アンケート ― 選ばないという選択 ―

 彩音から送られてきたURLを、美佳は三日間、開かなかった。

 開かない、と決めたわけではなかった。スマートフォンを手に取るたびに、通知の一覧の中にそのメッセージがあった。見えていた。でも指が動かなかった。

 三日目の夜、美佳はURLを開いた。

 フォームだった。

 入力欄が一つ。ラベルはなかった。ただ白い枠があって、カーソルが点滅していた。

 上部に一行だけテキストがあった。

「あなたの問いを、ここに置いていってください」

 置いていく、という言葉を選んでいた。書く、でも送る、でも答える、でもなく。

 美佳は入力欄には触れずに、ページを閉じた。

 翌日、朝倉に連絡した。

「フォームを見ました。集まった問いも、少し読みました」

「どうだった」

「読めた。三千件のうち、百件くらい」美佳は少し間を置いた。「責める気持ちにはなれなかった」

「そうか」

「書いた人たちは、本当にそれを抱えていた。それは分かった。でも──」

「でも」

「問いが似ていた。百件読んで、十種類くらいに分類できる気がした。言葉は違うけど、根っこにある不安が、どれも同じ方向を向いていた」

 朝倉は少し黙った。

「それは美佳が気づいたこと? それとも読みながら、誰かに言われた感じがした?」

 美佳は電話口で止まった。

 鋭い問いだった。朝倉らしかった。

「自分で気づいた、と思う。でも──気づいてしまったことで、次に何かを考え始めている自分がいる」

「次、というのは」

「似た問いを持つ人たちに、どんな問いを返せばいいか、ということ」

 言葉にしてから、美佳は静かに息を吐いた。

 問いを作る側の発想だった。

 その夜、美佳はノートを開いた。

 新しいページに、思っていることを書き出した。整理するためではなく、確認するために。

「フォームの問いを読んで、分類できると思った」

「分類できるということは、構造が見えているということ」

「構造が見えるということは、次の問いが作れるということ」

「それは──設計者の発想だ」

 ペンを置いた。

 有栖川が第18話で言っていた言葉が戻ってきた。「才能があることと、使わなければならないことは別だ」。あのとき美佳はその言葉を聞いて、どこかで安堵した。才能があっても、使わなくていい。そう言ってもらえた気がした。

 でも今夜、自分の中にその発想が生まれていた。

 誰かに言われたからではなく、フォームを読んで、自分の中から出てきた。

 それが、余計に怖かった。

 二日後、翔から連絡が来た。

「有栖川さんと三人で話したいことがあります。明日、時間ありますか」

 美佳は「あります」と返した。

 翌日、三人は駅前の喫茶店に集まった。朝倉は呼ばれていなかった。翔が「今日は三人で」と指定していた。その理由を、美佳はまだ知らなかった。

 翔はコーヒーが来る前に話し始めた。

「フォームのデータを、外部から解析しました」

「解析できたんですか」美佳は聞いた。
「公開フォームなので、送信されたデータの一部がキャッシュに残っていました。全件ではないですが、二百件ほど取得できました」

 美佳は「百件読みました」と言いかけて、止めた。翔はまだ美佳がフォームを開いたことを知らない。

「結果として」翔は続けた。「問いは大きく九つのカテゴリに分類できます。そして、カテゴリごとに回答者の属性が偏っている」

 九つ。

 美佳は昨夜ノートに書いた「十種類くらい」という数字を思い出した。

「属性が偏っているというのは」有栖川が聞いた。

「年齢、投稿時間帯、語彙の複雑さから推測した学歴層。これらが、カテゴリごとに一定のパターンを示しています」翔は画面を二人に向けた。「例えばこのカテゴリ──『自分が何者か分からない』という問いを持つ層は、深夜投稿が多く、語彙が感情的です。一方でこのカテゴリ──『正しい選択をしたか分からない』という問いを持つ層は、昼間投稿が多く、語彙が論理的です」

 美佳は画面を見た。

 グラフと数字。でも数字の向こうに、人がいた。深夜に一人で書いた人。昼間の休憩中に書いた人。それぞれの不安が、カテゴリに整理されている。

「この分類が何を意味するか」翔は言った。

「カテゴリごとに最適化された問いを作れば、それぞれの層に刺さる問いが設計できます」

 沈黙があった。

「それを」有栖川が静かに言った。「彩音さんは意図していると思いますか」

「分かりません」翔は正直に答えた。「ただ、このデータを持っている誰かが、次のステップを考えているとすれば──カテゴリ別に問いを届けることは、技術的には難しくない」

 美佳は窓の外を見た。

 駅前の広場に、人が行き交っていた。昼間。それぞれの用事で動いている。問いを持っているかどうかは、顔を見ても分からない。

「一つ、聞いてもいいですか」美佳は翔に言った。

「はい」

「フォームの問いを読んで、分類できると気づいた人間が──次に何を考えるか、翔さんはどう思いますか」

 翔は少し考えた。

「カテゴリに対応する問いを作ろうとするか」翔は答えた。「あるいは、そこで止まるか」

「止まる人は、どこで止まりますか」

「作れる、ということと、作るべきかどうか、が別の問いだと気づいたとき」

 美佳は「そうですか」と言った。

 有栖川が美佳を見ていた。何かに気づいた顔だったが、何も言わなかった。

 喫茶店を出て、三人は別れた。

 美佳は一人で駅のホームに立った。電車を待ちながら、スマートフォンを出した。

 彩音のメッセージを開いた。URLの一つ上に、送信時のメッセージがあった。

「見てもらえたら、それだけで十分です」

 美佳はそのメッセージを、今日初めてちゃんと読んだ気がした。

 見てもらえたら、それだけで十分。

 でも美佳はフォームを読んで、分類して、次の問いを考えていた。「それだけ」では終われなかった。

 電車が来た。

 乗り込んで、ドアが閉まった。

 窓の外が流れていく。美佳は吊り革を握ったまま、目を閉じた。

 作れる、ということと、作るべきかどうか、は別の問いだ。

 翔の言葉が、暗闇の中でゆっくり繰り返された。

問いを作れると気づいた瞬間、美佳の中で何かが変わった。それが怖かった。