苦味のあるコーヒーや甘いケーキの匂いが、息をする度にゆっくりと鼻腔を擽っていく。
「いらっしゃいませー」
「三名様、お席ご案内しまーす」
店員さんの声を聞きながら、居た堪れなさを誤魔化すようにコーヒーを一口飲む。
芳醇な味が口いっぱいに広がって、普段よりも強く苦さを感じた。
「──って事が、あったんだけど」
コーヒーでわずかに潤った唇のまま、僕は今言った言葉を心の中で反芻した。
一昨日の昼休みからずっと木嶋くんを避けていて、仲直りしたいけどどうしたらいいのか分からないこと。
メッセージを送ろうにも、僕にとって木嶋くんを傷付けるような言葉ばかり出てくること。
避けてるのはたったの二日だけど、木嶋くんのことばかり考えてしまうからか、大好きな編みものをする気力が無くなっていったこと。
色々と考えるうちに、木嶋くんに対する気持ちがなんなのかすらも分からなくなって、でも相談出来る人は身内以外だと誰もいなくて。
「夢菜の意見が欲しいんだ。なんでもいいから、思ったこと言ってほしい」
そう言ったけど真正面に座る夢菜は、頼んだパフェを食べる手を止めたまま一向に口を開かない。
僕を見つめる瞳が鋭くて、なんなら怒ってるようにも見えた。
今日はいつも行くカフェに来ていて、でも夢菜は元々友達と遊びに行く予定だったらしい。
無理を言ってズラしてもらったのが、つい半日前の午後九時。
『ラインじゃ駄目なの?』
わざわざ僕の家まで来てくれて開口一番、夢菜は不思議そうに尋ねてきた。
『ごめん、顔見て言いたくて』
申し訳なさそうに謝れば、夢菜からの喝が背中に飛んでくる。
『聞いただけなのに謝らない! ほら、行くよ!』
痛みで顔を顰める僕の腕を取って、同時に夢菜が怒ってないことに安心したのが三十分前。
でも、今は完全に怒ってる。
夢菜が本気で怒った時は無表情になって、口数が少なくなるから。
確かに僕の『相談』は個人的な問題で、あるクラスメイトと気まずくなった、ってだけでしかない。
メッセージでも事足りるからそれこそ通話でもよかったけど、昨日の時点ではそこまで頭が回らなかった。
……本当にしくじった。
「ど、どう思う?」
この沈黙を破りたくて改めて尋ねてみても、夢菜はまるで息をするのを忘れたように瞬き一つしない。
逆に見ているこっちが心配になるくらい、夢菜を怒らせてしまったって理解した。
「……一応聞くんだけど、相談する相手って私で合ってる? こういうの、お兄さんでもよくない?」
やがて夢菜が絞り出すように、でもどこか困ったように眉を寄せて口早に捲し立てた。
「ううん、夢菜がいいんだ」
気を抜けばもつれそうになる唇を気合いで堪えながら、僕はそっと瞼を伏せる。
「兄さんに言ったら根掘り葉掘り聞かれそうで。最近、仕事忙しいみたいだし。それに弟の交友関係とか……あんまり、知りたくないだろうし」
兄さんと夢菜は直接会った事ないけど、過保護なところがあるって僕が言ってるから、兄さんの人となりは半分知ってるようなものだ。
でも本音は兄さんの方から夢菜に遠慮して、『年頃の女の子と会うのはちょっと……いけない気がする』とか言って会ってくれない。
まぁ兄さんが嫌って言っても、夢菜が一言会いたいって言えば会わせる気でいるけど。
「僕もこれ以上甘えるのは違うかな、って」
あはは、と苦し紛れに笑うと同時に、『夢菜にも』と心の中で付け足す。
たとえ親友でも、わざわざカフェに来てこんなことを相談するのは迷惑だって百も承知だ。
でも、一昨日から木嶋くんを観察していると態度や行動が、僕と居る時とは明らかに違った。
最初は僕に話し掛ける素振りを見せてきて、すぐに顔を逸らしたけどあからさまに挙動不審だった。
兼末くんや中村くん達と話してる時ですら、木嶋くんはどこか上の空で生返事で。
終いには兼末くんと僕の共通点はないはずなのに『糸瀬』って呼んで、からかわれてたっけ。
……って、僕の方がずっと木嶋くんのことを見てるんだよね。
「あー、もうっ! そんな顔しないの!」
「うっ」
ぱちん、と夢菜が僕の頬を半ば叩くように包み込んできて、反射的に夢菜を見た。
あんまり痛くないけど唐突な行動に目を瞬かせるしかできなくて、そうしているうちに夢菜が唇を開いた。
「いっつも薫は自分のこと卑下しすぎ! そんなんじゃ、私以外に友達できないよ!」
「へ、っ……?」
「大体、その木嶋クン? もそう。薫は純粋なんだから、もっとストレートに言ったらいいのに。って言っても分かんないかなぁ。……だろうし」
夢菜は僕の頬を包み込んだまま、ブツブツと呟く。
後半は小さすぎてあんまり聞き取れなかったけど、夢菜にとって僕は純粋に見えてるのか。
「で、どうしたいの」
しばらく夢菜は僕の頬を撫でたり柔らかさを楽しんだりして、やっと解放してくれた。
改めて生クリームをスプーンですくいながら、夢菜には珍しくいつになく低いトーンで聞いてくる。
「どう、って……?」
もう怒ってないっぽいけど、完全にお説教モードに入ってる。こういう時の夢菜、ちょっと怖いんだよね。
「だーかーらっ、木嶋くんとどうなりたいか、早い話どういう関係になりたいか、ってこと。黙って聞いてたら薫、恋してるって顔してんだもん」
「っ……!?」
話の流れで何を言い出すんだ!
そう言おうとしたけど夢菜の表情は真剣そのもので、僕が口を挟む隙は無いように見えた。
「こ、い……」
そっと口の中で呟いてみても、そういう実感はあんまりない。
むしろやっとこの気持ちに名前が付いて嬉しいような、でも少し複雑な気持ちにさせられた。
「恋、か……ぼく、が」
何度か言葉にしたら段々自覚してきて、なのに頭の隅にあるのは『僕なんか』って言葉だった。
僕なんかが釣り合う訳ない。それに男同士だから、この気持ちを伝えたら絶対に嫌われる、って。
「そ」
僕の反応に『薫は気付いてないみたいだけど』と呆れ気味に続けながら、夢菜がスプーンを口に運ぶ。
「この際だから言っておくけど薫、今めちゃくちゃ可愛い顔してるからね。私が男だったら襲っちゃう」
「えっ……!?」
まさか夢菜の口から出る言葉とは思えなくて、図らずも素っ頓狂な声が漏れる。
何を言い出すかと思えば、ってこのことだと思う。
というか夢菜、誰も好きになれないって言ってなかった……!? 目が怖いんだけど!
無意識に椅子を下げて夢菜から目を逸らそうとしたら、ふっと小さな笑い声が聞こえた。
「……でもよかった、私以外にも気を許せる人が出来て」
それまでとは一転して、夢菜が楽しそうに口角を上げる。
木嶋くんに気を許してるのかな、僕は。
でもら改めて言われるとそうだって思うし、胸が苦しいような不思議な気持ちになるのは夢菜以来だし。
「……僕に比べて夢菜は友達多いもんね」
せめてもの照れ隠しで顔を伏せると、夢菜が小さく笑う声が聞こえてくる。
「なぁに、嫉妬?」
「そ、そうじゃないし! ……ちょっと羨ましい、けど」
反射的に言い返して顔を上げると、夢菜は今まで見た事ないくらい優しい表情で僕を見ていた。
同時に僕が一時期でも好きになって、でも速攻フッてきた女の子なんだって改めて理解する。
「安心して、学校の子達より薫と話すのが一番楽しいから」
ふふ、と夢菜が緩く首を傾げて笑う。
その仕草がどんな人よりも格好良くて、眩しくて……僕にはもったいないくらいの親友だ。
「ありがとう、ゆな……」
「隙ありぃ!」
するとお礼を言う一瞬の隙を突いて、夢菜の手がまだ手を付けてないモンブランに伸びた。
「あっ!」
「うん、おいしいー!」
僕が止めるのも間に合わず、半分にカットされた大きなイチゴが夢菜の口の中に消えた。
ピスタチオをふんだんに使ったクリームに、その上からいちごソースと練乳の掛かったそれは季節限定で、値段も二千円以上するちょっといいものだ。
特にイチゴが普通よりも大きくて、半分ずつとはいえ食べ応えがありそうって思ってたのに。
「さ、最後に食べようと思ってたやつ……」
「へーんだ、薫がのんびりしてるからでーす」
そう言うと夢菜がべぇ、と小さく舌を出す。
ちょっと可愛いのが悔しい、でも食べ物の恨みは怖いんだぞ!
「でも可哀想だからこの子あげるね、はい」
わなわなと震える僕のお皿に、夢菜はパフェに付いてるうさぎの形をしたマカロンを一つと、別で頼んでいたチョコレートケーキを半分くれた。
……このマカロン、夢菜が楽しみにしてたやつだったな。一つだけだからもう無いけど。
つくづく優しい親友に申し訳なく思いつつ、チョコレートケーキを一口頬張った。
あはは、と夢菜が苦笑する声が店内に静かに響いた。
「いらっしゃいませー」
「三名様、お席ご案内しまーす」
店員さんの声を聞きながら、居た堪れなさを誤魔化すようにコーヒーを一口飲む。
芳醇な味が口いっぱいに広がって、普段よりも強く苦さを感じた。
「──って事が、あったんだけど」
コーヒーでわずかに潤った唇のまま、僕は今言った言葉を心の中で反芻した。
一昨日の昼休みからずっと木嶋くんを避けていて、仲直りしたいけどどうしたらいいのか分からないこと。
メッセージを送ろうにも、僕にとって木嶋くんを傷付けるような言葉ばかり出てくること。
避けてるのはたったの二日だけど、木嶋くんのことばかり考えてしまうからか、大好きな編みものをする気力が無くなっていったこと。
色々と考えるうちに、木嶋くんに対する気持ちがなんなのかすらも分からなくなって、でも相談出来る人は身内以外だと誰もいなくて。
「夢菜の意見が欲しいんだ。なんでもいいから、思ったこと言ってほしい」
そう言ったけど真正面に座る夢菜は、頼んだパフェを食べる手を止めたまま一向に口を開かない。
僕を見つめる瞳が鋭くて、なんなら怒ってるようにも見えた。
今日はいつも行くカフェに来ていて、でも夢菜は元々友達と遊びに行く予定だったらしい。
無理を言ってズラしてもらったのが、つい半日前の午後九時。
『ラインじゃ駄目なの?』
わざわざ僕の家まで来てくれて開口一番、夢菜は不思議そうに尋ねてきた。
『ごめん、顔見て言いたくて』
申し訳なさそうに謝れば、夢菜からの喝が背中に飛んでくる。
『聞いただけなのに謝らない! ほら、行くよ!』
痛みで顔を顰める僕の腕を取って、同時に夢菜が怒ってないことに安心したのが三十分前。
でも、今は完全に怒ってる。
夢菜が本気で怒った時は無表情になって、口数が少なくなるから。
確かに僕の『相談』は個人的な問題で、あるクラスメイトと気まずくなった、ってだけでしかない。
メッセージでも事足りるからそれこそ通話でもよかったけど、昨日の時点ではそこまで頭が回らなかった。
……本当にしくじった。
「ど、どう思う?」
この沈黙を破りたくて改めて尋ねてみても、夢菜はまるで息をするのを忘れたように瞬き一つしない。
逆に見ているこっちが心配になるくらい、夢菜を怒らせてしまったって理解した。
「……一応聞くんだけど、相談する相手って私で合ってる? こういうの、お兄さんでもよくない?」
やがて夢菜が絞り出すように、でもどこか困ったように眉を寄せて口早に捲し立てた。
「ううん、夢菜がいいんだ」
気を抜けばもつれそうになる唇を気合いで堪えながら、僕はそっと瞼を伏せる。
「兄さんに言ったら根掘り葉掘り聞かれそうで。最近、仕事忙しいみたいだし。それに弟の交友関係とか……あんまり、知りたくないだろうし」
兄さんと夢菜は直接会った事ないけど、過保護なところがあるって僕が言ってるから、兄さんの人となりは半分知ってるようなものだ。
でも本音は兄さんの方から夢菜に遠慮して、『年頃の女の子と会うのはちょっと……いけない気がする』とか言って会ってくれない。
まぁ兄さんが嫌って言っても、夢菜が一言会いたいって言えば会わせる気でいるけど。
「僕もこれ以上甘えるのは違うかな、って」
あはは、と苦し紛れに笑うと同時に、『夢菜にも』と心の中で付け足す。
たとえ親友でも、わざわざカフェに来てこんなことを相談するのは迷惑だって百も承知だ。
でも、一昨日から木嶋くんを観察していると態度や行動が、僕と居る時とは明らかに違った。
最初は僕に話し掛ける素振りを見せてきて、すぐに顔を逸らしたけどあからさまに挙動不審だった。
兼末くんや中村くん達と話してる時ですら、木嶋くんはどこか上の空で生返事で。
終いには兼末くんと僕の共通点はないはずなのに『糸瀬』って呼んで、からかわれてたっけ。
……って、僕の方がずっと木嶋くんのことを見てるんだよね。
「あー、もうっ! そんな顔しないの!」
「うっ」
ぱちん、と夢菜が僕の頬を半ば叩くように包み込んできて、反射的に夢菜を見た。
あんまり痛くないけど唐突な行動に目を瞬かせるしかできなくて、そうしているうちに夢菜が唇を開いた。
「いっつも薫は自分のこと卑下しすぎ! そんなんじゃ、私以外に友達できないよ!」
「へ、っ……?」
「大体、その木嶋クン? もそう。薫は純粋なんだから、もっとストレートに言ったらいいのに。って言っても分かんないかなぁ。……だろうし」
夢菜は僕の頬を包み込んだまま、ブツブツと呟く。
後半は小さすぎてあんまり聞き取れなかったけど、夢菜にとって僕は純粋に見えてるのか。
「で、どうしたいの」
しばらく夢菜は僕の頬を撫でたり柔らかさを楽しんだりして、やっと解放してくれた。
改めて生クリームをスプーンですくいながら、夢菜には珍しくいつになく低いトーンで聞いてくる。
「どう、って……?」
もう怒ってないっぽいけど、完全にお説教モードに入ってる。こういう時の夢菜、ちょっと怖いんだよね。
「だーかーらっ、木嶋くんとどうなりたいか、早い話どういう関係になりたいか、ってこと。黙って聞いてたら薫、恋してるって顔してんだもん」
「っ……!?」
話の流れで何を言い出すんだ!
そう言おうとしたけど夢菜の表情は真剣そのもので、僕が口を挟む隙は無いように見えた。
「こ、い……」
そっと口の中で呟いてみても、そういう実感はあんまりない。
むしろやっとこの気持ちに名前が付いて嬉しいような、でも少し複雑な気持ちにさせられた。
「恋、か……ぼく、が」
何度か言葉にしたら段々自覚してきて、なのに頭の隅にあるのは『僕なんか』って言葉だった。
僕なんかが釣り合う訳ない。それに男同士だから、この気持ちを伝えたら絶対に嫌われる、って。
「そ」
僕の反応に『薫は気付いてないみたいだけど』と呆れ気味に続けながら、夢菜がスプーンを口に運ぶ。
「この際だから言っておくけど薫、今めちゃくちゃ可愛い顔してるからね。私が男だったら襲っちゃう」
「えっ……!?」
まさか夢菜の口から出る言葉とは思えなくて、図らずも素っ頓狂な声が漏れる。
何を言い出すかと思えば、ってこのことだと思う。
というか夢菜、誰も好きになれないって言ってなかった……!? 目が怖いんだけど!
無意識に椅子を下げて夢菜から目を逸らそうとしたら、ふっと小さな笑い声が聞こえた。
「……でもよかった、私以外にも気を許せる人が出来て」
それまでとは一転して、夢菜が楽しそうに口角を上げる。
木嶋くんに気を許してるのかな、僕は。
でもら改めて言われるとそうだって思うし、胸が苦しいような不思議な気持ちになるのは夢菜以来だし。
「……僕に比べて夢菜は友達多いもんね」
せめてもの照れ隠しで顔を伏せると、夢菜が小さく笑う声が聞こえてくる。
「なぁに、嫉妬?」
「そ、そうじゃないし! ……ちょっと羨ましい、けど」
反射的に言い返して顔を上げると、夢菜は今まで見た事ないくらい優しい表情で僕を見ていた。
同時に僕が一時期でも好きになって、でも速攻フッてきた女の子なんだって改めて理解する。
「安心して、学校の子達より薫と話すのが一番楽しいから」
ふふ、と夢菜が緩く首を傾げて笑う。
その仕草がどんな人よりも格好良くて、眩しくて……僕にはもったいないくらいの親友だ。
「ありがとう、ゆな……」
「隙ありぃ!」
するとお礼を言う一瞬の隙を突いて、夢菜の手がまだ手を付けてないモンブランに伸びた。
「あっ!」
「うん、おいしいー!」
僕が止めるのも間に合わず、半分にカットされた大きなイチゴが夢菜の口の中に消えた。
ピスタチオをふんだんに使ったクリームに、その上からいちごソースと練乳の掛かったそれは季節限定で、値段も二千円以上するちょっといいものだ。
特にイチゴが普通よりも大きくて、半分ずつとはいえ食べ応えがありそうって思ってたのに。
「さ、最後に食べようと思ってたやつ……」
「へーんだ、薫がのんびりしてるからでーす」
そう言うと夢菜がべぇ、と小さく舌を出す。
ちょっと可愛いのが悔しい、でも食べ物の恨みは怖いんだぞ!
「でも可哀想だからこの子あげるね、はい」
わなわなと震える僕のお皿に、夢菜はパフェに付いてるうさぎの形をしたマカロンを一つと、別で頼んでいたチョコレートケーキを半分くれた。
……このマカロン、夢菜が楽しみにしてたやつだったな。一つだけだからもう無いけど。
つくづく優しい親友に申し訳なく思いつつ、チョコレートケーキを一口頬張った。
あはは、と夢菜が苦笑する声が店内に静かに響いた。

