呪術師宮女は冷酷雀皇帝の妃となりました

「すーずめー、雀、ちゅんちゅんちゅん」

 音痴な歌を唇から少女は紡いでいた。淡い朱色の襦裙(じゅくん)は彼女が尚食局(しょうしょくきょく)に所属する宮女であることを示していた。
 季節は冬。歌の合間に白い吐息が漏れる。ちゅんちゅんと鳴く雀たちは遠巻きに少女――崔蓉蓉(ツイロンロン)を眺めていた。
 崔蓉蓉は尚食局から持ち出した古い米を雀たちのために撒いている。
 無論、崔蓉蓉が尚食局から無断で持ち出したわけでも独断で米を撒いているのでもない。
 いつからか始まった後宮の伝統のようなもの。始まりは、ある時代の皇帝の妃が極寒の中の雀たちを哀れんで米を与えるように尚食局に命じたということと伝えられるが詳しいことは定かではない。
 とにかく、その命は誰にも撤廃されることなく今まで続いている。
 毎年、冬の寒さの厳しい時期に尚食局は古くなった米を撒いて雀に分け与えている。朝夕の二回、後宮の一画で雀たちに米を与える。
 とはいえ、崔蓉蓉がこの仕事をこなしたのは今年が初めてであるが。
 なにせ、彼女はまだ入宮して三ヶ月ばかりの新米宮女。
 新帝即位と同時に行われた宮女の募集に応募してみたら採用されたのだ。
 仕事は皿洗い、尚食局の建物の掃除、先帝の妃嬪や上級女官、上級宦官への配膳など。それとここ一週間ほどは雀への米やりが加わった。
 本来なら今上帝の妃嬪たちへも食事の配膳を尚食局所属の宮女がこなすのだが、なぜか皇帝は妃嬪を一人も持っていない。
 理由はわからない。女に興味がないだとか。はたまた不能だとか。まことしやかにささやかれている。
 さまざまな説が流れているが真相はわからない。
 
 噂の皇帝は美しいが、まるで氷のようであるという。彼の笑う姿は誰も見たことがないと。
 また苛烈な性格で自身に逆らうものは排除するという。
 だが、多くの民は新帝を歓迎した。先帝はかなりの放蕩家な上に政治も投げ出していたのだ。そのために、国は荒れていた。
 今の皇帝は政治を投げ出すようなことはしていない。
 だが、不思議なことに夜になると公の場に姿を現すことはない。
 皇帝についてさまざまな噂話が後宮ではなされる。
 崔蓉蓉も皇帝のことを考えることはある。
 だが、一介の下っ端宮女の崔蓉蓉が皇帝と深く関わることなどあるまい。せいぜい、遠くから龍顔をちらっと拝顔することがあるかないかだろう。考えたところで無駄というものだ。
 
 一人で、歌を歌いながら米を撒いてゆく。周りには誰もいない。
 雀たちは警戒心が強く崔蓉蓉がその場を離れない限りは米を食べに来ない。
 だから撒き終えたら、崔蓉蓉は呪言を唱える。

「……我が身を隠せ」

 すーっと、崔蓉蓉の気配が薄くなる。
 雀たちは、地面に飛び降りてきて米をつつく。彼らに崔蓉蓉が見えなくなったわけではない。でも、気配が薄くなり警戒心が起きにくくなる呪術なのだ。
 ニマニマと崔蓉蓉は可愛らしい雀たちを眺めた。

(あー、可愛い。私の癒しだわ)

 冬は夜を迎えるのが早い。すでに日は暮れている。しばしの間、茶色の可愛らしい小鳥たちを眺めていた崔蓉蓉だったが後ろ髪をひかれつつも尚食局へ戻ったのだった。


 
 尚食局の廊下で雑巾がけをこなす崔蓉蓉は同じく雑巾がけをしている宮女に話しかけられた。少し年上だが、崔蓉蓉と同じく入宮したばかりの新米宮女だ。

「ねっ、あなたって皇帝陛下をお見かけしたことある?」
「ないですね」
「私、この間、陛下をお見かけしたわ! とっても美男なのよ。天下一の美貌だわ! 病で亡くなられた先帝も美男だったらしいけれど、今の皇帝陛下はそれ以上の美男だとみんな言っているわ」

 大げさでは? と思ったが崔蓉蓉は皇帝を見たことなどない。もしかしたら、彼女の言うようにとてつもない美貌の持ち主なのかもしれない。

「ああ、いつか陛下に目をかけられてお妃様になりたいわ」

 うっとりした表情で宮女は言う。

「あんな美男のお妃様になれるなら例え殺されても悔いはないわ!」
「……殺されてもですか?」

 崔蓉蓉は、殺されるのは嫌だなと思う。美男だろうが平凡な見た目の相手だろうが殺されるのはごめんだ。

「ええ、陛下は先帝と比べても冷酷無比なお方と言われているじゃない? でもそれでもいいわ。官吏や宦官は何人も死んだし、前帝の妃嬪たちは冷宮行きに何人もなったじゃない。……でも、あんな方に愛されてみたいものだわ。あなたもそう思わない?」

 先帝は愚帝とまで言われた男だ。自身に忠告する皇子や妃嬪、臣下を死罪にしていた。
 が、言い換えれば先帝にとっての『余計なこと』さえ言わなければ何をしていても先帝は放っていたらしい。
 
 だが今上帝は、そうした『おべっか』は通用しないらしい。苛烈な帝であるともっぱらの噂だ。

「……私はここで、平穏無事に過ごしたいです。陛下とお近づきになりたいとは思いません」

 それに、と崔蓉蓉は思う。

「皇帝陛下って、即位したというのに皇后も妃嬪もお迎えになっていませんよね。あんまり女性に興味がないんじゃないんでしょうか」
「うーん、みんなそれは疑問なのよ。色々、推測しているけれど謎よね。先帝はたくさんの妃嬪がいたのに今の陛下は一人のお妃様もいないなんて」

 宮女は首をかしげたのだった。そして、あっと何かを思い出したような顔をした。

「……そうだわ! お妃様といえば月季(ユエジー)太妃様と(スン)太妃様がまた揉めたらしいわ。ま、孫太妃様が一方的に喧嘩を仕掛けていただけみたいだけど。月季太妃様はにこやかに躱してるって感じみたい」

 太妃とは先帝の妃を指す言葉だ。月季太妃と孫太妃は仲があまりよくないらしく、度々喧嘩しているらしい。が、月季太妃としては仲良くしたいらしく度々、お茶会などに呼んでいるのだとか。

「月季太妃様も変に絡まれるのに、怒らないなんて優しい方よね。孫太妃様は、ご子息を亡くされてるから浩然(ハオラン)殿下がご健在の月季太妃様が気に食わないのかもしれないけれど……」

 ふと宮女と話していて崔蓉蓉は気付いた。
 
 (月季(薔薇)? 通称かしら? 本名?)

 本名だとしたら、月季なんて姓はとても珍しい。だが、花族という少数民族は花を姓に持つ。花族の出身だろうか。
 花族は崔蓉蓉とも深い関わりがある。



 
「すーずめー、雀、ちゅんちゅんちゅん」
 
 今日もまた崔蓉蓉は雀に米を撒いていた。
 すでに日は落ちていた。
 雀たちは相変わらず、遠巻きに崔蓉蓉を見ていた。警戒心が強いと、思うものの野生で生きていくためには必要なことなのだろう。

(さて、呪言を唱えてっと)
 
「我が身を――」

 その時だった。

「……!?」

 崔蓉蓉の頬に何かぶつかった。痛い。
 そして、とんと肩に何かが留まる。
 一羽の雀が、肩に留まっていた。濃い茶色の雀。ぜいぜいと、息をしている。必死に飛んで崔蓉蓉の肩に留まったのだろう。
 崔蓉蓉はなぜ、雀が自身の肩に留まってきたのかわからず戸惑ったが、近くの木に暗い中でもぼんやりと白いものが見えて納得した。

「梟ね」

 どうやら梟に狙われていたらしい。
 それで、人間に助けを求めてきたわけか。それにしても、人に助けを求めるなんて、ずいぶんと人慣れした雀だ。

(どこかの誰かの飼い雀かしら?)

 上級女官や上級宦官の中には愛玩動物(ペット)を飼育しているものもいる。
 鳥籠から逃げてしまったのかもしれない。
 
「あなたは飼い雀? 後で飼い主を探さないとね」

 雀に言葉がわかるわけがない。そう思いつつも崔蓉蓉は話しかけた。
 
『誰が飼い雀だ。私はこの国の皇帝の雷暁宇(レイシャオユー)だぞ? まあ、この姿で皇帝と思われるはずないのだがな……。とにかく、そなたがいて助かったのは事実。礼を言う。聞こえてないだろうがな。そなたの耳にはちゅんちゅんと鳴いているようにしか聞こえないであろうが』

 崔蓉蓉の目が大きく見開く。

「す、雀が喋った!?」
『なに!? そなた、私の言葉がわかるのか!?』

 雀の声音も驚愕に満ちていた。

「え!? え!?」

 崔蓉蓉は混乱する。

(雀が喋った!? しかも自分を皇帝と言っていたような!? というか……)

『落ち着け! そなたが混乱するのもわかる。雀が喋っているのだからな。しかもその雀の正体は皇帝ときた。驚かないはずがない。私も今まで、この姿で会話が出来たのは初めてだから驚いているのだ』
「あ……あ……わ、私の下手な歌声が、もしかして皇帝陛下に聞かれた……!?」

 今まで周りには小鳥たちしかいないと思っていたのに。人間――というか皇帝にもしかして丸聞こえだったのではないだろうか。

『そなた、一番気にするのがそれか? もっと気にすべきことがないか?』

 雀もとい、皇帝、雷暁宇は呆れたような声で言った。片目でこちらを見つめる雀に崔蓉蓉は、ややしてから言葉を返した。

「……確かにそれはそうですね。皇帝陛下はなぜそのようなお姿に?」
「あれは三ヶ月前のことだ」

 三ヶ月前といえば雷暁宇が即位した時期だ。

「私は先帝を殺した」
「へ?」

 今、すごいことを聞いたような。聞き間違いだろうか。

「殺した? ち、違いますよね? えーっと、(シャ)ではなく(シャ)ですよね! ()遊びしたいんですか? 雀って砂遊びしますもんね!」

 殺と()は発音が同じだ。
 殺なんてこの皇帝を名乗る雀は言ってない。そうに違いない。
 崔蓉蓉は冷や汗をかいた。
 本当にこの雀が皇帝であるとして、わざわざ一介の宮女に先帝を謀殺した、と自分に打ち明けるのはなぜか。何をこの雀が考えているのかわからないが、良からぬことなのは間違いない。
 だから、先帝を殺したなんて崔蓉蓉は聞いていない。そういうことにしておいたほうがいい。
 そうしないと平穏無事な生活が壊れてしまうではないか。

『こんな可愛らしい姿だが、本当の雀じゃないんだぞ? ()遊びなんて興味あるものか。先帝を殺害したのは私だ。私の味方の太医に命じて、毎日少しずつ毒を入れていたのだ』
「……」

 駄目だった。
 崔蓉蓉はガラガラと自分の平和な後宮生活が崩れる音を聞いた気がした。

『私は先帝が死ぬ間際に、会った。それがいけなかったのだろう。冥土の土産に真実を言ってやったのだ。『お前は息子たちの中で一番、出来が良かった。お前と幼い浩然以外の息子は朕に逆らったゆえに全員、殺したがお前は孝行な息子であった。お前の母も私に逆らったゆえに死を与えたがお前は朕に歯向かわなかった。お前のような息子を持てて良かった』と、宣ったものだからな』

 先帝の評判の悪さは崔蓉蓉も知っている。
 後宮にこもりきり。政治は宦官や妃嬪、官吏に任せきり。そのために国は荒れていた。
 それを忠告した皇子たちは死を賜った。妃嬪も臣下も同様であったと。
 だが、その皇帝の放蕩さを咎めずむしろ勧めるものは栄達したらしい。

『先帝は呆然としていたよ。だが、もう死にかけの男だ。すでに最後の毒は飲ませていた。毒は少しずつ飲ませれば病死に見えるようなもの。先帝は最後にこう言った。『呪ってやる』と。私は一笑に付したが、ごらんのありさまだ。夜になると雀になってしまう。それから色々な呪術師、道士たちを呼んで解呪を試みたが駄目だった。……もしかしたら彼らに先帝による呪いであると言わなかったのも良くなかったのかもしれぬ。皇帝であると知らせず雀の姿で、会ったこともあるが今までの呪術師や道士たちとは雀の状態であると会話すら出来なかった』
「……今までの呪術師や道士たちには『事情』をお話にならなかったのですよね?」
『……即位したばかりゆえ、皇帝が夜な夜な雀になるなどという弱みを知らせたくなかった。そもそも先帝を殺したら呪われたなどとは言えぬ』
「なぜ私には打ち明けたのですか……?」
『そなたは雀の私と会話出来たではないか。その可能性に賭けようと思ったのだ。呪言のようなものを唱えたのも見たぞ。そなた、呪術師であろう。解呪に協力してくれ。……それに私が夜な夜な雀になるようになって三ヶ月。夜も政務をしたいのにままならぬ。そなたがいれば便利であろう』

 ふと話を聞いて気になったことを訊ねる。
 
「……陛下が雀の姿に変わるようになったのは先帝が崩御されてからですか?」
『正確に言うと、即位式を行ったあたりからだな。そのあたりで先帝の呪いが発動したのだ』
「そうですか……」

 皇宮には結界があちこちに張ってある。人を呪う呪術は、ほぼ確実に弾かれるだろう。皇族を呪う、なんて可能なのだろうか。呪いをかけたのが先帝であったとはいえ。先帝は強力な呪術師だったのか。それとも死の間際に最期の力を振り絞りたまたま呪えたのか。
 
 雷暁宇は雀のつぶらな瞳で、少し考えこんだ崔蓉蓉を見つめて、言った。

『そなたを私の妃に命じる』
「……えっ」
『返事は『えっ』ではなく『はい』であろう』
「は、はい」

 と、とっさに答えてしまった。

(わ、私の馬鹿! 何が『はい』よ!)

 とはいえ、本当に皇帝であるなら命令に逆らえるはずもない。皇帝が何を考えているのかわからないとはいえ。
 
 その後、雷暁宇に皇帝の住まいである龍麗(りゅうれい)宮へ連れて行くよう命じられた。
 崔蓉蓉は素直に従い、龍麗宮へ向かった。
 龍麗宮は掖庭と外廷の狭間にあり、一介の宮女が本来ならほいほい入れる場所ではないのだが、門番の宦官は崔蓉蓉の肩に乗る雀を見ると通してくれた。
 崔蓉蓉は知らなかったが宰相から『濃い茶色の雀』を見たら丁重な扱いをした上で 龍麗宮に連れてくるようにとの命令が出ていたらしい。
 龍麗宮の門をくぐると中庭で一人の初老の男がうろうろしていた。
 上等な紫紺の丸襟の官服。明らかに高級官吏である。
 崔蓉蓉と雀の姿を目に留めた男は、ハッとしたような表情になってこちらに駆け寄ってきた。
 崔蓉蓉は揖礼(ゆうれい)した。

「きみ、その雀はどこで?」
「私は尚食局の宮女です。雀に米やりをしていたところ、この雀が私の肩に来たのです」 
「そうか……。良かった。助かったよ。その雀は私の大事な存在でね……後できみに礼をしよう」
『この(ワン)宰相は信用出来るものだ。私の事情はわかっている。が、どうもこの姿だと会話出来ないからな。夜が明けたら、私から事情を王宰相にも話しておく。明日の朝には命令を出す。妃として迎えるから準備しておくように』
「ちゅんちゅんとどうなされた?」

 王宰相が雀に話しかける。やはり、崔蓉蓉以外には雀の鳴き声としてしか認識されないらしい。
 雀が王宰相の肩に飛び乗る。

「あの、では私はこれで」
「ああ、助かったよ」

 王宰相が微笑む。
 崔蓉蓉は、深いため息をつきつつ尚食局へと戻ったのだった。