アンケート ― 選ばないという選択 ―

 翔から連絡が来たのは、翌日の夜だった。

「明後日、時間ありますか。有栖川さんも来ます」

 美佳は「あります」と返した。それから少し考えて、もう一行打った。

「朝倉さんも呼んでいいですか」

「もちろん」

 短いやりとりだった。でも「もちろん」という即答に、翔が何かを掴んでいることが滲んでいた。

 その夜、美佳は@LAPIS_echoを開いた。

 フォロワーは五万二千を超えていた。一週間前は四万五千だった。七千増えた。一日あたり千人。

 最新の投稿を読んだ。

「問いを持つことは、弱さではありません。答えを求めることは、人間の自然な姿です」

 その下のリプライ欄を、美佳はゆっくりスクロールした。

「やっと自分の問いを言葉にできた気がする」

「答えが出なくてもいい、って言ってもらえてよかった」

「ここに来ると落ち着く」

「問いを持っていていい場所が欲しかった」

 美佳は画面を閉じた。

 責めることができなかった。

 書いた人たちは、本当にそう感じている。落ち着いた。楽になった。言葉にできた。それは全部、本当のことだ。偽りの感想ではない。

 でも、と美佳は思った。

 落ち着いた人たちの言葉が、次の問いを作る素材になっている。

 二日後、翔が指定したのは大学近くの小さな会議室だった。

 翔の知人が使わせてくれる部屋だという。図書館より狭く、窓がない。蛍光灯の光が均一で、外の天気が分からなかった。

 翔、有栖川、朝倉、美佳。四人が揃った。

 翔はノートパソコンの画面を全員に向けた。

「@LAPIS_echoの投稿パターンを分析しました。語彙のLAPISとの一致率は、先週から三ポイント上がって七十六パーセントになっています」

「上がってる」朝倉が言った。

「投稿者が学習しているか、あるいは元データに近いものを参照しているか」翔は続けた。「どちらかは、まだ判断できません。ただ、もう一つ気になることがあります」

 翔は画面を切り替えた。グラフが出た。縦軸に投稿数、横軸に時刻。

「投稿が集中している時間帯があります。午後十時から深夜一時。この時間帯だけで、全投稿の四十三パーセントを占めています」

「眠れない時間帯」と美佳は言った。

 全員が美佳を見た。
「不安が一番高くなる時間です。昼間は動いていられる。でも夜、一人になると、答えのないものが浮かんでくる。その時間帯に投稿が集中しているなら──」

「狙っている」と有栖川が、静かに言葉を継いだ。「意図的かどうかは別として、その時間帯に答えを求めている人たちが、あのアカウントに集まっている」

 翔は頷いた。「リプライの分析でも、夜間の投稿ほど感情的な語彙が多い。『怖い』『不安』『一人じゃない気がした』──そういう言葉が、昼間の三倍出てきます」

 沈黙が落ちた。

 美佳は手元のコーヒーカップを見た。もう冷めていた。

「答えが欲しい理由」と美佳は言った。「怖いから、ですよね」

「うん」朝倉が答えた。
「答えがあれば、怖くなくなる気がする。問いに向き合っていれば、少なくとも何かをしている気になれる。あのアカウントが提供しているのは、答えじゃなくて──答えを求めていい、という許可なんだと思う」

 有栖川が、少し間を置いてから言った。

「ミオも、同じことを言っていました」

 全員の視線が有栖川に集まった。

「LAPISの設計の初期段階で。『人が本当に求めているのは答えではなく、問いを持っていい許可だ』と。それが設計思想の出発点だったと、ミオは言っていました」

 美佳は有栖川を見た。

「それは、善意だったんですか」

「そうだと思います。最初は」有栖川の声は静かだった。「ミオは本当に、誰かの役に立てると思っていた。問いを持っていい場所を作ることが、人を救うと思っていた。その気持ちは、本物だったと思います」

「でも」

「でも、問いを持っていい許可を与えることと、問いを与えることは、どこかで境界が溶ける」

 会議室を出たのは、二時間後だった。

 翔は次の分析を続けるといって残った。有栖川は駅の方向へ歩いていった。

 美佳と朝倉は、並んで駐輪場へ向かった。

「有栖川さんの話」と朝倉が言った。「どう思った」

「ミオのことが、少し分かった気がした」美佳は答えた。「善意が出発点だったことは、信じられる。だから余計に──」

「怖い?」

「怖いというより」美佳は少し考えた。「他人事じゃない、という感じがした」

 朝倉は何も言わなかった。

「問いを持っていい場所を作りたい、という気持ちは、私にも分かる。彩音の気持ちも、ミオの気持ちも、出発点だけを見れば分かる。分かるから──どこで『でも』と言えばいいのか、まだ言葉にできない」

「言葉にできなくていいと思う、今は」

「朝倉さんは優しいですね」

「そうじゃなくて」朝倉は少し間を置いた。
「言葉にならないうちに口にすると、自分の感覚を誤魔化すことになる気がして。美佳の『分からない』は、ちゃんとした分からなさだと思うから」

 美佳は前を向いたまま、「ありがとうございます」と言った。

 小さな声だったが、朝倉には届いた。

 アパートに戻って、ノートを開いた。

 新しいページに、一行だけ書いた。

「答えが欲しい理由──怖いから。問いを持っていい許可が欲しいから」

 ペンを置いた。

 翔のグラフが頭に残っていた。深夜一時。眠れない時間帯。一人になると浮かんでくる、答えのないもの。

 美佳にも、その感覚は分かった。

 だから余計に、簡単に否定できなかった。否定できないまま、でも「でも」と言わなければならない何かが、美佳の中にあった。

 その「でも」の中身を、美佳はまだ言葉にできていなかった。
夜の投稿は、昼間より正直だった。だからこそ、集めやすかった。