処刑人の執着愛 成り下がり才女は死神に寵愛される


「紫弦様!」
「紗那!なぜこんな時間に、っ、今は僕に近づくな!」
「お顔が赤いです! まさか、毒を盛られたのですか!?」
「いや……毒ではなく、自白剤だ。少しばかり気分が悪くなるだけだから、あまり今の僕には触れないでくれ」

 紫弦の頬は赤く熱を持ち、呼吸は荒く不規則だ。
 遠目からみれば酔いが回ったようにも見えなくは無いが、決してそのようなものではない。

 自白剤と言っても、祓師に使うような代物であれば体内の霊力に悪影響を及ぼすと相場が決まっている。
 その程度の知識は、紗那とて忘れていない。
 
「そんなことを言って、とても苦しそうじゃないですか! 式神の姫君様をお呼びしましょう! このままでは倒れてしまいます」
「だから、僕に触るな!」
「っ!」

 紫弦の手を引いて先程の式神の元へ戻ろうとするが、彼は紗那の手を跳ね除けた。
 だが、紗那はそこで諦めたりはしなかった。

「いいから、早く横になってください! すぐに処置をしないと、あとが大変でしょう!」

 紗那は強引に紫弦を連れて自室の布団に転がし、姿を消した式神に声をかける。

「姫君様! どうか私をお助け下さい!」

 紗那の霊力はまだ回復しておらず、大した処置はできない。
 だが、紫弦の式神が力を貸してくれるのなら話は別だ。

「はぁ……まったく、仕方の無い二人じゃのう」
芙蓉(ふよう)、お前にそんなことを命じた覚えは無いぞ!」
「なんじゃ、わらわがおらぬとそのような体たらくであると言うのによく偉そうな口がきけたものよな」

 美姫の名は芙蓉と言うらしかった。
 彼女は紫弦の制止を笑い飛ばし、そのまま紗那に憑依する。
 全身に凄まじい霊力が流れ込んでくるのを感じながら、紗那は紫弦に治癒術を施す。

「生々流転の徒よ、憂世の濁りを祓たまえ――――――」
「待て、紗那……っ!」

 治癒術を施すのはずいぶんと久しぶりのことだった。
 霊力を失って久しく忘ていた感覚が紗那の体中を駆け巡り、四肢を痺れさせながらも術を紡ぐ。
 紫弦の喉元に手をかざせば、淡い光が溢れ出て、静かに紫弦の体を癒していく。

 どれ程の時間そうしていたのか。
 気が付けば光は収まり、紫弦がゆっくりと上体を起こす。

「紫弦様、お加減はもうよろしいのですか」
「……なんて無茶を。こんなもの、少し耐えればすぐ収まったはずだ」

 式神の力により、確かに快復したはずだ。
 だが、紫弦はずっと険しい顔をして紗那を見つめる。

「君は自分の体がどうなっていたのか、知らないのか? 霊力を司る器官が著しく損傷し、元に戻るまでかなりの時間を要したはずだ。それを、式神を憑依させ急激に力を使うなど……!」
「ごめんなさい。……でも、紫弦様が苦しむお姿は見たくなかったのです」
「……理解できないな」

 紫弦はため息を吐きながら、息苦しいとばかりに軍服の襟元を開く。
 任務の途中で薬を盛られたのだろう。
 式神の芙蓉を置いていったから、守りの力が不足していたのではないかと紗那は気がつく。

(もしかして、私のせいで紫弦様が……)

 しかし、その芙蓉本人の声が紗那の思考を遮る。

「これこれ坊主。そのような言い草では、嫁御が可哀想であろうに」
「芙蓉。表に出るなと言ったはずだが」
「嫁御と会話をするなとは命じられておらぬ。憑依することも禁じられていなかった。それは坊主の落ち度であろう」
「……どういうつもりだ」
「どうもこうも。そなたたちがあまりにもどかしいものでな。いっそ、薬が効いたままの方が良かったかのう?」

 からかうような口ぶりでそう言い残すと、彼女はまた宙に消えてしまった。
 二人きりにされてしまい、気まずい空気が流れる。
 こんな時に限って、『読心』はすっかり内に身を潜めてしまったようだ。

「……紗那、悪かった」

 先に口を開いたのは紫弦だった。
 
「酷いことを言うつもりはなかったんだ。助けてくれたことには感謝する。だが、自分を犠牲にするようなことは二度としないでくれ」
「紫弦様……」
「君が傷つくところは、もう二度と見たくないんだ」

 また、紫弦が寂しそうな顔をする。
 二度と、ということは一度目を指しているのはひとつしかない。
 
「それは、私がお兄様に歯向かい、自らの身を滅ぼした時のことですか」
「……ああ」
「なぜ、紫弦様があのことを悔やむのです? 私は既に正当な処罰を受け、特務機関を離れました」
「あれのどこが正当な処罰だ。あんな術にすら気づかず、特務機関の半数がいいように躍らされ、何度馬鹿げていると思ったことか……」

 紫弦の声からは、憎しみがありありと伝わってきた。

「君と兄上にまつわる一連の事件、全てそこに君の意思は存在していなかった。そうだろう、違うか?」
「……初めてです。一番仲良しの女中以外で、それに気づいてくださった方は……」

 紗那は嘆息する。
 紗那の意思とは関係なく体が動いていた、なんて誰も信じてはくれないだろうと思っていたのに、紫弦の方から指摘されるとは。
 紫弦が世間の悪評を信じていないと分かっただけでも、嬉しくて涙が出そうで、紗那はぐっと堪える。
 
「はっきり言わせてもらおう。紗那、君の兄上は狂っている」

 紫弦ははっきりと紗那の目を見てそう言った。
 確かに何を考えているのか分からない人だとは思っていたが、どうやら兄は紫弦にそう評されるほどの悪事を働いていたらしい。
 
「では……私を娶ったのも兄上様が理由なのですか?」

 紫弦は眉を寄せて困ったように答える。

「そうではない、と答えれば嘘になる。だが、任務のために君を利用しようとしたのではない。君を守るために、僕は君を娶ることにした」
「守る、ために?」
「先に声をかけてきたのは喜瀬からだ。おそらく自身が監視対象であると察した上での行動であり、あれは僕に対する挑発でしかなかった。だが……これ以上君を神ノ倉の屋敷に置いておくことはできないと直感した。だから彼の申し出に応じ、君を屋敷から連れ出すことにした。これ以上君があの男に壊されたら、それこそ死んでも後悔するからな」

 自白剤の効果自体はまだ残っていたのか、紫弦は全てを打ち明け始める。
 
「ですが、壊されるなんてそんな大袈裟な」
「君の霊力を奪ったのも全て喜瀬だろう。肉体も精神も傷付け、これ以上ないほどにいたぶった男だ」
「それは、お兄様にとっては正当防衛で……」
「理解しているというのに、目を背けるのは推奨しない。君は異母兄に嵌められたんだ。一連の事件は全て全て喜瀬の自作自演でしかない」

 紗那は思わず押し黙る。
 何者かによって自分の意思を奪われ、なんて、何者かの部分に当たる人物名はとっくに理解していた。
 仮にも才女と呼ばれていたのだから、その程度、察しがつかないほど愚かな頭ではない。
 だが、理解したところで現実は変わらない。
 世間にとって紗那は悪女であり、喜瀬は輝かしい未来を約束された跡継ぎだ。

「まあ、それ以外にも彼には不審な点がいくつもある。紗那との事件がなかったにせよ、いずれ処刑人として相見えることは決まっていた話だ」
「そう、ですか……」
「『処刑人』は特定の祓師に肩入れすることは不正にあたる。決してしてはいけないことだが、そのせいで僕は君を見殺しにしたも同然だ」
「何を言うのですか! 見殺しなんて、そんなことは誰も思いません!」

 紫弦の職務に兄妹間の跡継ぎ争いの仲裁は関係ないことだ。
 監視対象となったのはその争いが特務機関に実害を及ぼしたためであり、それさえなければ紫弦は喜瀬に手出しできなかっただろう。
 それにあの頃、紗那と紫弦の縁はとうの昔に切れていた。
 けれど、どれほど理由を並べ立てたところで紫弦は頑なに譲ろうとしなかった。
 
「僕が納得できないんだ。僕はいつも、本当に守りたいものばかり失ってばかりで……っ」

 そこまで口にしてから、彼は気がついたかのように突然口を閉ざす。

「ダメだな。まだ薬が残っている。これ以上はやめておこう」

 紫弦は立ち上がる。自室へ戻るのだろう。

「紫弦様、最後にひとつだけ聞いても良いでしょうか」
「……ああ」
「紫弦様は、お兄様を処刑した後でも、私をそばに置いてくださいますか」

 紗那の問いかけに、紫弦は振り向かないまま答える。
 
「……僕の伴侶となる人間には、少なからず危険が及ぶ。それでも君が望むのなら、僕は君を……」

 彼は最後まで言わず、出ていってしまった。
 再び部屋の中には静寂が戻る。
 いつの間に降り出したのか、気が付けば窓の外から雨音が聞こえてきた。
 


 ***



 愛してしまった。
 愛してしまったのだ、あの可憐で気高い鈴蘭を。

 自室に戻った紫弦は、深く呼吸を整えながら軍服を脱ぎ捨てる。
 普段なら絶対にしないような乱雑なしぐさだったが、構わず布団に倒れ込む。

(あんな姿を見せて、嫌われたとばかり思っていたのに……)

 紗那はきっと自分のことなどとうに忘れているだろうとばかり思っていた。
 それなのに、襲撃者たちを切り捨て血を被った姿を見ても、彼女は紫弦が『紫弦にいさま』であるとはっきり認識していた。
 それどころか、どれほど冷たく当たって遠ざけようとしても懲りずに関わろうとしてくる。

 異母兄に陥れられ全てを失ったというのに、なぜあれほど清らかな笑顔でいられるのか。
 紫弦にはそれがどうしても信じられなかった。

 未だ闇に囚われている自分と違い、どれほど地の底に落ちようとも決して自分を見失わなかった彼女が眩しくて、触れてしまうことすら怖かった。

 どんな敵でも切り伏せてきたこの自分が、今更他人を愛することに怯えてしまうなど、捕らえてきた数々の犯罪者たちが聞いたらきっと笑い転げるだろう。
 
『では、どのようにお呼びいたしましょう。紫弦様、それとも、紫弦にいさまと?』

 あのいたずらっぽい笑みが、今でも頭から離れない。
 紗那を遠ざけようとすればするほど彼女が忘れられなくなり、気が付けば頭の中は紗那でいっぱいだった。

 それなのに、近頃突然避けられるようになり、紫弦は悶々としていた。
 やはり、自分のような粗忽者は嫌だっただろうか。
 自分から遠ざけよとうしておきながら、いざ逃げられると苦しくて仕方がない。
 自己矛盾に混乱しながらも、職務だけは真っ当せねばと感情を必死に消そうとしていれば、結果このザマだ。

(僕は一体、何をやっているんだろうな……)

 素直に認めてしまえば良いものを。
 式神の囁く声を無視して、目を閉じ暗闇に身を任せる。

『でも、紫弦様が苦しむお姿は見たくなかったのです』

 目を閉じても、浮かぶのは紗那のことばかりだった。
 紗那には逃避を責めておきながら、自分自身は紗那への感情を無かったことにしようと必死になっている。
 
 けれど、紫弦の心はとうに紗那への執着で埋めつくされていた。
 
(紗那の心を支配する唯一の存在でありたい。紗那のものになりたい。穢れきったこの僕を、唯一照らしてくれるあの笑顔を、誰にも渡しはしない……)

 結局のところ、紫弦はとっくのとうに紗那のことが好きで好きで仕方がなくなっていた。
 自分にはない清廉さを持つ存在であるからこそ憧れ、希うほどに愛おしく求めてしまうのだろう。
 ある種の崇拝に近い、執着心は消えるどころか増幅してやまない。

 任務が終わったら、安全な働き口を紹介し当面の生活を工面してやるつもりだった。
 彼女の身内を処刑すれば、少なからず彼女にも被害は及ぶ。
 それゆえ、彼らの提案に乗ったふりをして紗那を連れ出した……ただ、それだけのはずだった。
 きっと彼女は自分のような人殺しとは共にいられないだろうと思っていたからだ。
 
 けれど、あの問いの返答次第で紫弦はもう二度と紗那を逃がしてはやれなくなるだろう。


 窓の外の雨音が、いやに耳につく。
 今夜は眠れそうになかった。