不死身の悪女は、殺人衝動を持つ皇帝陛下に毎晩殺されたい~66日間の溺愛契約~

呉田江商会の正門前は、瞬く間に一触即発の戦場となった。
立ち塞がるのは、数十人の私兵。彼らは一斉に弓を引き絞り、我らが皇帝陛下へ向けて矢の雨を降らせた。

だが、紫堂焔という男は、歩み一つ止めなかった。

ヒュン、ヒュンと風を切る音。
彼は手にした愛刀で、眉間や心臓へ向かう致命の矢だけを最小限の動きで弾き落とす。
そして――避けきれなかった、あるいは「避ける労力を割くに値しない」と判断された数本の矢が、ドス、ドスと鈍い音を立てて、彼の肩や腕に突き刺さった。

「ヒッ……!?」

悲鳴を上げたのは、射手の方だった。
矢を受けた焔の表情は、ピクリとも動いていなかったからだ。
痛覚が存在しない彼は、自身の体に異物が突き刺さる異常事態を「服が汚れた」程度にしか認識していない。刺さった矢を抜こうとすらしないまま、減速することなく敵陣へ突っ込んでいく。

「く、来るな!化け物め!」

恐怖から半狂乱になった門番の一人が、槍を突き出した。
焔はそれを避けるどころか、あろうことか穂先を――鋭利な「返し」ごとを、素手で鷲掴みにした。

ジュワリ、と掌から鮮血が滴り落ちる。
しかし、金色の瞳は冷ややかなままだ。彼は槍ごと門番を力任せに引き寄せると、すれ違いざまに一刀のもとに斬り伏せた。

「ガハッ……」
「次」

その直後、生じた死角を突いて別の敵が躍りかかる。
だが焔は、体勢を立て直すことすらせず、常人であれば肩や手首の関節が痛みで悲鳴を上げるであろう異常な角度で刀を返し、背後の敵の首を容易く刎ね飛ばした。
宙を舞う首と血飛沫。
痛みという安全装置(タガ)が外れたその動きは、まさに狂戦士のそれだった。

「へ、陛下!お怪我が……っ!」

焔の頬や腕から流れる血を見て、後方にいた彩が悲鳴を上げた。
彼女は慌てて駆け寄ると、聖杖を高く掲げる。

「聖なる光よ、傷つきし身体を癒したまえ……!」

彼女の祈りに呼応し、温かな淡い光が焔を包み込む。肉が盛り上がり、傷口が塞がっていく。治癒の奇跡だ。

「……チッ。余計なことを。これくらい放っておいても死にはせん」
「ね、念のため……解毒くらいは……」
「その類の耐性はある」

焔は鬱陶しそうに舌打ちをし、血を拭った。
私はその光景をじっと見つめていたが、やがて視線を外し、独り言ちた。

「さて。私は私のやれることをしますか」

前衛では血風が舞い、後衛では聖なる光が輝いている。
私はそのどちらにも背を向け、私兵たちが落としていった武器の山へとしゃがみ込んだ。
私の興味は、刃に塗られた「猛毒」にしかない。

「ふふ、南方の痺れ薬に、これは……幻覚作用のある毒茸の粉末ですね」

鼻を近づけ、独特の刺激臭に頬を緩める。
素晴らしい。どれもこれも、裏の市場ですら滅多にお目にかかれない逸品ばかりだ。
私は持参した巨大な麻袋の口を広げ、次々と怪しげな薬品や、毒矢の鏃をウキウキと放り込んでいった。
陛下の怪我?聖女様が治しているのだから、私が案じる必要など一厘もないだろう。

「暴力」と「回復」と「没収」。
全く噛み合わない三人の連携により、私たち一行はあっという間に屋敷を制圧し、最奥へと到達した。

隠し通路の入り口。そこには、隠し金庫から重要書類や金塊を鞄に詰め込み、まさに逃亡しようとしていた小太りの男――呉田江の姿があった。

「そこまでです、呉田江どの!なぜあのような毒を流したのですか!」

彩が一歩前に出て、聖杖を握りしめながら訴えかける。

「誰かに脅されていたのなら話してください。今からでも悔い改めれば――」
「悔い改める?冗談を。神への祈りより、金貨の響きの方が大事なのでね!」

呉田江は彩の言葉を鼻で笑い飛ばした。歪んだ欲望に塗れたその顔には、反省の色など微塵もない。

「それに、俺にはまだ『最高の護衛』がいるのだ!さぁ来い!」

呉田江が隠し通路の奥から鎖を引いた。
ズルズルと重い音を立てて現れたのは、人間ではない。
四つの目を持つ、巨大な黒犬のような異形の獣だった。
グルルル……と低い唸り声を上げ、その呼気が床に触れると、石畳が黒く変色し、腐敗していく。

「こいつは南の密林から密輸した『瘴魔獣』だ!噛まれれば一瞬で全身が腐り落ちるぞ!」
「魔物……!そんな恐ろしいものを飼い慣らしていたなんて!」

彩が怯えつつも、私たちを庇うように前に出る。

「ほう。少しは骨がありそうなのが出てきたな」

陛下が刀を構え、獰猛な笑みを深めた。
そして、私だ。
私は恐怖するどころか、眼球が乾くほどに目を見開き、背中の麻袋を握りしめて叫んだ。

「四ツ目の瘴魔獣……!文献でしか見たことがない固有種です!」

全身の血が沸騰するような高揚感が駆け巡る。ただの悪徳商人討伐が、まさかこんな特大の供給会場になるとは!

「陛下、お願いします!脳髄と肝臓は極上の薬の触媒になるので、絶対に潰さないでください!綺麗に首だけを落とすのです!」

私の絶叫に、その場の全員が一瞬だけ動きを止めた気がした。