むすんで、ほどいて、君の名を呼ぶ

「……ごちそうさまでした」

 手を合わせて小声で呟くと、お弁当を元通り包み直す。

 真正面に座る木嶋くんの視線が刺さるけど、これはいつもの事って言い聞かせながら人知れず頬の内側を噛んだ。

 どうしてか僕がお弁当を食べ終わると、短い間だけど木嶋くんは口を(つぐ)む。

 それが何、って訳じゃないけどこうして話すようになってから、特に視線を感じるようになった。

 いっそのこと聞いた方が楽なのに、もし変なことを言ったらと思うとその瞬間から声が出なくなる。

「──綺麗だな」

「っ、え……?」

 不意に聞こえた言葉に、反射的に声が漏れた。

 そんな僕の反応に何を思ったのか、木嶋くんは軽く目を細めるとそのまま机に肘をついて頭を乗せる。

 自然と上目遣いで僕を見つめる形になって、心臓がきゅうと音を立てた。

「や、綺麗に食べるなって。箸の持ち方とかもだけど、糸瀬ってしっかりしてるよな」

 俺とは大違いだ、って木嶋くんが淡く笑う。

 そんな、褒められるような事はしてないのに。

 でも思ったことが声になることはなくて、同じくらい自分に腹が立った。

 目の前にいるのが夢菜だったら、こんな気持ちになる事はないんだろうな。

 そう思うと自分がひどく(みじ)めになってきて、でもネガティブになるのは後だ。

 お弁当箱を包んで袋に入れると、そっと机の中に手を入れる。

 かすかに硬い感触が指先に伝わって、僕の気持ちに呼応するように心臓がバクバクと高鳴った。

「……木嶋くん」

「んー?」

 小さく呼び掛けると、木嶋くんは柔らかく口角を上げて僕を見つめてくる。

 僕がどんなに小声で名前を呼んでも、たとえ友達と話していたりスマホを見ていても、この人は僕の存在に気付いてくれる。

 それこそ犬みたいに、いの一番に僕の所に来てくれるほどだった。

「どした?」

 ……いつも笑顔で、嫌な顔一つしないところは見習うべきなんだろうけど。

 時々それが無性に眩しくて、僕なんかと話してくれるのが申し訳なくなる。

 でも自分から声を掛けた手前、『やっぱりなんでもない』って言うのは気が引けた。

「これ、見て欲しい、です……!」

 元から少ない勇気を掻き集めて、ファイルに入ったそれごと木嶋くんの前に差し出した。

 思いっ切り声が裏返って、恥ずかしい。でも、もうなりふり構っていられない。

 ラフ画が出来たらメッセージして、って事前に言われていたけど、直接木嶋くんに完成したものを見て欲しかったから。

 恐る恐る木嶋くんを見ると軽く目を見開いていて、ただ何も言わずに受け取ってくれた。

 木嶋くんの視線がラフ画に向けられ、それまで穏やかに流れていた時間が一転して、二人きりの空き教室がしんと静まり返る。

 机を二つ挟んだ向こうでラフ画が捲られる音と、お互いの息遣いしか聞こえなくて心臓に悪い。

 僕は机の下で両手を組んで、祈るような気持ちで木嶋くんを見た。

 切れ長な瞳は今だけ僕を見ていなくて、薄く形のいい唇は真一文字に結ばれている。

 ……なんて言われるのか、段々緊張してきた。

 編みものの息抜きがてらに考えてたら、気付いた時には五パターンも出来てて、いくつかボツにするにはもったいなくて。

 自分でもおかしいと思うけど、今まで描いたラフ画を全部ファイルに挟んで持ってきた。

 よく考えたら、お願いされたからこんなに考えてきました! ってだけでも変なのに、ボツにしたラフ画も合わせて見せてきたらキモいよね。

 段々と沈黙が痛くなってきて、早く終わって欲しい気持ちに駆られる。

「──へぇ」

 半ば涙目になっていると、それまで黙々とラフ画を見ていた木嶋くんが小さく呟いた。

「……こんな短期間で出来るもんなんだな。すげぇよ、本当」

「え、っ……?」

 聞こえてきた言葉をすぐには理解できなくて、耳を疑う。

「よし、これにしよ」

 やがて小さく木嶋くんの声が聞こえて、ラフ画を僕に向けてくる。

 それは後ろ姿の男女がベンチに並んで座っていて、月を見上げているものだった。

 Fleuve de nuit(フルーヴ・ドゥ・ニュイ)──夜の川。

 ライブの名前を調べると、フランス語でそういう意味らしかった。

 川からインスピレーションを受けようとしたけど、冬だし寒そうだから夜だけにしてみた。

 まさかラフ画の段階で選ばれるとは思わなくて、でも気に入ってくれたみたいで嬉しい。

「あ、個人的に俺が好きなやつね。一応、他の奴にも聞いてみるけど」

 木嶋くんには珍しく、慌てたように付け足してくる。
 も、もしかして全部顔に出てたかな。

「……ありがと」

 僕はお礼を言うと目を擦るフリをして、それとなく頬に触れた。

 すると指先からいつもより熱い体温を感じて、でもそれがなぜなのか分からない。

 というか木嶋くんと話すようになってから、まともに喋っててないし顔も見てない気がする。

 本当にどうしちゃったんだ、僕は。

「──けど、迷うんだよな。全部いいから」

 そう思ってたら木嶋くんはまたラフ画に視線を落として、ぽつりと呟いた。

「糸瀬に頼んでよかった、って思う」

「っ」

 聞いた事がないくらい優しい声が聞こえたかと思えば、ゆっくりと木嶋くんの手が伸びてきて、ぽんぽんと頭を撫でられる。

「ありがと、糸瀬」

 にか、と木嶋くんが太陽みたいな暖かい笑顔で言った。

 同時に頭を撫でてくれる手が言葉よりもずっと優しくて、嬉しいのにどこかむず(がゆ)くて無意識に口角が上がる。

「ううん。……力になれて、よかった」

 気付けば僕もつられたように笑っていた。

 でも頭の片隅に付きまとうのは、先日の放課後の事だった。

 あんな逃げるような態度を取ったのに木嶋くんは怒るでもなく、むしろ積極的に話し掛けてくれた。

 大事なライブのラフ画も任せてくれて、こうして僕が喜ぶ言葉もくれた。

 メッセージアプリで話すだけでも嬉しいのに、学校でも態度が変わらないから必然的に舞い上がってしまう。

 ……木嶋くんはただ、僕がぼっちだから気を()かせて仲良くしてくれてるだけ。

 絶対に木嶋くんから見えない机の下で、痛みを感じるくらい強く両手を握り締める。

 本当のところ、僕はお礼を言われるようなことをしてないし、ましてこんなに素敵な人と話していいほど人間ができてない。

 だからラフ画が決まって正式にチラシが出来たら、もう僕と関わるのは止めた方がいいんだ。

「ごめん」

「悪い」

 謝らないとって思ったら。綺麗に木嶋くんと声が被った。

「え、えっ……と」

 お互いに見つめ合ったまま、やがて木嶋くんが堪えきれないといったふうに吹き出す。

「っふ、はははは! なに、こんな……ハモって……駄目だ、ははは!」

 しばらくの間、木嶋くんの笑い声が教室に響いた。

 僕は僕で気持ちいいくらいの反応に目を瞬かせるばかりで、なんなら頭が追い付かなくてフリーズしていた。

「あー、笑った。ごめん、なんつーか……」

 はぁ、と木嶋くんは小さく息を吐くと、目尻に浮かんだ涙を拭う。

 でもまだ笑いが収まらないのか、ひくりと肩が揺れるのを僕はどこか人ごとのように見ていた。

 悪い、って……言ってたよね。木嶋くんが謝る必要なんて、どこにもないのに。

 何を言おうとしているのか分からなくて首を(ひね)っていると、木嶋くんはガシガシと頭を搔く。

「糸瀬の作ったマフラー……あっ、違ったらごめんな。ああいうの、俺も欲しいなって思って」

「え」

 マフラーって、僕が作ったって……え、木嶋くんが?

 木嶋くんが何を言ってるのか理解できなくて、オウム返しみたいに頭の中で繰り返す。

 でもどんなに考えても脳は理解することを(こば)んで、ただただ木嶋くんを見つめるしかできない。

「あー……何が言いたいかってぇと、ですね」

 そこで木嶋くんは一度口を閉じて、歯切れ悪そうに片手で口元を抑えた。

 かと思えば、そのまま顔を(おお)って黙ってしまう。

「き、木嶋くん……?」

 こんな木嶋くんを見るのは初めてで、きっと彼を知る人が見たら驚くだろう。

 でもそれ以上に僕はどうしたらいいのか、なんて声を掛けたらいいのか分からなくて、オロオロと慌てるしかできない。

「マフラーとか、言わないんで……普段使い出来そうなやつ、作って欲しい、というか」

 そこまで言うと、木嶋くんは指の隙間から僕を見た。

「……駄目、かな」

 そのまま手を降ろして、じっと上目遣いで見上げてくる。

 作って欲しい、って。僕の趣味が編みものって気付いてる……よね?

 そしたらどうして下手(したて)に出てくるんだろう。というか僕の知る木嶋くんは、もっとはっきり言ってくるはずなのに。

 僕が知ってる木嶋くんとはまるきり違って、でも僕の趣味を仮とはいえ受け入れてくれてるのが、ひどく嬉しくて……同じくらい怖い。

「……ない、の」

 木嶋くんを見つめたまま、口の中でぽつりと呟く。

「うん……?」

「木嶋くん、は……僕みたいなのが編みものしてて、気持ち悪くないの」

 自分で言っておいてなんだけど、泣きそうになる。

 声は震えていて、緊張からなのか手首から先は冷たくて。

 不思議そうな木嶋くんの顔を見れなくて、そっと目を伏せると同時に鼻の奥がツンと痛んだ。

 泣くな、って思っても視界が歪んでいくのを嫌でも感じて、これじゃあ木嶋くんも呆れてるだろうな。

「なんで? すげーじゃん。絵も描けるし、自分で好きなもん作れるし。ってか、やっぱ糸瀬が作ってたのか」

 尚更すげーよ、って僕を安心させるような優しい声が聞こえる。

「僕なんか、すごくないよ」

 木嶋くんはそう言ってくれるけど、僕の取り柄といえばそれくらいだから。

 木嶋くんみたいに明るくも、運動が出来る訳でもないし、まして友達がたくさんいる訳でもない。

 いつもネガティブで自己肯定感も低くて、家に帰ったら一番にあみぐるみに話し掛けるような奴なのに。

 ……なのに、どうしてそんなに褒めてくれるんだ。

「──糸瀬さ。自分じゃ気付いてないかもだけど、ラインでやり取りしてても『自分なんか』って口癖じゃん」

 すると静かな声が聞こえてきて、僕は反射的に木嶋くんを見た。

 それまでとは打って変わって、涙の膜で歪んだ視界でも分かるくらい、木嶋くんが真剣な顔で僕を見つめていた。

「他の奴はもちろんだけど、俺と居てもよそよそしいし……なんかしたのか心配になる」

「……っ」

 真正面からじっと見つめられて、小さく息を呑んだ。

 木嶋くんの瞳は真剣で、心から言っているんだって嫌でも分かる。

 濁してはいるけど、その言葉は紛れもなく僕に対しての苛立ちで。

 でも少し、本当にほんの少しだけ心配してくれてるのを感じ取って、二重で惨めになった。

 そんなの、僕が一番分かってる。……分かってるのに、すぐには自分を変えられないのも事実で。

 僕には無い誠実さを()の当たりにした気がして、同時にこんな自分が情けなかった。

 木嶋くんと話すようになってから、より一層この人と居るのは釣り合わないって、僕なんかと仲良くしない方がいいんじゃないかって、何度も考えるくらいだ。

「……木嶋くんは悪くない、よ」

 それは彼に向けてるものなのか、自分自身に言い聞かせてるものなのか、もはや自分でも何を言ってるのか分からない。

 ただ、これ以上木嶋くんの傍に居たらいけない気がして、僕はのろのろと立ち上がった。

「糸瀬……?」

 木嶋くんが僕を呼んでる。

 でもまっすぐに顔を見れなくて、僕は心の中で呟いた。

 ──もう僕とは話さない方がいいよ。

「……先に教室、戻ってるね」

「ちょ、糸瀬っ」

 また木嶋くんが僕を呼ぶ。今度は焦った声で。

 でもその声には応えず、ランチボックスとお茶を半ば引っ摑んで、僕は逃げるように空き教室を出た。