アンケート ― 選ばないという選択 ―

 翌朝、朝倉から連絡が来た。

「男性のこと、少し調べた。今日、時間ある?」

「午後から」

「図書館で。翔さんも来る」

 翔が来る。美佳は「分かりました」と返した。

 翔からの連絡は、昨夜から来ていなかった。公民館の件は、朝倉が伝えたはずだった。翔が何も言ってこないことが、情報を整理しているのか、それとも別の何かを調べているのか、美佳には判断できなかった。

 図書館に着くと、翔はすでにノートパソコンを開いていた。朝倉が隣に座っている。美佳が向かいに座ると、翔は画面を見たまま言った。

「昨夜から調べていました」

「眠れましたか」美佳は聞いた。

「少し」翔は短く答えた。「男性のSNSアカウントを特定しました。複数のプラットフォームで確認できていましたが、昨夜の公民館の集まりが終わった時刻を境に、すべて消えています」

 朝倉が「全部?」と確認した。

「全部です。投稿履歴も、フォロワーリストも、アカウント自体も。痕跡がない」

 美佳は「自分で消したんですか」と聞いた。

「分かりません」翔は正直に答えた。「自分で消した可能性もある。ただ──」翔は画面を切り替えた。「フォームへの投稿履歴を確認しました。彩音さんのフォームです。男性のものと思われる投稿が、三百十七件ありました」

 三百十七件。

 美佳は数字を繰り返した。フォームが公開されて、まだ一か月も経っていない。三千件の総数のうち、一人で三百件以上。

「一日あたり、十件以上」と朝倉が言った。

「平均すると、そうなります」翔は頷いた。

「ただ、投稿の頻度を時系列で見ると──最初の二週間は一日三件程度でした。それが三週目から急増している」

「何かきっかけがあった?」

「そう思って調べました」翔はまた画面を切り替えた。「@LAPIS_echoの投稿と照合すると、男性の投稿が急増したタイミングと、アカウントが『あなたの問いに、問いを返します』という機能を追加したタイミングが一致しています」

 美佳は「どういう機能ですか」と聞いた。

「フォームに問いを書くと、自動で別の問いが返ってくる。問いに答えるのではなく、問いで返す。それを繰り返すことで、自分の問いが深まっていく、という設計です」

 問いが問いを呼ぶ。

 美佳は翔の言葉を、頭の中でゆっくり回した。

「その機能を使っているうちに、やめられなくなった」

「可能性として、高いと思います」翔は静かに言った。

 しばらく、三人は黙った。

 図書館の空調が、低く唸っていた。

「昨夜、男性のスマートフォンに届いた問い」美佳は言った。「フォームの自動送信じゃなかったとしたら、誰が送ったんですか」

「それを調べていました」翔はパソコンのキーを叩いた。「公民館の会は、@LAPIS_echoのアカウントが告知しました。参加者がフォームに登録している場合、端末の情報がアカウント側に渡っている可能性があります」

「個人を特定できる?」

「設計次第では、できます」翔は言葉を選んでいた。「フォームへの投稿数、投稿時間帯、語彙のパターン──それだけで、依存度の高い参加者を絞り込める。昨夜、男性だけに届いた問いは──」

 翔は一度、止まった。

「狙い撃ちだったと思います」

 美佳は翔を見た。

 翔の表情は、いつもと変わらなかった。でも声が、少しだけ平坦だった。感情を抑えている人間の声だ、と美佳は思った。

「男性は今、どこにいるんですか」と美佳は聞いた。

「分かりません」翔は答えた。「SNSが消えた。フォームへの投稿も、昨夜以降はない。住所は特定できていない」

「警察には」

「行方不明届が出ているかどうかも、今の時点では分からない」

 朝倉が静かに言った。「家族がいれば、気づくはずだ」
「いれば、そうです」

 その「いれば」という言葉が、会議室の空気に沈んだ。

 翔が画面をもう一度切り替えた。

「もう一つ、あります」

 グラフが出た。縦軸に数値、横軸に日付。折れ線が二本。

「青い線が、フォームへの総投稿数の推移です。赤い線が、@LAPIS_echoのフォロワー数の推移」

 二本の線は、ほぼ同じカーブを描いていた。

「連動している」と朝倉が言った。

「はい。フォロワーが増えると、投稿も増える。ただ──」翔は折れ線の一点を指した。「ここだけ、投稿数がフォロワー数を大きく上回っている。三週目です」

「問いが問いを呼ぶ機能を追加したタイミング」

「そうです」翔は頷いた。「この機能が入ってから、一人あたりの投稿数が跳ね上がっている。フォロワーは増えていないのに、投稿だけが増えた」

 美佳はグラフを見た。

 数字だった。でも数字の向こうに、深夜にスマートフォンを持って問いを書き続けた人たちがいた。問いが返ってきて、また書いた。また返ってきて、また書いた。やめる理由がなかった。やめるタイミングがなかった。

「彩音さんは」美佳はゆっくり言った。「この機能を、自分で設計しましたか」

「分かりません」翔は答えた。「ただ、この設計は──単純ではない。彩音さん一人で作ったとは、考えにくい」

 美佳は「誰かが手伝っている」と言った。
「あるいは」翔は少し間を置いた。「誰かが、作らせている」

 図書館を出たのは、二時間後だった。

 外は曇っていた。風が冷たかった。

 朝倉が「彩音に直接聞くか」と言った。
「まだ早い」美佳は答えた。「聞く前に、もう少し手元に持っておきたい」

「何を」

「彩音の周りにいる誰かのこと」美佳はコートの前を閉じた。「彩音に嘘をついている人間のことを」

 朝倉は頷いた。

 美佳はスマートフォンをポケットから出した。フォームのURLを開いた。入力欄が一つ。カーソルが点滅している。

 美佳は何も書かなかった。

 ただ、画面を見た。

 この画面を見ながら、男性は三百十七回、何かを書いた。問いを書いた。問いが返ってきた。また書いた。

 どこで、やめられなくなったのだろう。

 どの問いが、最後の一歩だったのだろう。

 美佳にはまだ分からなかった。でも一つだけ分かったことがあった。

 昨夜、男性のスマートフォンに届いた問いは──その最後の一歩を、誰かが意図して作ったということだ。

 ページを閉じた。
三百十七件。数えた人間がいた。狙った人間がいた。そして送った人間がいた。