そして迎えた嫁入り当日、紗那は思いのほか落ち着いていた。
紗那よりも里枝の方が衝撃を受けて、大いに悲しんでくれていたからだ。
『お嬢様のことは、ずっとずっと大切に思っております……!』
里枝はそう涙ぐみながら送り出してくれた。
彼女を連れて行けなかったのは心残りではあるが、歓迎されないに決まっているような場所に、里枝を連れていくことはできない。
これまで尽くしてくれた大切な人を、危険な目に合わせるにはいかなかった。
(私がどれだけおかしくなっても、里枝さんだけは私を信じて待ち続けてくれた。だから、もう二度と里枝さんを心配させるようなことは絶対にしないわ)
竜堂家でどのような扱いを受けようが、耐えてみせる。
長い冬を耐え忍んでいれば、いつか雪解けが来ると紗那は知っていた。
(さあ、気持ちを切り替えていきましょう。もし本当に当主が紫弦にいさまなら、きっとなんとかなるわ)
嫁入り行列の中心、紗那は内心で自らを奮い立たせる。
嫁入り行列に加わる彼らはみな神ノ倉一族に連なる者で、祓師であった。
『読心』を使わずとも、彼らは紗那の嫁入り行列という名目の護送という役割に不満げだったのは言うまでもない。
居心地の悪い月明かりの下、ようやく竜堂家の屋敷に到着した、その時だ。
「覚悟!」
バンッと耳をつんざく発砲音が響く。
途端、付近の屋根から複数の男たちが飛び降りてきて紗那を取り囲む。
「きゃっ!」
発砲は陽動のためで、そちらに意識が取られ誰も紗那を庇うことはできず、見事に捕まってしまった。
「敵襲! 敵襲だ!」
撃たれたのは先頭にいた男だった。
右腕を撃たれたようで、彼は腕を抑えながら叫ぶ。
周りの祓師たちは懐から刀や武器を取り出して臨戦態勢を取るも、紗那が刀を喉元に突きつけられているせいで身動きがとれないようだ。
『処刑人に読心の能力なんぞ渡してなるものか! 今ここで花嫁を奪い、読心の力を我々のものにしてやる!』
異能力で男の思考を読み取る。
狙いは紗那のようだ。
(処刑人に恨みのある連中が花嫁を強奪しに来た、というところかしらね)
緊迫した状況に手汗が滲む。
これまで任務で危険な目には何度もあってきたが、今の紗那は白無垢で丸腰状態だ。
おまけに式神も失っているものだから、とても戦力にはならない。
「早く逃げて救援を――――ぁっ!」
「騒ぐな! よく聞けお前たち! 神ノ倉の娘は我々が頂く! これは処刑人どもに対する宣戦布告だ!」
強引に紗那の口を片腕で塞いだ男は、高らかに宣言する。
締めあげられる形になり、息苦しくてもがこうとするも逃れられない。
「貴様ら、三年前の離反者どもだな!」
誰かが声をあげた。
どうやら紗那の予想通り、特務機関の元祓師で処刑人に対する恨みからの犯行のようだ。
「そうだ、我々の同胞が与えられた苦しみを奴に味あわせてやるのだ! 我らの思想を理解せず、一方的に残虐な処罰を下したあの死神に正義の鉄槌を――――」
男が突然口を閉じる。
どうしたのかと思えば、顔を真っ赤にして口元を掻きむしり始めた。
異様な光景に、周囲も戸惑う。
自らの意思で閉じたのではなく、まるで閉じられたかのような動きだ。
「――――誰が、誰に、何をするって?」
聞こえてきたのは、低く冷淡な声だ。
足音と共に、特務機関の軍服をまとった青年が歩いてくる。
凛とした佇まいが月明かりに照らされ、黒曜石のような瞳は鋭い眼光を放っている。
ふわりと夜風が彼の濃紺の髪を揺らし、軍服の裾をはためかせた。
「懐かしいな。藤島に西部、川本、五十嵐、三田、東、それに小宮山か。出所はまだ当分先だったと記憶しているが……」
一人一人の名前を読み上げてから、その青年は腰に携えた刀を抜く。
神々しさすら感じさせる姿に、周囲は畏怖の念を抱いていた。
「どうやら、処罰が物足りなかったようだな」
「竜堂だ! こ、殺せ!」
叫んだ男が拳銃を構える。
だが、銃弾が放たれるより先に真っ赤な鮮血が飛び散った。
軍服の青年が……処刑人の竜堂が、彼を斬ったのだ。
「軽く表面を裂いただけだ。致命傷じゃない」
返り血を浴びて、彼の軍服が赤黒く染まっていく。
つんとした匂いが充満し、あまりの緊張感に祓師たちもごくりと唾を飲んでいる。
「貴様ァッ! 覚悟しろ!」
「次はお前か」
刀を抜いて向かってくる男に対し、竜堂は刀に付着した血を振り払うと、今度は祓術を展開させた。
「動くな。さもないと四肢が斬り落ちるぞ」
一瞬、きらりと輝くものが彼の手に見えたと思えば、周囲に銀糸が張り巡らされる。
糸は全て彼の片手から放たれていた。
ただの糸ではなく、恐らく鋼鉄の類いであることは肌がひりつくような霊力の波動から察せられるだろう。
「花嫁を解放しろ。お前たちを斬るのはそれからだ」
一瞬で劣勢に立たされた離反者たちは、顔を見合せている。
逆転の機会を測るつもりなのだろうが、既に一人は血だらけで泡を吹いて倒れてしまった。
竜堂はまるで汚いものでも見るかのような目で、彼らを見やると悠々とこちらへ向かってきた。
「さあ。その女を渡せ」
「くっ、貴様の好きにさせてたまるものか――――――ぎゃぁぁぁぁ!」
ぶしゃぁっと目の前で飛び散った液体が、紗那の視界を赤く染める。
同時に、紗那を締め付けていた重さが消える。
ぼとり、と重いものが落ちる音が聞こえた。
「ひぃっ……!」
男の腕を竜堂が斬り落としたのだと、見ずとも理解した。
もはや我慢の限界とばかりに、離反者たちが怒号と共に一斉に飛びかかってくる。
剣戟と叫び、そしてむせ返るような血の匂い。
目の前で巻き起こる激しい戦いの中で、紗那の目を惹きつけたのはただ一人だった。
「紫弦にいさま、なの……?」
男たちを容赦なく切り伏せ、全身に血を浴びている男は、かつて兄と慕った少年の面影を残していた。
だが彼に手を伸ばそうとしても、血なまぐさい匂いに強烈な吐き気を催すと共に紗那の視界が暗くなっていく。
まるで鬼神のような気迫だが、その目はどこまでも冷たく、一切の感情が見受けられない。
「この、死神がぁっ!」
「喚くな。下衆共が」
かつて自身に微笑みかけてくれた少年と、返り血を滴らせる武人が重なっては離れていく。
また一人、地に伏していくのを横目に、紗那もまた崩れ落ちてしまった。
***
「……っ!」
飛び上がって息を吸い込む。
恐ろしい悪夢を見ていたようだ。
必死に呼吸を整えるが、寝間着は汗でびっしょりと濡れていて着心地が悪い。
「うぅ……り、里枝さん……いるかしら……」
里枝を呼ぼうとして、見慣れない部屋にいることに気づく。
眠っていたのは柔らかい布団の上で、着ている服もいつもの着古した浴衣と違う。
薄暗い部屋は紗那の暮らしていた離れと違い広く、調度品も多く置かれて一目で知らない場所だと気がついた。
「ここは……」
「目が覚めたか」
低い声にびくりと肩が跳ねる。
見覚えのある青年の姿が、行灯の薄明かりに照らされていた。
「改めて名乗らせてもらおうか。僕は竜堂紫弦。君の夫だ」
「か、神ノ倉紗那と申します。不束者ですが、なにとぞよろしくお願い申し上げ……」
「そういう堅苦しいものはやめてくれ。それよりも、もう少し休むといい」
姿勢を正そうとしたところで制され、紗那は大人しく布団の上に腰を下ろす。
「ここは僕の屋敷だ。婚儀の途中で脱獄犯どもの襲撃にあい、気絶した君を預からせてもらった。ここまでは理解できるな?」
こくりと頷いた。
「あの、皆様にお怪我はありませんでしたか?」
「ああ。祓師たちに負傷者はいない。しかし、目が覚めて真っ先に他人の心配とはな」
表情は変わらないものの、その声色には呆れが混ざっていた。
「その……あの方々は、一体どうして私を……」
「あれは僕が数年前に捕まえた、組織の転覆を企み外部への情報漏洩に加え、横領や不法な武器の取引など様々な罪を重ねた者たちだ。君を攫い危害を加えようとしたのは、僕への逆恨みだろう。全員制圧したから、もう怯える必要はない」
「そうでしたか。助けていただいき、ありがとうございます」
紗那がほっとしながら紫弦に礼を言えば、彼は眉をひそめた。
「なぜ頭を下げる。君は僕の妻だ。妻を守るのは夫の役目であり、当然の義務だろう」
怒っていると言うよりも疑問に思っているような口ぶりだった。
そんなことを言われるとは思いも寄らなかったので、紗那も驚いてしまう。
「ですが、ご存知の通り私は……」
「君と異母兄の確執など、僕の知ったことではない。その件についてこちらから干渉することはしないし、同情もしない。理解したのなら、今後僕にあの男の話はしないでくれ」
「わ、分かりました」
紗那との結婚を勧めたのは喜瀬だと聞いていたが、紫弦は異母兄の話は聞きたくなさそうだった。
険しくなった表情に、紗那は少しだけ怯えを感じてしまう。
だが紫弦は紗那に構わず、淡々と話を進める。
「悪いが、夜は使用人を帰らせているから僕しかいないんだ。夜が明ければ通いの女中が来るから、身支度は彼女に頼んでくれ」
「はい」
「それと、僕の部屋には立ち入らないように。屋敷の中は自由に過ごしていいが、しばらく勝手な外出は控えてくれ。僕の結婚を聞きつけた奴らが、今回のように襲撃してくるかもしれないからな」
「承知しました」
「子どもを作るだとかはまだ考えなくていい。そんな細い体では子を産んだら死んでしまうだろう。しばらくは屋敷で休養するように」
「そう、仰るのでしたら……」
冷たく聞こえる口調だが、内容はその実紗那の身を案じているようにしか聞こえない。
(やはり、彼は私の知っている優しいにいさまのままなのかも……)
紗那に対する暴言も嫌悪もなく、ただ休養し外敵には用心するようにという話をしているだけだ。
「他に聞きたいことはあるか」
「ひとつだけ、よろしいでしょうか」
このまま黙っておくこともできたが、紗那はどうしても気になってしまった。
「あなたは……にいさまなのですか?」
一瞬、紫弦は目を見開いて固まった。
だがそれもわずかな間であり、すぐに彼は元の冷淡な表情に戻る。
「――――――さあ。覚えがないな」
感情のこもらない、ひどく冷たい声だった。
彼はそのまま身を翻して部屋を出ていく。
だが、紗那はたったその一言で確信した。
(間違いなく、彼は紫弦にいさまだわ)
なぜなら、紗那は『読心』で彼の心の声を聞いていたからだ。
『紗那は、覚えていたのか……。今度こそ、僕が君を守る』
襖の向こうでは、紫弦の声は続いている。
『だが、穢れきったこの手では紗那に触れることすら許されないだろう。それでも、僕は君を……』
遠ざかってしまい、最後までは聞こえなかった。
それでも、紗那には十分すぎるほどだった。
かつて兄と慕っていたあの日々を紫弦は決して忘れてなどいなかった。
幼少期、共に特務機関を支える未来の祓師として同じ師に師事し、それからあの事件が起きるまではずっとそばにいた。
(にいさまは、ご両親を失って変わってしまった。けれど、その心は昔と変わらず優しいままだわ)
紗那と紫弦に祓術を教えたのは、祓師であり紫弦の両親でもある竜堂夫妻だった。
あの頃は、竜堂一家が裏の支配者一族だなんてことも知らず、ただ父の同僚の夫妻として接しており、母を早くに亡くし親の愛情を知らなかった紗那を父の代わりに可愛がってくれた人たちでもあった。
だが、特務機関で大きな内乱が起こり、竜堂夫妻は犠牲となった。以来、紫弦との交流は無くなり、紗那も神ノ倉の後継者として家の中で厳しく育てられるようになり、顔を合わせることも近況も知ることはなくなった。
(まさか、にいさまと結婚するとは思いもよらなかったけれど……)
処刑人とも言われるように、彼らは祓師を監視する役割を担うため一般的にその素性は秘匿されている。父や喜瀬のように上位の立場にいれば少しは内情を知るだろうが、紗那の場合は現在の執行官が誰なのか当然他の祓師同様に知らず、竜堂一族の現状を知るすべもなかった。
実際に紗那が狙われたように恨みを買うような役回りであるため、自衛の意味もあって正体を明かせなかったのだろう。
「にいさまと、また会えて良かった……」
自らの意思ではなかったとしても、既に罪を犯し特務機関を追われた身である自分が、紫弦と再会できるとは夢にも思わなかった。
それも、夫婦として。
(彼のことを、もっと知りたい)
『読心』の制御はすっかり失ってしまったが、もう少しだけ、紫弦の本心に触れたかった。
それは、自分のためではない。
紫弦の心の声が、あまりにも寂しくて、苦しそうだったからだ。
紗那はこれからのことを考えながら、夜が明けるのを待ち続けた。



