それから数日。体調が回復した崔蓉蓉は龍麗宮にいた。
雷暁宇に頼んで、まだ目が覚めていないことにしておいてもらった。
崔蓉蓉が死ぬまでは、おそらくは、あの人は何も仕掛けてこないつもりだと思ったからだ。
「陛下。私は体調が良くなったので、とりあえず死にます」
「死ぬ?」
「というか、死んだことにしてください。そうすれば、あの人は何かしら仕掛けてくるはずです」
「証拠を確保して処分を下す、か……。あの子に恨まれるであろうな」
雷暁宇の瞳は暗い。
「陛下……」
崔蓉蓉雷は思わず雷暁宇の手を握る。
「この件において陛下は間違ったことをなさろうとはしていません!」
「今回の件についてはそうだったとしても……。先帝を殺し……先帝の時代に罪を犯したものたちを罰してきた。時には死罪にさえした。今回の件はその罰かもしれぬな。ある意味天罰かもしれぬ。信頼していた人が私を殺そうとしていたとは」
「それも陛下はこの国を想ってのことではありませんか!」
「だが、殺しは殺し……。いつか殺されても文句は言えないだろうな」
自嘲気味に雷暁宇はつぶやく。
夜な夜な、雀の姿で政務に宰相とともに励む姿だってみてきた。この皇帝が国を想う心は本物だと崔蓉蓉は思う。
「陛下、そんなことは言わないでください!」
崔蓉蓉は雷暁宇の手を握る。
「私は、私は、まだ陛下と初めてお会いしてから間もないですが陛下は御立派な方と思っています! 陛下はこの国のためにまだ死ねないとおっしゃったではありませんか! たとえ、あの子に恨まれようと、お願いです。生きてください! 私は陛下のお側にいますから! 私ごときがお側にいても役に立たないでしょうが、それでも……!」
雷暁宇は大きく目を見開いた。
「まるで熱烈な愛の告白のようだ」
「え……」
そんなふうに聞こえただろうか。カァっと顔が真っ赤になるのがわかった。
あははと雷暁宇が笑う。
「私は死ぬ気はないぞ。恨まれても生きなくては……」
それなら今の自分の言葉は余計なお世話だったか、と崔蓉蓉は思う。
しかし。
「そなたの言葉、嬉しかったぞ」
雷暁宇が眩しい笑みで言うので、崔蓉蓉は想いを口に出したのは正解だったかもしれないと思い直した。
崔妃が死んだ、という知らせは後宮中を駆け巡った。たった一ヶ月の妃であったが、皇帝の寵愛ぶりはすさまじく毎夜、寵を与えていた愛妃の死に皇帝は嘆き悲しんでいるという。崔妃が死んでからも皇帝は毎夜、彼女の側を離れない。
亡き骸はいまだ、龍麗宮にあるという。
月季太妃から最期に会いたいという申し入れがあって、雷暁宇は受け入れた。
「陛下、崔妃はどちらに?」
「こちらだ」
と雷暁宇は案内をする。
雷暁宇に従って、寝室に月季太妃は入った。
寝台には崔蓉蓉が横たわっている。
(死んだふりなんて初めてよ)
崔蓉蓉は生きていることがバレないか心配でたまらない。
「……お可哀想に」
月季太妃がつぶやく。
しばらく崔蓉蓉を月季太妃は眺めていたが、やがて「崔妃のご冥福をお祈りしますわ」と言って部屋から出ていった。
パチリと崔蓉蓉は目を開けた。
「陛下、たぶん、夜に梟が来ますよ」
「そうか。……それにしても死んだふりはなかなか上手かったぞ」
「上手く出来ていたなら良かったのですが」
「ああ、とても上手かった」
死ぬふりを褒められるなんて人生で一度あるかないかだろうなと崔蓉蓉は思った。
そして、日が暮れて。龍麗宮の寝室に二人はいた。ちなみに娃娃はすでに別室へと移動済みだ。
二人の側には刀も置いてある。
雀の姿の雷暁宇は崔蓉蓉の肩に乗っていた。
「そろそろ来ると思います」
『そうか』
そんな会話をしていると、何もないはずの空間から裂け目が出来る。白い何かが、その中から飛び出してきた。
白い梟だ。
「来ましたね」
『ああ』
二人は落ち着いていた。
崔蓉蓉は呪言を唱える。この部屋には新たな結界も張った。崔蓉蓉の力を増幅させるような結界だ。
白い梟は叫び声を上げて地面に落下して、這いずり回る。
途端に、パッと辺りが光った。雀は空中に飛んだ。小鳥は人型に変わっていく。
「あ……」
そっと、崔蓉蓉は雷暁宇に背を向ける。裸をみるところだった。呪言は唱え続けた。
「こちらを向いていいぞ。服は着た」
「……はい」
振り向けば、黄色の衣装をまとう雷暁宇がいた。しっかり、人の形だ。
「梟を痛めつけたら、陛下も戻りましたね。呪術師が弱れば、呪いや祝福の効果もそれに伴って弱くなる。術者が死ねば完全に効果は消滅する。梟の主と陛下が雀になった件は関係しているのです。……そして、この梟の蠱は呪術師と密接につながっている……。今頃、呪術師もまたこの梟と同じように苦しんでいるでしょう」
雷暁宇は声を上げた。
「お前たち、入ってこい!」
すると、禁軍を務める宦官たちが部屋に入ってきた。彼らを外に控えさせていたのだ。
のたうち回る梟を見つめる。
禁軍長が訊ねた。
「陛下、これはいったい……?」
「私を殺そうと呪術師が仕掛けた蠱だ」
「陛下を殺そうと!? 何て恐れ多い! しかも呪術師とは……! ってあれ、崔妃様!? お亡くなりになったはずでは!?」
「崔妃は呪術師をおびき寄せるために一芝居打ってもらったのだ」
「な、なるほど……」
禁軍兵たちはわかったようなわかってないような顔をした。混乱しているのだろう。
「今から、梟に主の名を吐かせます」
懐から袋を取り出した。中には敗鼓皮を粉にしたものが入っている。
灰を地面で、すでに弱りきって動かなくなった梟の嘴の中に無理やりつめて、呪言を唱える。
「梟よ、あなたの主を教えて」
『……月季太妃』
梟は震えた声でつぶやく。
あの時、月季太妃は部屋に梟が入れるように術をかけたのだ。
そして、カっと目を見開くと最期の力を振り絞ったのだろう。こちらへ飛びかかろうとした。
(速い!)
思わず崔蓉蓉は目をつぶる。避けられない。
が、いつまでも衝撃もない。そして梟の断末魔が聞こえおずおずと崔蓉蓉は目を開ける。
いつの間にか、刀を雷暁宇が手にしていた。彼が梟を斬ったのだろう。
砂のようにさらさらと梟は消えていく。
「陛下、ありがとうございます」
「これくらいで礼はいらぬ」
ざわざわと禁軍兵たちが騒ぐ。
「月季太妃様!?」
「あのお優しい方が?」
「そ、そんな……」
「でも、今の梟を見たか? 月季太妃様の仕業ではないか?」
雷暁宇が一人の兵に声をかけた。
「月季太妃の宮を見張らせている。見張りのものたちに月季太妃を捕らえるよう伝えてこい」
「はっ!」
兵は駆けて出ていく。
しばらくすると、バンと音がして、先ほどの兵が部屋に入ってきた。
「陛下! 陛下の言う通り、月季太妃様の宮を見張らせていたものたちに知らせましたが突然、禍々しい気配が生じまして……。月季太妃様になぜか、誰も近づけないのです。いかがされますか?」
「わかった。朕、自ら向かう」
「陛下、危険です! 私が行きます!」
崔蓉蓉がそう言えば、雷暁宇が首を横に振る。
「……いや、私が行くべきだ。そなたには今までずいぶん世話になった。これ以上の危険にさらすわけにはいかぬ。それに私は月季太妃と話すべきだろう」
「……では、ともに行きましょう、陛下」
「しかし」
「私も月季太妃様とお話したいのです」
「……わかった」
二人は月季太妃の宮へと向かった。雷暁宇は帯刀している。
禁軍の兵たちも付いてきた。
雷暁宇はついてこなくてもよい、と言ったのだが『陛下を危険な目に合わせられません!』と兵たちは口々に言ったのだった。
月季太妃の宮はなるほど、ひどく禍々しい気配が漂う。
崔蓉蓉と雷暁宇は宮へと足を踏み入れた。兵たちもそれに続こうとしたが、なぜか入ってこれないらしい。
「月季太妃様は私たち以外は受け入れるつもりじゃなさそうですね……」
「……そうか」
雷暁宇は感情の見えない声音で言った。
宮に入れば、宮の階段にぐったりと腰かける月季太妃がそこにはいた。
「陛下、やっぱり雀じゃなくなってしまいしたわね」
ニコリと慈愛に満ちたような笑みを月季太妃は浮かべた。
「すべての黒幕はそなたであったか。私を呪ったのも先帝ではなく、そなただな」
「呪ってなどいませんわ」
「嘘をつくな」
崔蓉蓉が口を挟む。
「陛下。おそらく、呪っていないのは本当でしょう」
「どういうことだ?」
「呪いではなく祝福です。皇宮で、呪うのはたぶん不可能に近いのです。あの梟だって直接、陛下を呪っていたわけではありません。皇宮は結界が張られています。特に強い結界は呪いを弾くもの。……呪術師や道士たちが陛下の『呪い』を解呪出来なかったのも当然です。そもそも呪いではなかったのですから」
「崔妃の言う通りですわ。私は陛下を祝ったのです」
「祝う?」
「ええ、陛下。皇宮でも祝事は呪術師や道士を招いてするでしょう? つまり、呪いは無理でも祝福は可能なのですよ。でも、祝福にも準備も道具もかなり必要でして。私、個人では揃えられなかったし、揃えても不信に思われるかもしれない。……即位式のときの道士や呪術師の道具を拝借して私はあなたを祝福したのです」
「それでなぜ雀になる?」
「陛下は『たまに、このようなものになってみたいと思っていたほどだ』とおっしゃっていましたよね? その願いが叶ってしまったのではないでしょうか」
雀の娃娃を思い出しつつ、崔蓉蓉は推測を述べた。
「それは……」
雷暁宇は目を丸くした。
「あの雀はあなたの望みだったのですよ」
くすりと月季太妃が笑う。
「あなたを殺して、浩然を皇帝にして私は皇太后になって政の実権を握る予定でしたのに残念ですわ。……まったく、あなたのせいですわよ。邪魔だから鈴蘭の実で処分しようと思いましたの。あの鈴蘭の実は特に毒性が強いもの。死ぬと思いましたのに」
崔蓉蓉をちらりと見て月季太妃はため息をつく。
「月季太妃様、あなたは花族出身。だから、鈴蘭という花の実にも耐性があったのですね」
「ええ、そうですわ。花族は花の毒に強いのですわ。だから、わざわざ疑いが私に向かぬように鈴蘭の実を食べましたのに。あなたったら身体が強いのね」
崔蓉蓉は首を横に振る。
「私の母は花族出身なのですよ。私の花族の血はあなたより薄い。けれど確かにこの身に流れている。私の身体にはあなたほどではなくとも花の毒への耐性があるのです。気づきませんか? なぜ、私が雀の陛下とお話し出来たか」
ハッと月季太妃は一瞬、目を見張った後、嬌笑した。
笑い声が辺りに響く。
「ああ、そういうことね! 私の呪術とあなたの呪術は同じもの。花族のもの。あなたと私、流れる血も半分は同じ。だから、あなたは雀の陛下と話せたのね……私はあなたがいた時点で最初から詰んでいたのね」
はあっと、深く月季太妃はため息をつく。
そして、懐から布袋を取り出す。
警戒して雷暁宇が抜刀しようとするが、月季太妃は首を横に振る。
「あなたたちを害そうとする気はもうありませんわ。私が犯人とバレた時点で私の負けですから。……陛下、浩然はこの件、まったく関係ありませんわ。おこがましいことですが、浩然を頼みますわ」
「当然。私の可愛い弟でもあるのだからな」
「感謝いたします」
月季太妃は布袋を開けて、大量の乾燥した赤い実を呑み込んだ。
雷暁宇と崔蓉蓉が止めようとしたが遅かった。あの量を食べれば、たとえ花の毒に耐性がある花族といえど助かるまい。
月季太妃は胸を掻きむしったあとに、倒れこんだ。
月季太妃の件は皇宮中を震撼させた。
幼い雷浩然への衝撃は測りきれないほどだ。彼は自身の宮へこもりきりになってしまった。
雷暁宇は足繁く弟のもとへ訪れていたが、彼はぼんやりとしていてまともな言葉を返してくれないという。
崔蓉蓉も雷浩然のもとへ行っているが、やはり反応は薄い。
時間が解決するのを待つしかないのだろうか。
龍麗宮の娃娃がたくさんある部屋にて。
崔蓉蓉と雷浩然は茉莉花茶を飲んでいた。
「私は弟に恨まれているのかもしれぬな」
「いつか浩然殿下もわかってくださるかと」
雷暁宇は、少し笑う。
「そなたは優しいな」
「え?」
「今も私を気遣ってくれた。そして、今回の件でも私を助けてくれた。……ありがとう」
「いえ」
茉莉花茶を雷暁宇は一口飲んだ。
「そろそろ、そなたを解放しなくてはな。褒美はいくらでも渡す。そなたといれて楽しかった」
「……」
(ああ、そうだわ。そういうことになっていたわね)
ずっと雷暁宇の妃でいるわけではなかったのだ。すっかり忘れていた。
しかし、とためらうように雷暁宇は口を開いた。
「……そなたさえよければ、もう少し、私の側にいてくれないか。宰相さえ最初見た時は、引いていた娃娃趣味をそなたは最初から受け入れてくれた……。いや、それだけではない。そなたといると気持ちが安らぐ。私はそなたといると楽しいのだ」
驚いて、まじまじと龍顔を崔蓉蓉は見つめた。
「駄目、だろうか……? いや、わかっている。死にかけもしたのだ。私の申し出は図々しいな……」
おそらく、この皇帝は断られると思っているに違いない。
少しうつむく姿が可愛らしいと崔蓉蓉は思う。
あの雀と目の前の皇帝の姿がはっきりと繋がった。
「いえ、陛下。これからもよろしくお願いいたします」
崔蓉蓉がそう答えれば雷暁宇は破顔した。
まだ恋、と呼べるかさえ曖昧かもしれない。でも、確かに崔蓉蓉はこの人の側にいたいと思う。
皇帝、雷暁宇の唯一無二の妻として崔氏が皇后に冊立されたのは、それから数年後の話だ。
雷暁宇に頼んで、まだ目が覚めていないことにしておいてもらった。
崔蓉蓉が死ぬまでは、おそらくは、あの人は何も仕掛けてこないつもりだと思ったからだ。
「陛下。私は体調が良くなったので、とりあえず死にます」
「死ぬ?」
「というか、死んだことにしてください。そうすれば、あの人は何かしら仕掛けてくるはずです」
「証拠を確保して処分を下す、か……。あの子に恨まれるであろうな」
雷暁宇の瞳は暗い。
「陛下……」
崔蓉蓉雷は思わず雷暁宇の手を握る。
「この件において陛下は間違ったことをなさろうとはしていません!」
「今回の件についてはそうだったとしても……。先帝を殺し……先帝の時代に罪を犯したものたちを罰してきた。時には死罪にさえした。今回の件はその罰かもしれぬな。ある意味天罰かもしれぬ。信頼していた人が私を殺そうとしていたとは」
「それも陛下はこの国を想ってのことではありませんか!」
「だが、殺しは殺し……。いつか殺されても文句は言えないだろうな」
自嘲気味に雷暁宇はつぶやく。
夜な夜な、雀の姿で政務に宰相とともに励む姿だってみてきた。この皇帝が国を想う心は本物だと崔蓉蓉は思う。
「陛下、そんなことは言わないでください!」
崔蓉蓉は雷暁宇の手を握る。
「私は、私は、まだ陛下と初めてお会いしてから間もないですが陛下は御立派な方と思っています! 陛下はこの国のためにまだ死ねないとおっしゃったではありませんか! たとえ、あの子に恨まれようと、お願いです。生きてください! 私は陛下のお側にいますから! 私ごときがお側にいても役に立たないでしょうが、それでも……!」
雷暁宇は大きく目を見開いた。
「まるで熱烈な愛の告白のようだ」
「え……」
そんなふうに聞こえただろうか。カァっと顔が真っ赤になるのがわかった。
あははと雷暁宇が笑う。
「私は死ぬ気はないぞ。恨まれても生きなくては……」
それなら今の自分の言葉は余計なお世話だったか、と崔蓉蓉は思う。
しかし。
「そなたの言葉、嬉しかったぞ」
雷暁宇が眩しい笑みで言うので、崔蓉蓉は想いを口に出したのは正解だったかもしれないと思い直した。
崔妃が死んだ、という知らせは後宮中を駆け巡った。たった一ヶ月の妃であったが、皇帝の寵愛ぶりはすさまじく毎夜、寵を与えていた愛妃の死に皇帝は嘆き悲しんでいるという。崔妃が死んでからも皇帝は毎夜、彼女の側を離れない。
亡き骸はいまだ、龍麗宮にあるという。
月季太妃から最期に会いたいという申し入れがあって、雷暁宇は受け入れた。
「陛下、崔妃はどちらに?」
「こちらだ」
と雷暁宇は案内をする。
雷暁宇に従って、寝室に月季太妃は入った。
寝台には崔蓉蓉が横たわっている。
(死んだふりなんて初めてよ)
崔蓉蓉は生きていることがバレないか心配でたまらない。
「……お可哀想に」
月季太妃がつぶやく。
しばらく崔蓉蓉を月季太妃は眺めていたが、やがて「崔妃のご冥福をお祈りしますわ」と言って部屋から出ていった。
パチリと崔蓉蓉は目を開けた。
「陛下、たぶん、夜に梟が来ますよ」
「そうか。……それにしても死んだふりはなかなか上手かったぞ」
「上手く出来ていたなら良かったのですが」
「ああ、とても上手かった」
死ぬふりを褒められるなんて人生で一度あるかないかだろうなと崔蓉蓉は思った。
そして、日が暮れて。龍麗宮の寝室に二人はいた。ちなみに娃娃はすでに別室へと移動済みだ。
二人の側には刀も置いてある。
雀の姿の雷暁宇は崔蓉蓉の肩に乗っていた。
「そろそろ来ると思います」
『そうか』
そんな会話をしていると、何もないはずの空間から裂け目が出来る。白い何かが、その中から飛び出してきた。
白い梟だ。
「来ましたね」
『ああ』
二人は落ち着いていた。
崔蓉蓉は呪言を唱える。この部屋には新たな結界も張った。崔蓉蓉の力を増幅させるような結界だ。
白い梟は叫び声を上げて地面に落下して、這いずり回る。
途端に、パッと辺りが光った。雀は空中に飛んだ。小鳥は人型に変わっていく。
「あ……」
そっと、崔蓉蓉は雷暁宇に背を向ける。裸をみるところだった。呪言は唱え続けた。
「こちらを向いていいぞ。服は着た」
「……はい」
振り向けば、黄色の衣装をまとう雷暁宇がいた。しっかり、人の形だ。
「梟を痛めつけたら、陛下も戻りましたね。呪術師が弱れば、呪いや祝福の効果もそれに伴って弱くなる。術者が死ねば完全に効果は消滅する。梟の主と陛下が雀になった件は関係しているのです。……そして、この梟の蠱は呪術師と密接につながっている……。今頃、呪術師もまたこの梟と同じように苦しんでいるでしょう」
雷暁宇は声を上げた。
「お前たち、入ってこい!」
すると、禁軍を務める宦官たちが部屋に入ってきた。彼らを外に控えさせていたのだ。
のたうち回る梟を見つめる。
禁軍長が訊ねた。
「陛下、これはいったい……?」
「私を殺そうと呪術師が仕掛けた蠱だ」
「陛下を殺そうと!? 何て恐れ多い! しかも呪術師とは……! ってあれ、崔妃様!? お亡くなりになったはずでは!?」
「崔妃は呪術師をおびき寄せるために一芝居打ってもらったのだ」
「な、なるほど……」
禁軍兵たちはわかったようなわかってないような顔をした。混乱しているのだろう。
「今から、梟に主の名を吐かせます」
懐から袋を取り出した。中には敗鼓皮を粉にしたものが入っている。
灰を地面で、すでに弱りきって動かなくなった梟の嘴の中に無理やりつめて、呪言を唱える。
「梟よ、あなたの主を教えて」
『……月季太妃』
梟は震えた声でつぶやく。
あの時、月季太妃は部屋に梟が入れるように術をかけたのだ。
そして、カっと目を見開くと最期の力を振り絞ったのだろう。こちらへ飛びかかろうとした。
(速い!)
思わず崔蓉蓉は目をつぶる。避けられない。
が、いつまでも衝撃もない。そして梟の断末魔が聞こえおずおずと崔蓉蓉は目を開ける。
いつの間にか、刀を雷暁宇が手にしていた。彼が梟を斬ったのだろう。
砂のようにさらさらと梟は消えていく。
「陛下、ありがとうございます」
「これくらいで礼はいらぬ」
ざわざわと禁軍兵たちが騒ぐ。
「月季太妃様!?」
「あのお優しい方が?」
「そ、そんな……」
「でも、今の梟を見たか? 月季太妃様の仕業ではないか?」
雷暁宇が一人の兵に声をかけた。
「月季太妃の宮を見張らせている。見張りのものたちに月季太妃を捕らえるよう伝えてこい」
「はっ!」
兵は駆けて出ていく。
しばらくすると、バンと音がして、先ほどの兵が部屋に入ってきた。
「陛下! 陛下の言う通り、月季太妃様の宮を見張らせていたものたちに知らせましたが突然、禍々しい気配が生じまして……。月季太妃様になぜか、誰も近づけないのです。いかがされますか?」
「わかった。朕、自ら向かう」
「陛下、危険です! 私が行きます!」
崔蓉蓉がそう言えば、雷暁宇が首を横に振る。
「……いや、私が行くべきだ。そなたには今までずいぶん世話になった。これ以上の危険にさらすわけにはいかぬ。それに私は月季太妃と話すべきだろう」
「……では、ともに行きましょう、陛下」
「しかし」
「私も月季太妃様とお話したいのです」
「……わかった」
二人は月季太妃の宮へと向かった。雷暁宇は帯刀している。
禁軍の兵たちも付いてきた。
雷暁宇はついてこなくてもよい、と言ったのだが『陛下を危険な目に合わせられません!』と兵たちは口々に言ったのだった。
月季太妃の宮はなるほど、ひどく禍々しい気配が漂う。
崔蓉蓉と雷暁宇は宮へと足を踏み入れた。兵たちもそれに続こうとしたが、なぜか入ってこれないらしい。
「月季太妃様は私たち以外は受け入れるつもりじゃなさそうですね……」
「……そうか」
雷暁宇は感情の見えない声音で言った。
宮に入れば、宮の階段にぐったりと腰かける月季太妃がそこにはいた。
「陛下、やっぱり雀じゃなくなってしまいしたわね」
ニコリと慈愛に満ちたような笑みを月季太妃は浮かべた。
「すべての黒幕はそなたであったか。私を呪ったのも先帝ではなく、そなただな」
「呪ってなどいませんわ」
「嘘をつくな」
崔蓉蓉が口を挟む。
「陛下。おそらく、呪っていないのは本当でしょう」
「どういうことだ?」
「呪いではなく祝福です。皇宮で、呪うのはたぶん不可能に近いのです。あの梟だって直接、陛下を呪っていたわけではありません。皇宮は結界が張られています。特に強い結界は呪いを弾くもの。……呪術師や道士たちが陛下の『呪い』を解呪出来なかったのも当然です。そもそも呪いではなかったのですから」
「崔妃の言う通りですわ。私は陛下を祝ったのです」
「祝う?」
「ええ、陛下。皇宮でも祝事は呪術師や道士を招いてするでしょう? つまり、呪いは無理でも祝福は可能なのですよ。でも、祝福にも準備も道具もかなり必要でして。私、個人では揃えられなかったし、揃えても不信に思われるかもしれない。……即位式のときの道士や呪術師の道具を拝借して私はあなたを祝福したのです」
「それでなぜ雀になる?」
「陛下は『たまに、このようなものになってみたいと思っていたほどだ』とおっしゃっていましたよね? その願いが叶ってしまったのではないでしょうか」
雀の娃娃を思い出しつつ、崔蓉蓉は推測を述べた。
「それは……」
雷暁宇は目を丸くした。
「あの雀はあなたの望みだったのですよ」
くすりと月季太妃が笑う。
「あなたを殺して、浩然を皇帝にして私は皇太后になって政の実権を握る予定でしたのに残念ですわ。……まったく、あなたのせいですわよ。邪魔だから鈴蘭の実で処分しようと思いましたの。あの鈴蘭の実は特に毒性が強いもの。死ぬと思いましたのに」
崔蓉蓉をちらりと見て月季太妃はため息をつく。
「月季太妃様、あなたは花族出身。だから、鈴蘭という花の実にも耐性があったのですね」
「ええ、そうですわ。花族は花の毒に強いのですわ。だから、わざわざ疑いが私に向かぬように鈴蘭の実を食べましたのに。あなたったら身体が強いのね」
崔蓉蓉は首を横に振る。
「私の母は花族出身なのですよ。私の花族の血はあなたより薄い。けれど確かにこの身に流れている。私の身体にはあなたほどではなくとも花の毒への耐性があるのです。気づきませんか? なぜ、私が雀の陛下とお話し出来たか」
ハッと月季太妃は一瞬、目を見張った後、嬌笑した。
笑い声が辺りに響く。
「ああ、そういうことね! 私の呪術とあなたの呪術は同じもの。花族のもの。あなたと私、流れる血も半分は同じ。だから、あなたは雀の陛下と話せたのね……私はあなたがいた時点で最初から詰んでいたのね」
はあっと、深く月季太妃はため息をつく。
そして、懐から布袋を取り出す。
警戒して雷暁宇が抜刀しようとするが、月季太妃は首を横に振る。
「あなたたちを害そうとする気はもうありませんわ。私が犯人とバレた時点で私の負けですから。……陛下、浩然はこの件、まったく関係ありませんわ。おこがましいことですが、浩然を頼みますわ」
「当然。私の可愛い弟でもあるのだからな」
「感謝いたします」
月季太妃は布袋を開けて、大量の乾燥した赤い実を呑み込んだ。
雷暁宇と崔蓉蓉が止めようとしたが遅かった。あの量を食べれば、たとえ花の毒に耐性がある花族といえど助かるまい。
月季太妃は胸を掻きむしったあとに、倒れこんだ。
月季太妃の件は皇宮中を震撼させた。
幼い雷浩然への衝撃は測りきれないほどだ。彼は自身の宮へこもりきりになってしまった。
雷暁宇は足繁く弟のもとへ訪れていたが、彼はぼんやりとしていてまともな言葉を返してくれないという。
崔蓉蓉も雷浩然のもとへ行っているが、やはり反応は薄い。
時間が解決するのを待つしかないのだろうか。
龍麗宮の娃娃がたくさんある部屋にて。
崔蓉蓉と雷浩然は茉莉花茶を飲んでいた。
「私は弟に恨まれているのかもしれぬな」
「いつか浩然殿下もわかってくださるかと」
雷暁宇は、少し笑う。
「そなたは優しいな」
「え?」
「今も私を気遣ってくれた。そして、今回の件でも私を助けてくれた。……ありがとう」
「いえ」
茉莉花茶を雷暁宇は一口飲んだ。
「そろそろ、そなたを解放しなくてはな。褒美はいくらでも渡す。そなたといれて楽しかった」
「……」
(ああ、そうだわ。そういうことになっていたわね)
ずっと雷暁宇の妃でいるわけではなかったのだ。すっかり忘れていた。
しかし、とためらうように雷暁宇は口を開いた。
「……そなたさえよければ、もう少し、私の側にいてくれないか。宰相さえ最初見た時は、引いていた娃娃趣味をそなたは最初から受け入れてくれた……。いや、それだけではない。そなたといると気持ちが安らぐ。私はそなたといると楽しいのだ」
驚いて、まじまじと龍顔を崔蓉蓉は見つめた。
「駄目、だろうか……? いや、わかっている。死にかけもしたのだ。私の申し出は図々しいな……」
おそらく、この皇帝は断られると思っているに違いない。
少しうつむく姿が可愛らしいと崔蓉蓉は思う。
あの雀と目の前の皇帝の姿がはっきりと繋がった。
「いえ、陛下。これからもよろしくお願いいたします」
崔蓉蓉がそう答えれば雷暁宇は破顔した。
まだ恋、と呼べるかさえ曖昧かもしれない。でも、確かに崔蓉蓉はこの人の側にいたいと思う。
皇帝、雷暁宇の唯一無二の妻として崔氏が皇后に冊立されたのは、それから数年後の話だ。

