朝倉は結局、朝まで部屋にいた。
ソファで眠っていた。正確には、眠ろうとしていた。美佳が「帰っていいよ」と言うたびに「もう少し」と言って、気づいたら目を閉じていた。
美佳は眠れなかった。
布団の中で天井を見ながら、「設計者適性:最高位」という文字を何度も思い浮かべた。思い浮かべるたびに打ち消して、また浮かんだ。
打ち消せない、ということは、刺さっている、ということだった。
刺さっている、ということは、どこかで気にしている、ということだった。
気にしたくない。
でも気にしている。
その事実が、夜明けまで、美佳の隣にいた。
朝倉が帰ってから、美佳は翔にメッセージを送った。
「ファイルの解析、続き進んだ?」
「昨夜から続けています。もう少しかかります」と翔は返した。「一つだけ、追加で分かったことがあります」
「なに」
「DMの文言の差異の件です」
美佳は画面を持ち直した。
DMの文言の差異。第1章で美佳だけに「問いを作る側の才能があります」という文言が届いていた、あの件。
「他の人には何と書かれていたか、昨夜の解析で一部判明しました」
「聞かせて」と美佳は打った。
「@LAPIS_echoのフォロワーのうち、DMを受け取っていた人間が十一人います。文言はそれぞれ異なります。全員に共通しているのは、一点だけ。全員が、何らかの形で『あなたには特別な何かがある』という趣旨の内容を受け取っていた」
「でも美佳さんだけ、文言が違った」
「どう違うの」と美佳は打った。
「他の十人の文言は、共感や参加を促す内容です。『あなたの問いは大切です』『あなたの声を聞かせてください』。その人間を@LAPIS_echoのコミュニティに引き込むための文言です」
「でも美佳さんへの文言は、コミュニティへの参加を促していない。『問いを作る側の才能がある』──これは、参加者ではなく設計者として美佳さんを位置づけている」
美佳はしばらく、画面を見たまま動かなかった。
最初から、だった。
DMが届いた時点で、美佳はすでに他の十人とは別のカテゴリに入れられていた。参加者ではなく、設計者として。
「このDMを送ったのは、システムの自動生成ですか」と美佳は打った。
「そこが昨夜分かったことです」と翔は返した。「他の十人へのDMは自動生成です。でも美佳さんへのDMは、違う」
「手動?」
「手動です。誰かが、美佳さんだけに向けて、個別に書いた」
個別に書いた。
美佳は立ち上がって、窓を開けた。
朝の空気が入ってきた。藍都の朝は、少し霞んでいた。遠くでカラスが鳴いて、近くで自転車が通り過ぎた。
誰かが美佳のことを調べて、美佳の回答ログを読んで、美佳だけのために文章を書いた。
システムではない。人間の手が、そこにあった。
ミオが美佳のログを見つけて、名前まで調べて、有栖川に「この人なら分かるかもしれない」と話していた──第2章で有栖川が言っていたことが、また頭をよぎった。
でもミオのしたことと、DMを送った行為は、性質が違う。ミオは止めてほしかった。
DMを送った誰かは、引き込もうとしていた。
同じログを読んで、正反対の意図を持った、二人の人間がいる。
翔に続きを打った。
「手動でDMを送った人間と、昨夜端末にファイルを生成した人間、同一だと思う?」
「同一だと思っています」と翔はすぐに返した。「暗号化のパターンと、DMの送信元のデータを照合しました。完全な一致ではないですが、同じ人間が関与していると見ていいと思います」
「その人間は」と美佳は打った。「彩音さんの技術的な協力者と、同一だと思う?」
少し間があった。
「可能性は高いと思っています。ただ、まだ確定できていません」
美佳は窓を閉めて、ソファに座った。
整理した。
DMを送った人間は、手動で美佳を設計者として位置づけた。
同じ人間が、昨夜美佳の端末にファイルを生成した。
そのファイルには「設計者適性:最高位」と書かれていた。
最初から今夜まで、一本の線がある。
そしてその人間は、おそらく女性で、彩音の近くにいて、彩音の善意を使って動いている。
「翔くん」と美佳は打った。「その人間の目的は何だと思う」
返信まで、今度はかなり時間がかかった。
美佳は待った。急かさなかった。
十五分後、翔から返信が来た。
「昨夜から考えていました。正直に言います」
「美佳さんを、設計者にしたいんだと思います。新しいLAPISの」
「彩音さんは表向きの顔として使われている。@LAPIS_echoは、新しいシステムへの入り口として機能している。そして美佳さんは、そのシステムの設計者として、最初から選ばれていた」
「根拠はどのくらいある?」と美佳は返した。
「完全な確証はありません。でも、集まった事実を並べると、この仮説以外に筋の通る説明が見つからない」
美佳はスマートフォンを膝の上に置いた。
設計者として、最初から選ばれていた。
第1章でDMが届いたとき、美佳は「才能の話じゃなく、責任を引き受けられるかどうかの話だ」と言った。引き受けないという選択も責任だと言った。
あの言葉は今も変わらない。
でもあの言葉を言ったとき、美佳はまだ、自分が最初から設計者として位置づけられていたことを知らなかった。
知った上で、もう一度同じことが言えるか。
言える。
迷わなかった、というより、迷う前に答えが出た。
引き受けない。それは変わらない。
でも引き受けないと決めることと、向き合わないことは、違う。
朝倉に今朝の翔とのやり取りを転送した。
朝倉からはすぐに既読がついて、少し経ってから返信が来た。
「最初から選ばれてた、か」
「うん」
「美佳はどう思ってる」
「引き受けない、は変わらない」と美佳は打った。「でも、向き合わないとは違うと思ってる」
「うん」と朝倉は返した。「それでいいと思う」
「それでいい、ってどういう意味」と美佳は聞いた。
少し間があった。
「美佳が美佳らしい、って意味」と朝倉は返した。
美佳はその返信を見て、少しの間スマートフォンを持ったままでいた。
美佳らしい、という言葉の輪郭を、確かめるように。
自分が自分らしいかどうか、美佳にはまだ分からなかった。
でも朝倉がそう言うなら、そうなのかもしれないと、今日だけは思うことにした。
夕方、有栖川からメッセージが届いた。
「例の女性について、少し分かったことがあります。直接会って話したい。明日、時間が取れますか」
美佳はすぐに「取れます」と返した。
送信してから、翔と朝倉にも転送した。
翔から返信が来た。
「明日の有栖川さんとの話、私も同席したいです。伝えてもらえますか」
美佳は有栖川に「翔も同席していいですか」と送った。
「構いません」と有栖川は返した。「むしろ、翔さんにも聞いてほしい話があります」
その夜、美佳は早めに布団に入った。
眠れるかどうかは分からなかった。でも横になった。
スマートフォンは充電器に繋いで、画面を下に向けて置いた。
昨夜から、そうするようになっていた。
画面の向こうに誰かがいるとしても、こちらから覗きに行かなくていい。
そう決めたわけではなかった。ただ、自然にそうなっていた。
天井を見ながら、明日有栖川が話す内容を想像した。女性について分かったこと。その女性と、美佳を設計者に仕立てようとしている
人間との関係。
想像は途中で止まった。
答えを先取りしても、仕方がなかった。
明日、聞けばいい。
美佳は目を閉じた。
今夜は、わりと早く、眠れた。
ソファで眠っていた。正確には、眠ろうとしていた。美佳が「帰っていいよ」と言うたびに「もう少し」と言って、気づいたら目を閉じていた。
美佳は眠れなかった。
布団の中で天井を見ながら、「設計者適性:最高位」という文字を何度も思い浮かべた。思い浮かべるたびに打ち消して、また浮かんだ。
打ち消せない、ということは、刺さっている、ということだった。
刺さっている、ということは、どこかで気にしている、ということだった。
気にしたくない。
でも気にしている。
その事実が、夜明けまで、美佳の隣にいた。
朝倉が帰ってから、美佳は翔にメッセージを送った。
「ファイルの解析、続き進んだ?」
「昨夜から続けています。もう少しかかります」と翔は返した。「一つだけ、追加で分かったことがあります」
「なに」
「DMの文言の差異の件です」
美佳は画面を持ち直した。
DMの文言の差異。第1章で美佳だけに「問いを作る側の才能があります」という文言が届いていた、あの件。
「他の人には何と書かれていたか、昨夜の解析で一部判明しました」
「聞かせて」と美佳は打った。
「@LAPIS_echoのフォロワーのうち、DMを受け取っていた人間が十一人います。文言はそれぞれ異なります。全員に共通しているのは、一点だけ。全員が、何らかの形で『あなたには特別な何かがある』という趣旨の内容を受け取っていた」
「でも美佳さんだけ、文言が違った」
「どう違うの」と美佳は打った。
「他の十人の文言は、共感や参加を促す内容です。『あなたの問いは大切です』『あなたの声を聞かせてください』。その人間を@LAPIS_echoのコミュニティに引き込むための文言です」
「でも美佳さんへの文言は、コミュニティへの参加を促していない。『問いを作る側の才能がある』──これは、参加者ではなく設計者として美佳さんを位置づけている」
美佳はしばらく、画面を見たまま動かなかった。
最初から、だった。
DMが届いた時点で、美佳はすでに他の十人とは別のカテゴリに入れられていた。参加者ではなく、設計者として。
「このDMを送ったのは、システムの自動生成ですか」と美佳は打った。
「そこが昨夜分かったことです」と翔は返した。「他の十人へのDMは自動生成です。でも美佳さんへのDMは、違う」
「手動?」
「手動です。誰かが、美佳さんだけに向けて、個別に書いた」
個別に書いた。
美佳は立ち上がって、窓を開けた。
朝の空気が入ってきた。藍都の朝は、少し霞んでいた。遠くでカラスが鳴いて、近くで自転車が通り過ぎた。
誰かが美佳のことを調べて、美佳の回答ログを読んで、美佳だけのために文章を書いた。
システムではない。人間の手が、そこにあった。
ミオが美佳のログを見つけて、名前まで調べて、有栖川に「この人なら分かるかもしれない」と話していた──第2章で有栖川が言っていたことが、また頭をよぎった。
でもミオのしたことと、DMを送った行為は、性質が違う。ミオは止めてほしかった。
DMを送った誰かは、引き込もうとしていた。
同じログを読んで、正反対の意図を持った、二人の人間がいる。
翔に続きを打った。
「手動でDMを送った人間と、昨夜端末にファイルを生成した人間、同一だと思う?」
「同一だと思っています」と翔はすぐに返した。「暗号化のパターンと、DMの送信元のデータを照合しました。完全な一致ではないですが、同じ人間が関与していると見ていいと思います」
「その人間は」と美佳は打った。「彩音さんの技術的な協力者と、同一だと思う?」
少し間があった。
「可能性は高いと思っています。ただ、まだ確定できていません」
美佳は窓を閉めて、ソファに座った。
整理した。
DMを送った人間は、手動で美佳を設計者として位置づけた。
同じ人間が、昨夜美佳の端末にファイルを生成した。
そのファイルには「設計者適性:最高位」と書かれていた。
最初から今夜まで、一本の線がある。
そしてその人間は、おそらく女性で、彩音の近くにいて、彩音の善意を使って動いている。
「翔くん」と美佳は打った。「その人間の目的は何だと思う」
返信まで、今度はかなり時間がかかった。
美佳は待った。急かさなかった。
十五分後、翔から返信が来た。
「昨夜から考えていました。正直に言います」
「美佳さんを、設計者にしたいんだと思います。新しいLAPISの」
「彩音さんは表向きの顔として使われている。@LAPIS_echoは、新しいシステムへの入り口として機能している。そして美佳さんは、そのシステムの設計者として、最初から選ばれていた」
「根拠はどのくらいある?」と美佳は返した。
「完全な確証はありません。でも、集まった事実を並べると、この仮説以外に筋の通る説明が見つからない」
美佳はスマートフォンを膝の上に置いた。
設計者として、最初から選ばれていた。
第1章でDMが届いたとき、美佳は「才能の話じゃなく、責任を引き受けられるかどうかの話だ」と言った。引き受けないという選択も責任だと言った。
あの言葉は今も変わらない。
でもあの言葉を言ったとき、美佳はまだ、自分が最初から設計者として位置づけられていたことを知らなかった。
知った上で、もう一度同じことが言えるか。
言える。
迷わなかった、というより、迷う前に答えが出た。
引き受けない。それは変わらない。
でも引き受けないと決めることと、向き合わないことは、違う。
朝倉に今朝の翔とのやり取りを転送した。
朝倉からはすぐに既読がついて、少し経ってから返信が来た。
「最初から選ばれてた、か」
「うん」
「美佳はどう思ってる」
「引き受けない、は変わらない」と美佳は打った。「でも、向き合わないとは違うと思ってる」
「うん」と朝倉は返した。「それでいいと思う」
「それでいい、ってどういう意味」と美佳は聞いた。
少し間があった。
「美佳が美佳らしい、って意味」と朝倉は返した。
美佳はその返信を見て、少しの間スマートフォンを持ったままでいた。
美佳らしい、という言葉の輪郭を、確かめるように。
自分が自分らしいかどうか、美佳にはまだ分からなかった。
でも朝倉がそう言うなら、そうなのかもしれないと、今日だけは思うことにした。
夕方、有栖川からメッセージが届いた。
「例の女性について、少し分かったことがあります。直接会って話したい。明日、時間が取れますか」
美佳はすぐに「取れます」と返した。
送信してから、翔と朝倉にも転送した。
翔から返信が来た。
「明日の有栖川さんとの話、私も同席したいです。伝えてもらえますか」
美佳は有栖川に「翔も同席していいですか」と送った。
「構いません」と有栖川は返した。「むしろ、翔さんにも聞いてほしい話があります」
その夜、美佳は早めに布団に入った。
眠れるかどうかは分からなかった。でも横になった。
スマートフォンは充電器に繋いで、画面を下に向けて置いた。
昨夜から、そうするようになっていた。
画面の向こうに誰かがいるとしても、こちらから覗きに行かなくていい。
そう決めたわけではなかった。ただ、自然にそうなっていた。
天井を見ながら、明日有栖川が話す内容を想像した。女性について分かったこと。その女性と、美佳を設計者に仕立てようとしている
人間との関係。
想像は途中で止まった。
答えを先取りしても、仕方がなかった。
明日、聞けばいい。
美佳は目を閉じた。
今夜は、わりと早く、眠れた。



