むすんで、ほどいて、君の名を呼ぶ

 期末テストが終わるまでの間、放課後は木嶋くんと一緒に帰るようになった。

 というのも、ペンケースとあみぐるみをプレゼントした日の夜になって『お礼がしたい』とメッセージが来たからだ。

『僕は何もしてないよ』

 ただ頼まれただけで、嫌だとか面倒だと思うことは一切なかった。

 むしろ木嶋くんのことを考えている時間は、何をするにも楽しくて幸せだったくらいだ。

『ライブのチラシも描いてもらったし、俺のワガママなのにペンケースとぬい? も作ってもらった。何か返さんと不公平だろ』

 でも木嶋くんは納得しなかったみたいで、僕もついムキになってしまった節がある。

『たくさんもらってるから大丈夫』

『なんだよ、たくさんって』

 その質問にすぐには答えられずにいると今度は電話が掛かってきて、いかに『僕にお礼がしたい』かを力説された。

『糸瀬はもっとワガママ言っていい』

『俺が出来ることならなんでもするから、お礼させて』

『これじゃあ勉強できないし、気になって寝れない』

 と延々言われて、そうしてるうちに木嶋くんの寝る時間が差し迫ってきて、最終的に根負けした。

 ……まさかここまで頑固だとは思わなかったな。

 なんだか木嶋くんの新しい一面を知ったみたいで嬉しくて、でも早く決めないと木嶋くんが寝る時間がなくなりそうで。

『い、一緒に帰ってほしい!』

 僕がして欲しい事なんて、木嶋くんと仲良くなりたいくらいで、それ以上は望んでないから。

『……そんなんでいいの?』

 なのに返ってきたのは不思議そうな声で、むしろ『他にもあるだろ』って言われてるような気がした。

 だって、木嶋くんが『なんでもいい』って言ったんじゃないか。

『いい。……でも、テスト中までで』

 学校でもメッセージでも話してるし、何より日にちを決めていたら毎日頑張れるから。

『んー……分かった、明日からな』

 まだ何か言いたそうだったけど、木嶋くんは了承してくれた。

 以降の二週間、放課後になると必ず木嶋くんと帰っている。

 普段はバイトをしてるみたいで、でも何をしてるのかは聞いちゃいけない気がしたから知らない。

 ただ、高校生が出来るバイトは限られてるから飲食系かなと思う。

 それにテストが始まる前でも『疲れた』って言ってるから、忙しそうなチェーン店とか。

 会話は最寄り駅に着くまでほとんど途切れる事がなくて、でも僕は相変わらず聞き役に回るだけだ。

 木嶋くんから話を振ってくれるけど、はっきりした答えが出来てるとは思えない。

 なのに僕が話すのをずっと待っててくれて、気まずそうな素振りをしたら話題を変えてくれる。

 そういう気遣いがありがたいと同時に申し訳ないのに、木嶋くんへの気持ちが段々大きくなっていくのを感じていて。

 ──やっぱりこの人が好きだ。

 でも、僕から告白する勇気は無い。

 この関係が崩れるのが、優しい笑顔が見れなくなるのが怖いから。

 ……なんて思ってたのに、木嶋くんと話したり彼のことを考えてると、気持ちが溢れ出しそうになる。

 それこそ勉強に手が付かなくなるほどで、でも教室に入ると気持ちを切り替えられた。

 みんなピリピリしていて、テスト期間中はもっと空気が張り詰めていたから。

 まぁ来年は受験だし、進学する人はその対策も兼ねてる、って何人かの先生が言ってたから分からなくもない。

 そんな期末テストも、残すところ今日で最終日だ。

 あ、木嶋くんと帰るのも今日で最後なんだった。

 なんだか、長かったけどあっという間だったな。……まぁこれはあくまで今までのお礼だから、これ以上僕が欲張っちゃいけない。

 そう自分に(いまし)めて、ちらりと木嶋くんの席を見るとカバンはもちろん、本人の姿もなかった。

「え」

 どうしたんだろう、トイレか誰かに呼ばれてるのかな?

 きょろきょろと周りを見回しても、クラスメイトの何人かが残ってるくらいで、どこにも木嶋くんの姿は無い。

 メッセージしてみようか、でも僕が教室にいないと思って先に昇降口で待ってる可能性もあるし。

「──大河なら先帰ったよ」

 ふと目の前に影が差して、落ち着いた低い声が聞こえた。

 見れば兼末くんが立っていて、僕と目が合うと人懐っこい笑みを浮かべてくる。

「あ、そう……なんだ」

「土曜にシフト入れてるから、今日はその確認って言ってたっけな」

 文面でもいいのになぁ、と兼末くんが苦笑する。

「あの、木嶋くんのバイトって……?」

 本当は本人から聞いた方がいいんだろうけど、どんなバイトをしてるのか気になって、そう考える暇もなく思ったことが口から出る。

 兼末くんは一瞬目を丸くしたあと、ぽりぽりと頬を搔いた。

「あー……まぁ言いにくいか」

 するとどこか他人事のように呟いて、けれど教えてくれるみたいだ。

 内緒話をするように兼末くんが耳元に唇を寄せてきたから、一言一句聞き漏らさないように耳に意識を集中させた。

「ごめん、俺からは言えないんよ。……けど、土曜の昼に行ったら会えると思うから」

 そう言うと木嶋くんのバイト先を教えてくれて、けれどその場所はつい二週間前、夢菜と一緒に行ったショッピングモールだった。

「わ、分かった。……ありがと、茜くん」

 ぺこりと頭を下げてお礼を言うと、聞こえるかどうかの声量で兼末くんの名前を呼んだ。

「えっ!?」

 茜くんは大きく目を見開いて、信じられないものを見るような瞳で僕を見る。

「名前……薫、名前っ……」

 かと思ったら、がっしりと僕の肩を摑んできた。……ちょっと痛い、かもしれない。


「俺こそありがと! よっしゃ、大河より先に呼ばれたぁ!」

「わ、わわっ」

 そのまま茜くんが抱き着いてきて、椅子に座ってるのに体勢を崩しそうになる。

「やー、よかった。これで大河にデカい顔出来るわ」

 そんな、とびきりの笑顔で言われても何がなにやら……何か勝負してたのかな。

 言葉にしてないけど僕の動揺が伝わったのか、素早く茜くんが離れる。

「ごめん、こっちの話。……ってか大丈夫? 背中とか、どっか痛めてない?」

「あ、うん。大丈夫」

 ちょっと背もたれにぶつかったくらいだし。

 というか同じ男なのに、茜くんには特に女の子扱いされてる気がする。僕ってそんなにひ弱そうに見えるんだろうか。

「……木嶋くんに連絡してもいいのかな」

「いんじゃね?」

 ぽそりと零した言葉は、すぐに拾われた。

「つーか俺にバ先行くって言うんじゃなくて、まず薫に言っとけよって話。ほんと、携帯でちゃちゃっと打ち込んだら終わるのに、あいつも真面目というか……」

 ぶつぶつと茜くんが軽く悪態を吐く。

「そ、だね」

 確かにメッセージもないのはおかしいけど、それは僕に言う暇もなかったんだと思う。

「──そんな気になるんなら電話したら?」

「え、っ」

 とっさに茜くんを見ると、さも不思議そうな顔で僕を見つめていた。

「なんで一緒に帰ってくれなかったのー、って。薫から来たらびっくりすると思うぜ、あいつ」

 くつくつと茜くんが楽しげに笑う。

 そう、なのかな。

 むしろすぐに出られないかもしれないから、メッセージの方がいいと思うんだけど。

「ま、ダメ元で掛けてみ? 薫だったら、コール一回で出ると思う」

 あれこれ悩んでる僕とは対照的に、茜くんは簡単に言ってのける。

 というか『一緒に帰る約束してたのに』って、それだけの理由で電話してもいいの?

 すると茜くんがスマホに視線を落として、かすかに目を見開くと慌てたように言った。

「──やべ、買い物頼まれてるんだった。じゃあな薫、ちゃんと大河に電話しろよー!」

「え、ぁ……また、ね……?」

 しっかり挨拶する暇もなく、茜くんは教室を飛び出していった。

「こら、兼末ー! 前も廊下走るなって行ったろ!」

「ごめん今日だけ見逃してー!」

 多分学年主任の先生に見つかったらしい茜くんの声が、教室まで聞こえてくる。

「えっ……と」

 いつの間にか残ってたクラスメイトもいなくなっていて、もう僕しか教室にいない。

 このまま教室に居るのも嫌で、見回りをしてる先生から『早く帰りなさい』って言われるのも嫌だから、僕はまだモヤモヤした気持ちのまま立ち上がった。

 この後どうしようかな、夢菜はまだ期末テストらしいから今連絡するのは駄目だし。

 昇降口を出て、駅までの道を歩きながらあてもなくスマホを見ると、一件だけ通知が来ていた。

『先帰ってごめん』

「……木嶋くんだ」

 心の中で言ったはずが、そのまま彼の名前が口をついて出る。

 送信されたのは九分前で、それくらいだと丁度茜くんと話してたっけ。

 通知が来たのにも気付かなかったなんて、バカだな僕も。

 自嘲じみた笑いが漏れて、同時に送られてきた文章を何度も読み込む。

 でも返信するよりも先に浮かんだのは、茜くんがさっき言っていた言葉だった。

 ──そんなに気になるんなら電話したら?

 簡単に言うなと思ったけど、気になるのは事実だから。

「……よ、よし」

 邪魔にならない所で一度立ち止まって、大きく深呼吸すると小刻みに震える指先で通話ボタンを押した。

 どうか出ませんように……!

 でも出てくれるのを期待する自分もいて、何が本当の気持ちなのか分からない。

 心の中でコールの数を数えていると、プッと小さな音を立てて『もしもし』と低い声が耳に届いた。

「も、もしもし」

 一コール以内じゃなかったけど、緊張で声が震えてしまう。

『ごめんな、一緒帰れなくて。もしかして待っててくれた?』

 木嶋くんの申し訳なさそうな声が聞こえてきて、僕は慌てて弁明した。

「う、ううん。僕が気付かなかっただけだから……バイト先、着いた?」

『おー、さっきな。今待ってるとこ』

 穏やかな声が届いて、じんわりと全身に広がっていく。

 待ってる、ってどういう意味なんだろう。

 でも僕が聞きたいのは、言いたいのは、そういう事じゃなくて。

「……木嶋くん」

『ん?』

 なに、と尋ねてくる声はどこまでも優しい。

 顔を見てないのに、声だけで木嶋くんの表情が手に取るように分かって、ちょっと気恥ずかしい。

「ぼく、ね」

 ──木嶋くんのことが好きです。

『木嶋ぁー!』

「っ」

 すると電話越しからでも分かるくらい誰かが叫ぶ声が響いて、反射的に耳からスマホを離す。

『あ、ごめん! 今呼ばれたみたいだわ、終わったらまた電話する!』

 続けて木嶋くんの慌てた声が聞こえて、バタバタと何かが落ちた音や小さな衣擦(きぬず)れの音が聞こえてくる。

 ……なんだか慌ただしいな、でも今から用事があるんだから仕方ないよね。

『──悪いね、待たせて』

「え、っ」

 そのまま歩き出そうとしていると、通話が終わったはずなのに知らない声が耳に届いた。

『いや、俺が早く着き過ぎただけなんで。それより土曜日の……』

 え、切ったはず……だよね? なんで木嶋くんの声が聞こえるんだろう。

 慌てて画面を見るとまだ『通話中』の表示があって、僕が押したと思ってたのはミュートボタンだった。

 こんなの、盗み聞きしてるのと同じじゃないか! は、早く切らないと。

 そう頭では理解してるのに、指先は少しも動かない。

『……の時間に行ってくれればいいから。悪いね、テスト終わったばっかりなのに』

『だいじょーぶですよ、これくらい。けど、出なかった分の給料割り増しとか……無理すかね?』

『無理だねぇ、ここ二週間はイベント少なかったし。ま、他のみんなとそんなに変わらないと思うよ』

 バイト先の上司の人かな、声音からしてまだ若そう……って冷静に分析してる場合じゃないだろ!

 木嶋くんが気付いてないとはいえ、悪い事をしてるのは変わらないんだから。

『……あれ、前はこんなの付けてなかったよね。誰かからのプレゼント?』

 電話を切ろうとしていると、相手の人が少し驚いた声で言う。

 付けてる、って……木嶋くんが、だよね。

 茜くんの話では急いで行ったみたいだから制服はもちろん、通学用のリュックも持ったままで。

『あ、これ? いいでしょ、俺のなんすよ』

 どこか恥ずかしそうな、でもはっきりした声が耳に届いた。

 俺の、って……ううん、まだ僕が作ったものってちゃんと覚えてる訳じゃないし、他の人からかもしれない。

『プレゼントなんですけど、俺の好きな──』

 ブツン、と木嶋くんの言葉を最後まで聞くことなく、僕は今度こそ通話ボタンを押した。

「……ど、しよ」

 なんて言うのか聞きたかったのに、それ以上は聞きたくなかった。

 そんな矛盾した感情が浮かんでは消えていって、スマホを持ったまま無意識に頬に触れる。

 風が冷たくて寒いはずなのに、火が出そうなくらい熱かった。