔の表面で毒と薬が激しく反発し、肉を焼くような音が鳴る。
床を転げ回って絶叫する女官長の断末魔を背景に、私は手に入れた「聖女の小瓶」を灯りの火にかざした。
ゆらゆらと揺れる透明な液体は、恐ろしいほどに純度が高い。
(これほど巧みに精製された毒……興味深い。成分を突き詰めれば、『新しい薬』が作れるかもしれない)
玲は小瓶を見つめたまま、ポツリと呟いた。
「さて……神殿の方々は、随分と『効く』毒をお持ちのようで」
