処刑人の執着愛 成り下がり才女は孤高の死神に愛される


竜堂(りんどう)さん。我が家の愚妹を娶ってくれませんか」
「……は」

 突然の申し出に、紫弦(しづる)は上手く返事が出来なかった。

 官舎ですれ違いざまに挨拶をしただけなのに、まるで世間話のように神ノ倉喜瀬(かみのくらきせ)はそんなことを言ってきたのだ。

「神ノ倉殿、それはどういう……」
「言葉通りですよ。我が愚妹を、あなたに差し上げるというのです。先日は大変お世話になりましたから、そのお礼ですよ」

 唇は笑みを形作っているはずなのに、目の奥は笑っていない。
 かつて世に出たばかりの頃と違い彼は感情を覚えたらしいが、紫弦にはその笑みが血の通わない人間のそれにしか見えなかった。

「神ノ倉殿、そういった質の悪い考えはやめた方が良い。今なら聞かなかったことにしよう」
「いらないんですか? だって、竜堂さんはあれをずっと欲しがっていたでしょう。あげますよ。もう我が家にはいらないので」
「……神ノ倉殿、やめよと言ったのが分からないか。第一、妹君を物のように扱うのはよせ。いくら諍いがあったとはいえ、いつまでもそのような振る舞いをしていては君の評判にも関わるだろう」
「まあそう言わず。今のあれを一目でも見れば、すぐに気が変わりますよ」

 神ノ倉喜瀬の妹、それはかつて紫弦を兄と慕ってくれていた少女であり、名門神ノ倉一族の唯一の後継者であった人だ。

 名は、紗那(しゃな)

 今や世間は彼女を落ちぶれたと嘲笑い、忌み嫌っていた。


 ことの発端は、神ノ倉家当主が『長男』を連れてきたことからだ。

 喜瀬という名の彼を当主は外の愛人に産ませた子どもだと言い、柔和な顔立ちの美男子ではあったが、ひどく冷たい目をしていて常に生気のない無表情をしていた。

『これより、喜瀬を我が神ノ倉の次期当主する』

 当主の宣言がなされたのは、喜瀬を迎える宴の場だった。
 

 古来よりこの国には物の怪が溢れ、時に人々の生活を脅かしていた。

 それらを討伐するため帝の元に集ったもの達を祓師と呼ぶ。

 三百年閉ざしていた港を開き西洋の文化が流入するようになり、国の在り方が変わると共に祓師も国軍の特務機関に編成され、現在も全国各地で戦い続けている。
 
 神ノ倉家は古くから帝に仕えてきた名門一族であり、特務機関でも重役として頂点にあり続けていた。

 その血筋を持つ青年が突如として現れ、凄まじい実力を見せつけたのだ。
 
 何の訓練もなしに恐ろしいほどの強力な式神を操り、次々と敵を討ち取る彼を見て、誰もが祝いの声を上げた。

 本来の次期当主であった、紗那以外は。

 幼い頃から式神を操る訓練を重ね、厳しい戦場であっても凛とした佇まいで出陣し、前線で戦い続けてきた彼女を、人々は『高嶺の花』『戦女神』などと呼んで祭り上げていた。

 紗那が神ノ倉の当主となれば、物の怪狩りも格段に戦果をあげることになるだろうと、彼女の未来に誰もが期待を寄せていた。

 紗那もそれに応えるように日々戦いに身を捧げ、次期当主に相応しい品格と知恵を養い、誰よりも立派な祓師として成長した。

 しかし、喜瀬の登場により紗那の立場は全て取って代わられることになる。
 次期当主は喜瀬に、戦果は喜瀬のものに、人々の歓声と期待は喜瀬だけに。

 紗那が落ちぶれていくのは早かった。

 彼女は選択を誤ったのだ。
 自らの立場を奪われまいと喜瀬と対立し、争い合った結果、彼女は式神を喜瀬に奪われただけでなくほとんどの霊力も失い、祓師としての生命を絶たれてしまったのだ。

 しかし人々は紗那を庇うことはなかった。
 
 彼女は喜瀬を陥れるためならどんな手段も選ばず、時に人的被害を出すまでになり、人が変わったように気性の荒い娘になってしまった。
 汚い手を使い当主の座にしがみつこうとする紗那を誰もが見捨て、結果彼女は特務機関を離れざるを得なくなった。


 しかし、紫弦はこう思うのだ。
 変わったのは紗那ではなく、お前たちなのだと。



***


「紗那お嬢様! 大変です、ご当主様がお嬢様をお呼びで……!」
「まあ、どうしたの里枝さん。そんなに慌てて」

 窓辺で日差しを浴びながら読書をしていた紗那は、慌ただしい足音に顔をあげる。

 見ると、女中の里枝(りえ)が血相を変えて駆け寄ってきたところだった。

「とにかく、ご当主様がお嬢様に大事な話があると仰られていて!」
「お父様が私に? 何かあったのかしら。とにかく、すぐに向かうわ。ありがとうね」

 珍しいこともあるものだと首を傾げつつ、本を片付けて立ち上がる。

 どんな要件なのか想像がつかないが、待たせると機嫌が悪くなって面倒なことになりそうだ。
 
「お嬢様、私、嫌な予感がするんです。どうかお気をつけて……」
「あらあらどうしたの。少し話をしてくるだけじゃない。大丈夫よ、今すぐ追い出されるようなことなんてないでしょうから」
 
 か細い声で震えながら訴える里枝に、安心させようと紗那はにこりと微笑む。
 しかし、紗那がこの離れに移されてから父と会話をするのは実に数ヶ月ぶりのことだ。

 不安を覚えつつも、紗那は母屋に向かう。

「見て、紗那お嬢様よ……」
「どの面を下げて喜瀬様の前に……」

 母屋で忙しそうにしている女中たちが、遠巻きにひそひそと囁いている。
 紗那はそれに構わず穏やかに挨拶をすると、彼女たちは蜘蛛の子を散らすかのように逃げていく。
 小さい頃から共に育ってきた里枝以外の使用人が冷たくなったのは、今に始まったことではない。
 異母兄が現れてから、紗那の世界は一変してしまった。

 祓師としての才覚もあり、誰からも好かれるような好青年の異母兄。
 驚きはしたものの、紗那はすぐに彼を受け入れ、兄妹として手を取り合おうと思っていた。
 幼い頃から家のためを一番に聞かされ育ってきた紗那にとって、喜瀬は敵対する相手ではなく共に神ノ倉の血を受け継ぐ仲間であると認識していた。

 だが、不思議なことに黄瀬を前にすると紗那の口は自由に動かなくなり、思ってもいないことを口にしてしまう。
 耳を塞ぎたくなるようなひどい暴言を吐いたり、周囲に当たり散らしたり。
 紗那の意志とは正反対に体は動き、周囲もそれを少しも不思議に思うことなく、紗那は喜瀬に嫉妬して変わってしまったのだと遠ざけられるようになった。

 最初は紗那も、自分が喜瀬を心の底では無意識に嫌っているのかもしれないと思い、自己嫌悪に陥っていた。
 しかし、次第に自分が自分でなくなるかのような、操られているとも言える感覚に陥り、これは何者かによる術だと気がついた。

 だが時すでに遅し。

 紗那は操られるがままに喜瀬と敵対し、自らが率いるべきであった部隊を危険に晒した上で辞職に追い込まれた。

(あの時お父様は私を一族の面汚しだと罵っていたけれど……正直、今の落ちぶれた暮らしの方が楽なのよね)

 隔離されて暮らす紗那に会いに来るのは、身の回りの面倒を見てくれる里枝しかいない。
 おかげで、ずっと静かなのだ。

『今更何の用で来たのかしら。怖いわ』
『あんな涼しい顔して、裏で何考えてんだかな……』

 人々からの嫌悪の声が、紗那の耳に突き刺さる。
 実際には誰も口にしていない言葉だが、紗那には聞こえるのだ。
 『読心』という異能力を持ち合わせて生まれた紗那は、幼い頃から他人の心の声が聞こえていた。

 霊力をほとんど失ってからは異能力を制御することができなくなり、意図せずして人の心を盗み聞きしてしまうようにもなった。

 喜瀬と敵対していた頃も『読心』の制御も失っていたので、それはもう数え切れないほどの罵詈雑言を浴びせられ続けていた。
 
 今でも母屋にいる使用人たちは紗那を疎んでいるようで、昔はあんなに優しくしてくれたのにと、少し寂しくなってしまう。
 
 悲しいが、人の心は簡単に変わってしまう。
 
 他人の心に左右され傷つく前に目を閉ざすことだけが、唯一紗那にできることだった。

「お父様、紗那です」
「入れ」

 向かった先は父の書斎だ。
 傍らには異母兄の喜瀬も控えている。
 野心家で利己的な父は昔から苦手だったが、面と向かって顔を合わせるとどうしても緊張してしまう。

「お父様、話というのは……」
「お前の結婚が決まった」
「……え?」

 唖然とする紗那をよそに、父は顔を歪めて笑いながら話を続ける。

「相手は竜堂の当主だ。お前も知っているだろう。特務機関で我々祓師の監視役を担う執行官『処刑人』――――あの一族の長が、お前を娶ると決めた」
「な、何を仰るのですか! 私はそのようなこと、一言も聞いては……」
「なぜお前の承諾を取らねばならん! 生かしてもらっているだけでも感謝してもらいたいというのに、これ以上我が家で穀潰しを続けるつもりか?」

 唾を撒き散らしながら怒鳴られ、紗那は思わず口を閉ざす。

 『処刑人』。
 それは、祓師たちを監視し裏切り者を内密に処罰する職務のことだ。

 表向きは監査という形式だが、特務機関に所属する全ての人員の情報を把握し、離反者には容赦なく罰を下すとされている。

 特務機関における、裏の支配者一族という立ち位置に当たるとも言えよう。

(そんな方が、一体どうして私を……)

 紗那のような落ちぶれた人間が嫁ぐには、相応しくないだろう。
 驚く紗那に対し、くすくすと笑ったのは喜瀬だ。

「まあまあ父上。そうお怒りになりませんよう。まだ幼いですから、紗那も動揺しているだけです。じきに自分の役目を理解しますよ」
「ああ、お前は優しいな。自分の命を狙うような小賢しい妹に慈悲をかけるなど……」

 父は感慨深そうに喜瀬に頷いている。
 彼を受け入れたのも能力があったからであって親子の情ではない。
 そのはずなのに、父にしては珍しく感情のこもった顔をしていた。
 自分には一度たりとも向けられたことのない優しい顔に、紗那の心臓はきしむような痛みを覚える。
 
「竜堂の若造にお前を薦めたのは喜瀬だ。『読心』の異能力を持つ子どもが生まれれば、一族の仕事に役立つであろうとな」
「子ども、を……」
「お前に求められているのは、異能力を受け継いだ子を産むことだけだ」

 確かに、『読心は』諜報員には役立つだろう。
 『読心』を持つ子どもを産めるのなら、どのような汚点があろうと受け入れてもらえる。
 逆に言えば、もしそれが叶わなかった場合紗那に利用価値はなくなるということだ。

「まあ、そう上手くいくとは思えんがな。ただし、一度神ノ倉を出ていったのならば二度と敷居をまたぐのは許さん」

 紗那の不安を察したかのように、父は嘲笑う。
 
「そんな。離縁されたら私はどうするというのです!」
「はは。相変わらず、紗那は可愛らしいですね。離縁されぬよう励めと父上は仰っているのですよ。あなたのその顔と異能力を使えば、竜堂さんを籠絡するのは容易いでしょう?」

 喜瀬は一歩ずつ紗那に接近してくる。
 優しく紗那の頬を撫でるその手は、背筋がぞわりとするほどに気味が悪かった。
 彼の蛇のような目が、紗那にとっては得体のしれないもののように見える。
 紗那を子ども扱いしている、というより、まるで人形のような扱いだと感じてしまいそうだ。

「聞けば、幼少期から彼と交友があったそうではないですか。良かったですね、どこの馬の骨ともしれぬ輩ではなくて」
「え……」
「おや、その顔はやはり覚えていないと。ふふ、彼も可哀想に。まあせいぜい頑張ってくださいね。もし追い出されても、私だけは紗那を受け入れると約束しましょう」

 喜瀬のねっとりと絡みつくような声は、もはや耳に入らなかった。
 
(『処刑人』と私に親交がある……? そんな、まさか)

 思い当たるのは、かつて兄のように慕っていた少し年の離れた少年だ。

 彼とは祓術を共に学ぶ仲であったが、ある事件をきっかけに音信不通となっていた。

(まさか、紫弦にいさまが『処刑人』なの……?)

 喜瀬は紗那が紫弦を忘れたと思っているようだが、紫弦のことはよく覚えている。

(この結婚を承諾すれば、もう一度にいさまに会えるのかもしれない)

 異母兄ではなく、心から慕った大切な人にもう一度会えるのなら。
 この瞬間、紗那は竜堂家当主との結婚に臨むことを決意した。