アンケート ― 選ばないという選択 ―

夜の十一時を過ぎてから、翔がメッセージを送ってきた。

「今から送ります。全部読んでください」
美佳がスマートフォンを横にしてソファに座り直すより先に、次のメッセージが届いた。

「男性の端末とLAPISサーバーの通信ログ、最終的に確定しました。断続的な接続が、三ヶ月以上続いていた形跡があります」

美佳はその文章を二度読んだ。

断続的な、という言葉を指でなぞるように、もう一度。

三ヶ月以上、という言葉の重さを確かめるように、もう一度。

「LAPISは止まっていたんじゃないの、ということ?」

送信する前に少し間があった。自分の問いが正しいかどうか確認するような、無駄な間だと分かっていたが、指が動かなかった。
翔の返信は早かった。

「止まっていた、は正しいです。でも完全には止まっていなかった。サーバーの表層は停止している。外から見れば死んでいる。でも深層の一部が、特定の端末とだけ、ごく短い時間だけ接続を続けていた」

「残留データじゃないんですか」と美佳は打った。

「最初はそう思っていました。でも通信ログのタイムスタンプを見ると、接続のたびにわずかにデータが書き換わっている。残留データは動かない。これは、動いている」

動いている。

美佳は画面を伏せて、天井を見た。

六畳一間の天井は、何も答えなかった。

止まったと思っていたものが、動いていた。
誰かが止めようとして、誰かが続けようとして、そのどちらかが──あるいは両方が──今もこの夜のどこかで、何かをしている。

スマートフォンを持ち直すと、翔からもう一件届いていた。

「タイムスタンプの件、覚えていますか。サーバー停止後に二回更新されていたやつ。一回目が自動処理、二回目が手動の可能性があると言っていた件です」

「覚えてる」

「二回目の更新日時と、男性の端末への最初の接続日時が一致しました」
美佳はしばらく、その文章の前で止まっていた。

一致した。

偶然の一致ではない、と翔は書いていない。でも書く必要がなかった。

手動でサーバーのタイムスタンプを書き換えた誰かが、その同じ日に、男性の端末への接続を始めた。

止めた者と、続けようとした者。

その二人は、同じシステムの内部にいる。

「翔さん」と美佳は打った。「誰が続けているの」

返信が来るまでに、少し時間がかかった。

「それを今、調べています」

「一つだけ言えることがある」

「美佳さんの端末にも、接続の試みがあった形跡があります。成功はしていない。でも、試みた痕跡がある」

美佳は画面を見たまま、動かなかった。

試みた。

成功はしていない。

でも、試みた。

窓の外で、藍都の夜が静かに続いていた。遠くでコンビニの看板が光り、どこかで猫が鳴き、世界はいつも通りの音を立てていた。

美佳はもう一度だけ翔のメッセージを読んで、スマートフォンをテーブルに置いた。

画面を上に向けたまま。

今夜は、伏せておきたくなかった。

眠れないまま朝の五時になって、美佳はカフェインも取らずにコートを羽織り、外に出た。

藍都の商店街はまだ暗かった。シャッターが閉まったままの八百屋の前を通り過ぎ、まだ
仕込みの煙が出ていない中華料理屋の前を通り過ぎ、美佳は歩いた。

目的地はなかった。

ただ、動いていたかった。

止まっているものが、実は動いている。そういう夜に、自分だけが止まっていることに耐えられなかった。

商店街の外れで、美佳は立ち止まった。

電柱に、一枚のポスターが貼ってあった。

先週も見た、あのポスターだった。

「あなたの問いを、聞かせてください」

白地に黒い文字。手書き風のフォント──
待って。

美佳は一歩近づいた。

フォントが、違う。

先週見たときは、もう少し細い字だった。柔らかい印象の、迷いを含んだような線だった。今目の前にあるのは、同じ手書き風でも、わずかに太く、わずかに均一で、わずかに──自信がある。

同じ文言。同じレイアウト。でも別の版だ。
誰かが、差し替えた。

美佳はそのポスターをスマートフォンで撮影して、先週撮っておいた写真と並べて見比べた。拡大すると差異は明らかだった。「問い」という漢字のはらいの角度。「ください」の最後の一画の終わり方。細かい、でも確実な違い。

同じメッセージが、少しずつ更新されている。

美佳はポスターから目を離せなかった。

怖いというより、覚えがあった。

翔が送ってきた言葉が、頭の中で重なった。
接続のたびにわずかにデータが書き換わっている。残留データは動かない。これは、動いている。

ポスターも、端末の深層も、同じことをしている。

止まっているように見せながら、少しずつ、更新されている。

スマートフォンが震えた。

朝倉からだった。

「美佳、起きてる? ポスター、また増えてた。藍都で新たに六枚。翔に確認してもらったら今週だけで二十六枚超えてるって」
美佳は電柱の前に立ったまま、返信した。

「今、一枚の前に立ってる。増えてるだけじゃない。差し替えられてもいる」

「え」

「先週のと比べると、フォントが変わってる。写真送る」

しばらく間があって、朝倉から電話がかかってきた。

「声聞きたくなった」と朝倉は言った。理由を説明するような言い方ではなく、ただそれだけを、少し眠そうな声で言った。

「うん」と美佳は答えた。

「昨日の翔からのメッセージ、読んだ」

「うん」

「美佳の端末に接続しようとした痕跡があるって部分」

「うん」

朝倉は少しの間、黙っていた。電話の向こうで何かが動く気配がした。たぶん朝倉が姿勢を変えた音だった。

「怖かった?」

美佳は電柱のポスターを見たまま、少し考えた。

怖かった、という言葉が正確かどうか確かめるように。

「怖いというより」と美佳は言った。「気持ち悪かった。誰かが、こっちを見ていたって分かるのが」

「うん」

「見ていただけじゃなくて、触ろうとしていた、っていうのが」

「うん」

「でも一番気持ち悪かったのは」

美佳は少し止まった。

「そのことを知るまで、全然気づかなかったこと」

朝倉は何も言わなかった。

言わないことが、答えだった。

藍都の夜がゆっくりと明けていく中で、美佳はポスターの前に立ち続けた。差し替えられた問いかけを、答えないまま、見ていた。
止まっているように見えるものが、少しずつ、更新されている。

それはLAPISのサーバーだけの話ではなかった。