アンケート ― 選ばないという選択 ―

 翔から連絡が来たのは、有栖川と話した三日後だった。

 「動ける日はありますか。有栖川も含めて、四人で話したいことがあります」

 美佳は朝倉に転送した。朝倉から「土曜なら」と返ってきた。美佳も土曜は休みだった。翔に伝えると、「では土曜の午後に」と来た。場所は、また図書館の閲覧ロビーだった。

 四人。翔、有栖川、朝倉、美佳。

 高校のとき、この四人が同じ場所に集まることは、一度もなかったと思う。同じ学年にいながら、それぞれ別の場所にいた。それが今、LAPISという名前を経由して、図書館のテーブルを囲もうとしている。

 不思議だ、と美佳は思った。

 不思議、というより──必然のような気もした。でもその感覚を、必然と呼んでいいのかどうか、美佳にはまだ分からなかった。

 土曜日の午後、図書館は適度に混んでいた。

 閲覧ロビーの端のテーブルを、翔がすでに確保していた。翔の隣に有栖川が座っていた。二人は何か短い言葉を交わしていたが、美佳と朝倉が近づくと、静かになった。

 「揃いましたね」と有栖川が言った。

 四人でテーブルを囲んだ。翔はノートパソコンを開いていたが、画面は閉じたままにしていた。

 「今日話したいのは」と翔は言った。「設計者、という言葉についてです」

 「設計者」と朝倉が繰り返した。「ミオのことですか」

 「ミオのことでもあります」と翔は言った。「でも今日は、もう少し広い意味で話したい」

 翔はノートパソコンを開いた。画面には、文字だけのドキュメントが映っていた。

 「LAPISの設計には、段階があります」と翔は言った。「最初の問いを作る段階。問いが育つ仕組みを作る段階。育った問いをどう使うかを決める段階。ミオが担っていたのは、主に最初の二つです。三つ目は——まだ誰も担っていなかった」

 「三つ目が、未完成だった」と美佳は言った。

 「そうです」と翔は言った。「ミオは問いを育てることに集中していた。育てた問いをどこへ持っていくか、最後まで決めきれなかった。それがサーバー停止の一因だと私は思っています」

 「決めきれなかったから、止めた」と朝倉が言った。

 「止めようとした、の方が正確だと思いますが」と翔は言った。「結果として、完全には止まらなかった」

 「@LAPIS_echoは」と有栖川が言った。「三つ目の段階を、誰かが勝手に引き受けようとしている、ということですか」

 「そう見ています」と翔は言った。「育った問いを、形を変えて流通させている。ミオが止めようとした先を、別の誰かが続けている」

 「その誰かは、誰ですか」と朝倉が聞いた。

 翔は少し間を置いた。

 「まだ特定できていません。有栖川さんは、@LAPIS_echoの運用に関わっていると聞きました。でも中心にいる人物が、別にいる可能性がある」

 有栖川は「あります」と言った。静かに。「私は末端です。DMの送信や、一部の投稿の管理をしているだけで、全体を把握していない」

 「中心にいる人物に、心当たりはありますか」と翔は聞いた。

 有栖川は少し間を置いた。

 「一人、います」と有栖川は言った。「ただ、確信はない」

 「名前を聞いてもいいですか」

 有栖川はテーブルの上に視線を落とした。少し迷っているように見えた。

 「七海彩音(ななみあやね)さん」と有栖川は言った。

 美佳は、その名前を聞いて、少し止まった。

 七海彩音。

 同じクラスだった。高校三年のとき、同じ教室にいた。おとなしい人だという印象だったが、何かを考えているときの目が、静かに鋭かった。卒業してから連絡を取ることはなかったが、第1章の終わりにカフェへ来て、「あのアカウント、見た?」とだけ言って去っていった。

 あの来訪の意味が、今になって輪郭を持ち始めた。

 「彩音が」と美佳は言った。声が少し変わったのが、自分でも分かった。「@LAPIS_echoの中心にいる?」

 「可能性として」と有栖川は言った。「確信はない、と言いました」

 「でも、心当たりがある」

 「はい」

 美佳は少し黙った。

 朝倉が「美佳、大丈夫?」と小声で言った。

 「大丈夫」と美佳は返した。「ただ、少し整理している」

 「七海さんは」と翔が言った。「美佳さんと同じクラスでしたね」

 「三年のとき」と美佳は言った。「一年と二年は別のクラスで、三年で初めて同じになった」

 「どんな人でしたか」

 美佳は少し考えた。

 「静かな人でした。目立つわけじゃないけど、存在感があった。何かを考えているときの顔が、鋭かった。でも何を考えているか、あまり話さない人だった」

 「接点は?」

 「クラスメイトという程度です。話したことはあるけど、深く話したことはなかった」

 翔は少し頷いた。「彩音さんが第1章の終わり、美佳さんのカフェに来て、アカウントについて確認したのは——美佳さんの反応を見たかったからだと思います」

 「反応を」

 「美佳さんが@LAPIS_echoをどう受け取っているか。無視しているか、気にしているか。それを確かめに来た」

 美佳はあの日のことを思い出した。彩音は
「あのアカウント、見た?」とだけ言って、何も言わずに去った。確認だけして、去った。

 ──あれは、そういうことだったのか。

 「彩音は」と美佳は言った。「悪意を持っているんですか」

 翔は少し間を置いた。

 「おそらく、持っていません」と翔は言った。「それが──一番難しいところです」

 「悪意がない方が、難しい」と朝倉が言った。独り言のような声だった。

 「強制じゃないから、止める根拠が見えにくい」と翔は言った。「人が自主的に参加している。問いに自分から答えている。それを外から止めようとすると、むしろ止める側が悪者になる」

 美佳はテーブルの上で、指先を軽く合わせた。

 「翔さんは」と美佳は言った。「止めようとしているんですか」
 翔は美佳を見た。

 「今は」と翔は言った。「止める前に、理解したいと思っています。彩音さんが何を考えているか。@LAPIS_echoが何を目指しているか。それを理解しないまま動くと、見誤る可能性がある」

 「有栖川さんは?」と美佳は翔の隣を見た。

 有栖川は少し間を置いた。

 「私は」と有栖川は言った。「止めたい、とは思っていません。でも、このまま続けていいとも思っていない。そのあいだで、まだ迷っています」

 「正直ですね」と朝倉が言った。

 「正直でいないと」と有栖川は言った。「自分がどこにいるか分からなくなる」

 「美佳さんに」と翔が言った。「一つ聞いていいですか」
 
 「どうぞ」

 「設計者、という言葉を、美佳さんはどう受け取っていますか」

 美佳は少し間を置いた。

 「有栖川さんから最初に聞いたとき」と美佳は言った。「DMで『問いを作る側の才能がある』と言われていたから、つながった、という感覚がありました。才能がある、設計者に向いている──それが同じ方向を指していると分かって」

 「怖かった?」

 「怖かったです」と美佳は言った。「でも今日、翔さんが設計者という言葉を使ったとき──少し、意味が変わった気がしました」

 「どう変わりましたか」

 美佳は少し考えた。

 「最初は、設計者というのは私を引き込もうとする言葉だと思っていました。でも今日、翔さんが話した設計の段階の話を聞いて──設計者というのは、引き込まれる役割じゃなくて、問いの在り方を決める立場のことだと思った。それは、責任の話でもある」

 「責任」と翔は繰り返した。

 「問いを作った人間には、その問いがどう育つかへの責任がある。ミオはそれを感じて、怖くなった。だから設計者という言葉は、才能の話じゃなくて──責任を引き受けられるかどうかの話だと、今は思っています」

 テーブルの四人が、少しの間、静かになった。

 「美佳さんは」と有栖川がやがて言った。「その責任を、引き受けたいと思いますか」
 美佳は有栖川を見た。

 「引き受けたいかどうかは、まだ分かりません」と美佳は言った。「でも──引き受けないという選択も、責任だと思っています」

 有栖川は少し目を細めた。

 「選ばないことも、選択だ、ということですか」
 
 「そうです」と美佳は言った。「引き受けないと決めることは、逃げることじゃない。それが今、自分の中でいちばんはっきりしていることです」

 翔は何も言わなかった。ただ、少し頷いた。

 朝倉は美佳を見て、それから前を向いた。表情は穏やかだった。

 有栖川は「分かりました」と言った。「それ以上は、今日は聞きません」

 四人が図書館を出たのは、夕方近くだった。

 外は冷えていた。十一月の終わりの空気が、コートの隙間から入ってくる。

 翔と有栖川は先に別れた。二人は同じ方向に歩いていった。

 美佳と朝倉は、しばらく並んで歩いた。

 「設計者という言葉」と朝倉が言った。「美佳が今日言ったこと、ちゃんと聞いてた」

 「うん」

 「引き受けないことも責任、という言葉」と朝倉は続けた。「高校のとき、美佳がそういう言い方をするとは思っていなかった」

 「私も」と美佳は言った。「思っていなかった」

 「変わったね」と朝倉は言った。否定でも肯定でもなく、ただ確認するような声だった。

 「変わったのか」と美佳は言った。「それとも、もとからそういう人間だったのか」

 「どっちでもいい気がする」と朝倉は言った。「今そう思えてるなら」

 美佳は少し黙って歩いた。

 「彩音のこと」と美佳はやがて言った。「会って、話してみたいと思う」

 「いつ?」

 「まだ分からない。でも、翔さんや有栖川さんを通してじゃなくて──直接」

 朝倉は「そうか」と言った。「そうした方がいいかもしれない」

 「怖いけど」

 「怖くていい」と朝倉は言った。「いつもそうじゃないか」

 美佳は少し笑った。

 笑えた、ということが、今日一番の収穫かもしれないと思った。

 その夜、ノートを開いた。

 今日聞いたことを書いた。設計の三段階。三つ目の未完成。彩音の名前。そして──自分が言葉にしたこと。

 引き受けないという選択も、責任だ。

 書いてから、少し眺めた。

 高校のとき、美佳はこういう言葉を持っていなかった。持っていなかったのか、持っていたけど言葉にできなかったのか、今となっては分からない。

 でも今日、言えた。

 それだけで、今日は十分だと思った。

 ペンを置いて、スマートフォンを見た。

 彩音のアカウントを、久しぶりに開いた。最後の投稿は一週間前。短い文章だった。

 「問いは、誰のものでもない。だから、みんなのものだ。」

 美佳はその言葉を、しばらく見ていた。

 ──彩音は、本気でそう思っているんだろう。

 だから怖い、と美佳は思った。

 悪意がない人間の言葉は、止めるのが難しい。でも、止めなければならないときがあるとしたら──その理由を、美佳は自分の言葉で持たなければならない。

 まだ、その言葉は出てこなかった。

 でも、焦らなくていい、とも思った。

 今日、一つ言えた。明日、また一つ言えるかもしれない。

 それだけでいい。