アンケート ― 選ばないという選択 ―

朝が来るたびに、少しずつ違う。

美佳はそのことに気づいていた。同じエプロンを棚から取り出して、同じ紐を後ろで結ぶ。老夫婦が「いらっしゃい」と言われる前に扉を開ける。コーヒーミルの音が店の奥から聞こえてくる。それなのに、同じ一日が一日もない。

前章が終わってから、美佳はあまり自分の内側を言語化しようとしなくなっていた。

意識的にそうしているわけではなかった。ただ、コーヒーカップを置くときに「この選択に意味はあるか」と問わなくなっていた。左の棚と右の棚、どちらにミルクピッチャーを戻すか、五秒考えることがなくなっていた。
それが回復なのかどうかも、確かめなくなっていた。

昼過ぎ、窓際の席に中学生くらいの女の子が一人で座った。制服ではなく、くたびれた白いパーカーを着ていた。注文はホットチョコレート。受け取るときに「ありがとうございます」と言ったが、美佳の顔を見なかった。
テーブルの上にノートを広げて、何かを書いて、また消して、また書いていた。

美佳はカウンターから時々その様子を見た。

二時間近く、女の子はそこにいた。ホットチョコレートが冷めても、特に気にしていないようだった。

閉店の三十分前、美佳は水を持っていった。

「よければ」と言って置くと、女の子は初めて顔を上げた。

「書き直してばかりで、すみません」

「ゆっくりどうぞ」

美佳がカウンターに戻りかけると、女の子が小さな声で言った。

「同じ問いを、一年くらい書いてるんです」
美佳は振り返らなかった。少し止まって、それからゆっくり戻った。

「同じ問い?」

「なんで自分がいるのか、っていう。答えが出なくて。でも消せなくて」

美佳は向かいの椅子を引かずに、カウンターとテーブルの間の空間に立ったまま女の子を見た。

「消さなくていいと思います」と、すぐには言わなかった。

少し間があった。

「一年書き続けてきたなら、その問いはあなたのものですね」

女の子は首を傾けた。「答えが出ないのに?」

「答えが出ないから、一年続いてるんじゃないですか」

女の子は何も言わなかった。ノートの上に視線を落として、また少し考えているようだった。

美佳もそれ以上何も言わなかった。カウンターに戻って、グラスを拭いた。

閉店五分前、女の子は帰り際にもう一度「ありがとうございました」と言った。今度は美佳の顔を見ていた。

夜、美佳はスマートフォンを開いた。

翔から「今日も静かです」。

有栖川から「ミオが図書館に行きたいと言っています。来週、行ってみようと思う」。

朝倉からは何もなかった。何もないのが朝倉の近況報告だと、美佳は知っていた。

美佳は少し考えて、朝倉に一行送った。

「今日、同じ問いを一年書いてる子に会いました」

すぐに既読がついた。

しばらくして、朝倉から返信が来た。

「その子は、どうなりましたか」

美佳は「帰りました。また来るかもしれない」と返した。

来ないかもしれない、とも思った。でも送らなかった。どちらでも、それはその子が決めることだった。

エプロンを棚に置く前に、美佳は今日のことを少しだけ振り返った。

あの女の子に「消さなくていい」と言いかけて、言わなかった。代わりに「あなたのものですね」と言った。

どちらが正しかったのかは分からなかった。

でも「分からない」は、以前のように美佳を止めなかった。

明日もエプロンはここにある。それだけが、今夜確かなことだった。