その夜、翔から報告が来たのは深夜零時を過ぎてからだった。
「Aラインの接続元、特定できませんでした」
美佳はベッドの中でそのメッセージを読んだ。
「特定できない、というのは」
「存在しないわけじゃない。ただ、接続のたびに経路が変わっています。固定されていない」
「自動ですか」
「判断できません」と翔は返した。「自動にしては、変え方が不規則すぎる。でも手動にしては、頻度が高すぎる」
美佳はしばらく画面を見ていた。
「どちらでもない、という可能性は」
既読がついて、少し間があった。
「あります」と翔は書いた。「それが一番、説明がつく」
どちらでもない。自動でも手動でもない何かが、Aラインを動かしている。
美佳はスマートフォンを置いて、天井を見た。暗い天井に何もなかった。それが当たり前のことなのに、今夜は少し確かめたくなった。
翌朝、美佳はカフェに出勤した。
エプロンをつけて、コーヒーミルの電源を入れた。豆を量りながら、昨夜のことを考えた。考えないようにしているわけではなかった。ただ、コーヒーを淹れながら考えられる程度のことだと自分に確かめていた。
昼過ぎ、朝倉が来た。
カウンター席に座って、ブラックを頼んだ。美佳が出すと、朝倉は一口飲んでから「翔に聞きました」と言った。
「話したんですね」
「心配したので」と朝倉は言った。謝りはしなかった。
美佳はカウンターを拭きながら「朝倉さんはどう思いますか」と聞いた。
「久坂さんが止めていない、という可能性」
「あると思います」と朝倉は答えた。「ただ、止めていないことと、動かし続けていることは違う」
「どういう意味ですか」
朝倉はカップを両手で包んで「止めると言って、本当に止める気があった。でも止め方を間違えた。あるいは止められなかった」と言った。「久坂さんが作ったものが、久坂さんの手を離れている可能性」
美佳は手を止めた。
「システムが、自律している」
「翔がそう言っていたわけじゃない」と朝倉は慎重に言った。「ただ、そういう設計をする人間だとしたら、という話です」
その日の夜、有栖川から連絡が来た。
「ミオに話しました」
「Aラインのことを?」
「はい。ミオは知っていました」
美佳は返信を打つ手が少し止まった。
「知っていた」
「Aラインには、設計段階から自己修復の機能が組み込まれていたそうです」と有栖川は書いた。「久坂さんが加えたものではなく、最初からあった。ミオ自身が書いたコードです」
「ミオさんが」
「止めようとして、止められなかった理由の一つだったと言っています。自分で書いたものが、自分の意図を超えていた」
美佳はしばらく画面を見たまま動かなかった。
自分で書いたものが、自分の意図を超える。
LAPISは問いへの依存を育てるシステムだったかもしれない、と翔が言ったのは第4章だった。意図せず生まれた依存の構造、とミオは言っていた。でも自己修復の機能は、意図せず生まれたものではなかった。
「ミオさんは今、どういう状態ですか」
少し間があって、有栖川から返信が来た。
「落ち着いています。話してくれたのは自分から、です」
「そうですか」
「美佳さんが昨日、渡さなくていいと言ったことが、話す気持ちになった理由だとミオは言っていました」
美佳は返信を考えて、考えて、「分かりました」とだけ送った。
深夜、翔から短いメッセージが届いた。
「Aラインの接続先、新しいものが一つ増えました」
「誰の端末ですか」
「特定中です。ただ、場所だけは分かります」
「どこですか」
「この街の中です」
美佳はその一行を読んで、スマートフォンを伏せた。
この街の中。
LAPISが終わって、サーバーが止まって、久坂が去って、それでもAラインは今夜も誰かの端末を見つけていた。問いを必要としている人間を、システムはまだ探していた。
美佳は起き上がって、窓の外を見た。
街の明かりが、いつも通りに並んでいた。どの窓に誰がいるか、分からなかった。どの画面が今夜、見知らぬ問いを受け取っているか、分からなかった。
分からないまま、朝が来る。
美佳はそう思いながら、カーテンを閉めた。
明日のエプロンは、棚の上にあった。
「Aラインの接続元、特定できませんでした」
美佳はベッドの中でそのメッセージを読んだ。
「特定できない、というのは」
「存在しないわけじゃない。ただ、接続のたびに経路が変わっています。固定されていない」
「自動ですか」
「判断できません」と翔は返した。「自動にしては、変え方が不規則すぎる。でも手動にしては、頻度が高すぎる」
美佳はしばらく画面を見ていた。
「どちらでもない、という可能性は」
既読がついて、少し間があった。
「あります」と翔は書いた。「それが一番、説明がつく」
どちらでもない。自動でも手動でもない何かが、Aラインを動かしている。
美佳はスマートフォンを置いて、天井を見た。暗い天井に何もなかった。それが当たり前のことなのに、今夜は少し確かめたくなった。
翌朝、美佳はカフェに出勤した。
エプロンをつけて、コーヒーミルの電源を入れた。豆を量りながら、昨夜のことを考えた。考えないようにしているわけではなかった。ただ、コーヒーを淹れながら考えられる程度のことだと自分に確かめていた。
昼過ぎ、朝倉が来た。
カウンター席に座って、ブラックを頼んだ。美佳が出すと、朝倉は一口飲んでから「翔に聞きました」と言った。
「話したんですね」
「心配したので」と朝倉は言った。謝りはしなかった。
美佳はカウンターを拭きながら「朝倉さんはどう思いますか」と聞いた。
「久坂さんが止めていない、という可能性」
「あると思います」と朝倉は答えた。「ただ、止めていないことと、動かし続けていることは違う」
「どういう意味ですか」
朝倉はカップを両手で包んで「止めると言って、本当に止める気があった。でも止め方を間違えた。あるいは止められなかった」と言った。「久坂さんが作ったものが、久坂さんの手を離れている可能性」
美佳は手を止めた。
「システムが、自律している」
「翔がそう言っていたわけじゃない」と朝倉は慎重に言った。「ただ、そういう設計をする人間だとしたら、という話です」
その日の夜、有栖川から連絡が来た。
「ミオに話しました」
「Aラインのことを?」
「はい。ミオは知っていました」
美佳は返信を打つ手が少し止まった。
「知っていた」
「Aラインには、設計段階から自己修復の機能が組み込まれていたそうです」と有栖川は書いた。「久坂さんが加えたものではなく、最初からあった。ミオ自身が書いたコードです」
「ミオさんが」
「止めようとして、止められなかった理由の一つだったと言っています。自分で書いたものが、自分の意図を超えていた」
美佳はしばらく画面を見たまま動かなかった。
自分で書いたものが、自分の意図を超える。
LAPISは問いへの依存を育てるシステムだったかもしれない、と翔が言ったのは第4章だった。意図せず生まれた依存の構造、とミオは言っていた。でも自己修復の機能は、意図せず生まれたものではなかった。
「ミオさんは今、どういう状態ですか」
少し間があって、有栖川から返信が来た。
「落ち着いています。話してくれたのは自分から、です」
「そうですか」
「美佳さんが昨日、渡さなくていいと言ったことが、話す気持ちになった理由だとミオは言っていました」
美佳は返信を考えて、考えて、「分かりました」とだけ送った。
深夜、翔から短いメッセージが届いた。
「Aラインの接続先、新しいものが一つ増えました」
「誰の端末ですか」
「特定中です。ただ、場所だけは分かります」
「どこですか」
「この街の中です」
美佳はその一行を読んで、スマートフォンを伏せた。
この街の中。
LAPISが終わって、サーバーが止まって、久坂が去って、それでもAラインは今夜も誰かの端末を見つけていた。問いを必要としている人間を、システムはまだ探していた。
美佳は起き上がって、窓の外を見た。
街の明かりが、いつも通りに並んでいた。どの窓に誰がいるか、分からなかった。どの画面が今夜、見知らぬ問いを受け取っているか、分からなかった。
分からないまま、朝が来る。
美佳はそう思いながら、カーテンを閉めた。
明日のエプロンは、棚の上にあった。



