昼過ぎに、ユリは帰った。
玄関で「また連絡していいですか」と言った。
「いつでも」と美佳は言った。
ユリが頷いて、出ていった。その後ろ姿は、昨日岸壁で見た後ろ姿より、少し重心が低かった。地面をちゃんと踏んでいる感じがした。
朝倉も「一度家に帰ります」と言った。「着替えがないので」
「昨夜は廃施設に泊まったんですね」
「翔の毛布が一枚しかなかったと言いましたが、正確には翔が一枚しか持っていなくて、翔に使わせました」
「朝倉が使えばよかった」
「翔の方が必要そうだったので」と朝倉は言った。それ以上の説明はしなかった。
美佳は「ありがとう」と言った。何に対してかは言わなかった。朝倉には伝わると思った。
「また夜に連絡します」と朝倉は言って、出ていった。
一人になった。
部屋が静かだった。昨夜からずっと誰かがいたので、静けさが少し新鮮だった。
美佳はソファに座って、端末を持った。
何か来ているか確認しようとして、やめた。
翔からの連絡は夕方でいい。有栖川からの連絡も、急ぎではないはずだった。
端末をソファの隣に置いた。
窓の外を見た。光が少し傾いてきていた。昼を過ぎていた。
美佳は目を閉じた。眠るつもりではなかった。ただ、少しの間、何も見ないでいたかった。
三十分ほど経って、端末が振動した。
一回だけだった。メッセージだった。
美佳は端末を手に取った。
番号非通知だった。
画面に一行だけ、テキストが表示されていた。
問いは、答えより先に存在してはいけないの?
美佳は動かなかった。
二年前と同じ文面だった。二年前と同じ番号だった。あのとき既読をつけなかったメッセージと、同じ問いだった。
今度は既読がついた。自動的に。
美佳はしばらく画面を見ていた。
返信するかどうか、考えた。
二年前、このメッセージを受け取ったとき、美佳は無視した。意図的にではなく、どう返せばいいか分からなかったから。そのまま二年が経った。
今は、違う。
美佳は返信欄をタップした。
少しの間、何を書くか考えた。言葉にしようとすると、いくつか浮かんだ。でも、どれも多すぎた。
最終的に、一行だけ打った。
存在していいと思います。
送信した。
既読がついた。すぐに。
返信は来なかった。
五分待った。十分待った。返信はなかった。
美佳は端末をソファに戻した。
返信がないことを、不安には思わなかった。届いたと思った。届けばいいと思っていたから、それで十分だった。
問いは、答えより先に存在してはいけないの?
美佳はその問いを、もう一度頭の中で繰り返した。
二年前に読んだときと、今読むときとでは、問いの感触が違った。二年前は問いかけられているように感じた。今は、誰かが自分自身に向けて呟いているように聞こえた。
送ったのはミオだろう、と美佳は思った。確かめようとは思わなかった。
夕方、翔から連絡が来た。
午後の確認です。Aラインの動き、今日は一度もありません。Bラインも静かです。ミオさんは廃施設を出ました。有栖川さんが送っていきました。
美佳は分かりましたと返した。
それから少し考えて、もう一行付け加えた。
翔、ありがとう。昨夜も今日も。
翔からすぐ返ってきた。朝倉さんに毛布を取られました。それだけが心残りです。
美佳は笑った。
夜、朝倉から連絡が来た。
今日一日どうでしたか
静かでしたと美佳は返した。
静かは良いことですか
美佳は少し考えた。良いことです、今日はと返した。
朝倉からそれは良かったと来た。それから少し間を置いて、一つ聞いていいですかと来た。
どうぞ
これからどうしますか、美佳は
美佳はその問いを受け取って、しばらく端末を持ったまま座っていた。
どうしますか。
この数日で、たくさんのことが動いた。システムの一部は止まった。全部ではない。久坂はいなくなった。ミオは倉庫を出た。ユリは帰った。翔は廃施設にいる。朝倉は家にいる。
何かが終わったとは言い切れなかった。でも、何かが変わったのは確かだった。
美佳は返信を打った。
カフェに出勤します。明後日から。それが今考えられることの全部です
朝倉からすぐ来た。
それで良いと思います
朝倉は
俺は明日、翔の廃施設に行きます。サーバーをどうするか、翔と話します
終わったら教えてください
教えます
それだけのやり取りだった。でも、それで十分だった。
夜の十時頃、有栖川から短いメッセージが来た。
ミオさんを、今夜は私の知人のところに連れていきました。しばらく落ち着ける場所が必要だと思ったので。本人も了承しています。
美佳はありがとうございますと返した。
有栖川から一つだけと来た。
今朝、ミオさんが私に話してくれたことがあります。LAPISを設計した本当の最初の理由は、自分の選択を誰かに見てほしかったからだと。正しいかどうかではなく、ただ、誰かに見られていたかった。その気持ちから、全部が始まったと言っていました。
美佳はその文章を二回読んだ。
見られていたかった
美佳は少し時間をかけて、返信を打った。
それは、分かる気がします
有栖川から私もですと来た。
それから一行。
おやすみなさい。今日はよく眠れますように。
おやすみなさいと美佳は返した。
端末を置いた。
部屋の電気を消した。
布団に入った。昨夜はソファだったから、布団が久しぶりに感じた。
天井を見た。暗かった。
美佳は、今日一日に起きたことを順番に考えようとして、やめた。考えなくても、ちゃんと起きたことだった。考えることで何かが変わるわけじゃなかった。
ただ、一つだけ残っていた。
問いは、答えより先に存在してはいけないの?
存在していいと思います。
そのやり取りだけが、静かに胸の中にあった。
誰かの問いに、答えた。二年越しで。
それが正しかったかどうかは分からなかった。でも、自分で返した言葉だった。
目を閉じた。
外は静かだった。風もなかった。
美佳はそのまま、眠った。
玄関で「また連絡していいですか」と言った。
「いつでも」と美佳は言った。
ユリが頷いて、出ていった。その後ろ姿は、昨日岸壁で見た後ろ姿より、少し重心が低かった。地面をちゃんと踏んでいる感じがした。
朝倉も「一度家に帰ります」と言った。「着替えがないので」
「昨夜は廃施設に泊まったんですね」
「翔の毛布が一枚しかなかったと言いましたが、正確には翔が一枚しか持っていなくて、翔に使わせました」
「朝倉が使えばよかった」
「翔の方が必要そうだったので」と朝倉は言った。それ以上の説明はしなかった。
美佳は「ありがとう」と言った。何に対してかは言わなかった。朝倉には伝わると思った。
「また夜に連絡します」と朝倉は言って、出ていった。
一人になった。
部屋が静かだった。昨夜からずっと誰かがいたので、静けさが少し新鮮だった。
美佳はソファに座って、端末を持った。
何か来ているか確認しようとして、やめた。
翔からの連絡は夕方でいい。有栖川からの連絡も、急ぎではないはずだった。
端末をソファの隣に置いた。
窓の外を見た。光が少し傾いてきていた。昼を過ぎていた。
美佳は目を閉じた。眠るつもりではなかった。ただ、少しの間、何も見ないでいたかった。
三十分ほど経って、端末が振動した。
一回だけだった。メッセージだった。
美佳は端末を手に取った。
番号非通知だった。
画面に一行だけ、テキストが表示されていた。
問いは、答えより先に存在してはいけないの?
美佳は動かなかった。
二年前と同じ文面だった。二年前と同じ番号だった。あのとき既読をつけなかったメッセージと、同じ問いだった。
今度は既読がついた。自動的に。
美佳はしばらく画面を見ていた。
返信するかどうか、考えた。
二年前、このメッセージを受け取ったとき、美佳は無視した。意図的にではなく、どう返せばいいか分からなかったから。そのまま二年が経った。
今は、違う。
美佳は返信欄をタップした。
少しの間、何を書くか考えた。言葉にしようとすると、いくつか浮かんだ。でも、どれも多すぎた。
最終的に、一行だけ打った。
存在していいと思います。
送信した。
既読がついた。すぐに。
返信は来なかった。
五分待った。十分待った。返信はなかった。
美佳は端末をソファに戻した。
返信がないことを、不安には思わなかった。届いたと思った。届けばいいと思っていたから、それで十分だった。
問いは、答えより先に存在してはいけないの?
美佳はその問いを、もう一度頭の中で繰り返した。
二年前に読んだときと、今読むときとでは、問いの感触が違った。二年前は問いかけられているように感じた。今は、誰かが自分自身に向けて呟いているように聞こえた。
送ったのはミオだろう、と美佳は思った。確かめようとは思わなかった。
夕方、翔から連絡が来た。
午後の確認です。Aラインの動き、今日は一度もありません。Bラインも静かです。ミオさんは廃施設を出ました。有栖川さんが送っていきました。
美佳は分かりましたと返した。
それから少し考えて、もう一行付け加えた。
翔、ありがとう。昨夜も今日も。
翔からすぐ返ってきた。朝倉さんに毛布を取られました。それだけが心残りです。
美佳は笑った。
夜、朝倉から連絡が来た。
今日一日どうでしたか
静かでしたと美佳は返した。
静かは良いことですか
美佳は少し考えた。良いことです、今日はと返した。
朝倉からそれは良かったと来た。それから少し間を置いて、一つ聞いていいですかと来た。
どうぞ
これからどうしますか、美佳は
美佳はその問いを受け取って、しばらく端末を持ったまま座っていた。
どうしますか。
この数日で、たくさんのことが動いた。システムの一部は止まった。全部ではない。久坂はいなくなった。ミオは倉庫を出た。ユリは帰った。翔は廃施設にいる。朝倉は家にいる。
何かが終わったとは言い切れなかった。でも、何かが変わったのは確かだった。
美佳は返信を打った。
カフェに出勤します。明後日から。それが今考えられることの全部です
朝倉からすぐ来た。
それで良いと思います
朝倉は
俺は明日、翔の廃施設に行きます。サーバーをどうするか、翔と話します
終わったら教えてください
教えます
それだけのやり取りだった。でも、それで十分だった。
夜の十時頃、有栖川から短いメッセージが来た。
ミオさんを、今夜は私の知人のところに連れていきました。しばらく落ち着ける場所が必要だと思ったので。本人も了承しています。
美佳はありがとうございますと返した。
有栖川から一つだけと来た。
今朝、ミオさんが私に話してくれたことがあります。LAPISを設計した本当の最初の理由は、自分の選択を誰かに見てほしかったからだと。正しいかどうかではなく、ただ、誰かに見られていたかった。その気持ちから、全部が始まったと言っていました。
美佳はその文章を二回読んだ。
見られていたかった
美佳は少し時間をかけて、返信を打った。
それは、分かる気がします
有栖川から私もですと来た。
それから一行。
おやすみなさい。今日はよく眠れますように。
おやすみなさいと美佳は返した。
端末を置いた。
部屋の電気を消した。
布団に入った。昨夜はソファだったから、布団が久しぶりに感じた。
天井を見た。暗かった。
美佳は、今日一日に起きたことを順番に考えようとして、やめた。考えなくても、ちゃんと起きたことだった。考えることで何かが変わるわけじゃなかった。
ただ、一つだけ残っていた。
問いは、答えより先に存在してはいけないの?
存在していいと思います。
そのやり取りだけが、静かに胸の中にあった。
誰かの問いに、答えた。二年越しで。
それが正しかったかどうかは分からなかった。でも、自分で返した言葉だった。
目を閉じた。
外は静かだった。風もなかった。
美佳はそのまま、眠った。



