アンケート ― 選ばないという選択 ―

「翔さんは、中にいます」

有栖川の言葉が夜の空気に溶けた。

三人はしばらく扉の前に立っていた。音は止まっていた。ALREADY INSIDEを伝え終えて、翔は待っているのだと美佳は思った。返事を待っている。

「返せる?」と美佳は朝倉に言った。

「叩けば聞こえると思う」と朝倉は言った。

「でも俺、モールス打てない」

「私も」と美佳は言った。

有栖川が扉に近づいた。こぶしを作り、一定のリズムで三回叩いた。短・短・短──短・長・短──短。

OKだった。

間があった。

扉の向こうで、音が返ってきた。短・長──A。短・長・長・長──J。

「AJ?」と朝倉が言った。

音が続いた。有栖川が目を閉じて聞いた。

「──ADJACENT」と有栖川が言った。「隣、という意味です。隣の扉」

三人は南側の壁に沿って移動した。十メートルほど先に、もう一つ扉があった。こちらは錠がなかった。古い蝶番が、触れると軋みそうな見た目をしていた。

朝倉がゆっくりと引いた。

音を立てずに開いた。最近、誰かが油を差していた。

内部は暗かった。

スマートフォンのライトを点けると、コンクリートの床と、錆びた配電盤の残骸が照らし出された。天井が高く、声が反響しそうだった。三人は無言で奥に進んだ。
突き当たりに階段があった。

上から、かすかに光が見えた。

一段ずつ上がった。二階、三階──四階への踊り場で、朝倉が手を挙げて三人を止めた。

物音がした。

規則的だった。キーボードを叩く音だった。
美佳は先に進んだ。

扉が一枚あった。隙間から光が漏れていた。美佳はノックをしようとして、止めた。代わりに扉を三回、短く叩いた。モールスのOKと同じリズムで。

音が止まった。

十秒の沈黙の後、扉が内側から開いた。

翔が立っていた。

無事だった。

それが最初に分かったことだった。顔色は悪く、目の下に隈があり、着ている服は昨日と同じだったが、怪我はなかった。立っていた。自分の足で。

「来るの早いな」と翔は言った。いつもと同じ声だった。

朝倉が何か言いかけて、やめた。美佳も何も言わなかった。有栖川だけが「状況を教えてください」と静かに言った。
翔は扉を大きく開けた。

部屋の中には、折り畳みのテーブルと椅子が一脚あった。テーブルの上にノートPCが一台、その横に手書きのメモが積まれていた。壁に沿って古い配線が走り、その一部に新しいケーブルが接続されていた。

「廃サーバーの残存システム」と翔は言った。「ここに実機がある」

美佳は部屋を見回した。窓は一つ、黒いカーテンで塞がれていた。有栖川が昨夜見た
「光」は、カーテンの隙間から漏れていたものだった。

「一人で来たのは」と美佳は言った。

「座標が特定できた時点で、待てなかった」と翔は言った。言い訳の色はなかった。事実の報告だった。「ただ、中に入ってから想定外のことが一つあった」

「何が」

「サーバーが、まだ動いていた」

翔の説明は簡潔だった。

廃サーバーの実機は、表層では停止しているように見えるが、深層の処理が今も続いていた。外部からの接続ではなく、この実機自体がまだ稼働しているということだった。電力は施設の旧配線から引いていた。違法だが、気づかれにくい方法で。

「稼働しているということは」と有栖川が言った。「誰かが管理している」

「管理というより」と翔は言い、PCの画面を三人に向けた。「自律している」
画面にはログが流れていた。タイムスタンプが数秒おきに更新されていた。

「アクセスがある」と翔は言った。「外部から、定期的に。ただ——」と翔はメモの一枚を取り上げた。「アクセス元が、一つじゃない」

朝倉がメモを見た。「複数?」

「二系統」と翔は言った。「一つは設計に深く関与した人間のアクセス、もう一つは──」

翔は少し間を置いた。

「もう一つは、美佳さんの端末と同一のパターンです」

部屋が静かになった。

美佳はPCの画面を見た。ログが流れ続けていた。タイムスタンプが更新された。また更新された。

「私の端末が」と美佳は言った。「ここに接続している?」

「正確には逆です」と翔は言った。「ここから、美佳さんの端末に接続しています。今も」

美佳はポケットの中のスマートフォンを感じた。今夜、ここに来るとき、持ってきていた。翔は財布もスマートフォンも置いてきた。美佳は持ってきた。

「切れる?」と美佳は言った。

「切ったら」と翔は言った。「向こうに、こちらが気づいたと伝わります」

「つまり」と美佳は言った。「今は、まだ気づかれていない」

「おそらく」

美佳はしばらく画面を見ていた。ログが流れた。自分の端末に何かが届き続けている。今この瞬間も。知らないまま受け取り続けていた何かが、ここから来ていた。

「切らない」と美佳は言った。

三人が美佳を見た。

「切ったら終わる。切らなければ、もう少し分かることがある」と美佳は言った。「向こうが何を送っているか、まだ見ていない」
翔が頷いた。「そう思って、俺も待ってた」
「一人で」と朝倉が言った。皮肉ではなく、確認として。

「一人で」と翔は繰り返した。「——すまなかった」

朝倉は何も言わなかった。美佳も言わなかった。それで十分だった。

四人が揃った部屋の中で、翔がこれまでの調査結果を共有し始めた。

サーバーの稼働開始は三年前。LAPISの本格運用より六ヶ月早かった。つまりこの実機は、LAPISのためだけに作られたのではなかった。

「LAPISは」と翔は言った。「このサーバーの、最初の実験だった可能性があります」
最初の実験。

美佳はその言葉を受け取った。最初、ということは、次がある。

「次の実験が」と美佳は言った。「@LAPIS_echo?」

「それも、まだ途中かもしれない」と翔は言った。

窓の外で風が鳴った。カーテンが微かに揺れた。

ログが流れ続けていた。美佳のスマートフォンに向けて、今夜も何かが送られていた。

美佳はそれを、まだ見なかった。