君は〇〇霊─僕らの名前と君の魂─


和気の影から5本の腕が蛇のように波打ながら伸びる。
それらが和気の四肢を掴もうとした瞬間、

「わけ!!!」

宵が和気の体を抱きしめ、空中に浮いた。地面との距離はおよそ2メートル。
腕は動きを止めたかと思うと、一気に伸びてきて和気の手足を掴んだ。
影は引っ張る動きを見せるが、

「え、あ、、れ…?」

和気の体は引っ張られない。
だが、


「う、、、ぁ、、、」


和気の顔が歪む。
引っ張られているのに引っ張られていないような。
体はそのままなのに中身が浮かされているような、不思議な、気持ちの悪い感覚が体に走る。


「くそっ…はなれっ、ろっっ!!」


宵がその黒い手に触れると手の力は段々と弱まっていき地面にある和気の影へと戻っていく。

和気を抱きしめて持ち上げていた宵の体が下へと降りて行く。

「ちょっ!よい?!」

「やばい、、、やばい、、、、」

宵の体がプルプルと震えている。
和気の体を持つのにも力が必要なようで、限界を迎えそうだ。

和気は宵の首元に腕を回して顔をぐっと近付けた。
宵も何かを思いついた様子を見せ、和気の体を持ち直すと、



お姫様抱っこの形とした。




「こっちのが、楽だな。」

宵の体は再び浮き、地面との距離を離す。
すると、和気の影は意思を持ったかのようにひとりでに動き出す。
方向は屋上の柵、の外側。
2人はソレを凝視し、影との距離が離れたため和気は地面へと足を落とした。
通常ならあるはずの影が宵の足元にはない。

和気の影はゆらゆらと揺れ始める。不確かな形の影だったものはゆっくりと歪な形を作り始める。
ソレはみるみる立体化し、人型を形作った。

和気と宵は2人揃って顔を引き攣らせる。現実感のない気味の悪いものを見たのだから当然の反応だ。

「きもちわるい…。」
「きっしょ。」

人型となったソレは体を和気へと向ける。
和気はそれを警戒しつつ注視していた。





じわじわと、黒い人型の顔面に、

対照的な程真っ白な横長の丸い模様が浮かび上がった。




それが形を成した部位は目。




その空白に、




突如深黒い円形が現れる。




人の目となったそれは三日月を描き、





和気へと微笑む。




軽やかに吹かれていた風はピタリと止まる。

聞こえるのは自分の鼓動、息遣い、ただそれだけ。


その目と視線がかち合い、和気は驚きで瞬きをした。
それが悪かったのだろう。



瞬きをしてから開かれた視界は

屋上から眺める地上への景色へと移り変わっていた。


宵の己を呼ぶ声も和気には遠く感じて聞き取れない。
音はない。無音の世界。
ただその景色に怯えるだけ。


和気の意識は遠のいて行く。

ただ薄い意識の中で再び、
和気がいつものようにうんざりしているあの小さな黒いモノたちが、視界の端で黒い体を和気本体の方向へと弱い力で引っ張っていた。
ネチョネチョと音を立てて。

だが和気にはそんなこと気に留める余裕などなく、
黒く淀んだ感情が和気の体へと流れ込む。

『なんでこんな辛い目に遭わなきゃいけないの。』
『みんな呑気に過ごしてて。』
『僕が何したって言うんだ。』
『やだ、消えたい。』
『誰も理解してくれない。』
『つらい。』
『しんどい。』

『もう……』




「俺を見ろ!和気!」

和気はハッと意識が戻された。
視界に映るのは高所を示す景色ではなく宵の顔。
宵が和気の両頬を掴み、視界には宵だけを入れていたのだ。

「____よ、、い?」

和気の体に漂ってきた穢れた思いはスッと抜け落ちていった。

「なーんか思い出してきたわぁ。
確かあれは、、、
この屋上に残された感情だ。」

宵は手の平で和気の視界を遮りつつソレに体を向けた。

ソレは三日月だった瞳をより細くしていく。

そして頭であろう部分を
首を支点にしてゆっくりと時計回りに回し始める。

「ほら、屋上みてぇなたけぇ場所には『死にたい』って人間は集まるだろ。
そいつがどうなろうとここには『辛さからの解放』を願う感情が残される。
そーゆーやつの残滓の集合体が、あいつだ。」

和気は冷や汗を額に浮ばせ、震える手で宵の制服を掴む。

「どうすればいいの。」

「_______七不思議とかの怪異は、
狙った獲物を自分の手中に収めたがる。」

宵は和気から逸らすように視線を下に向けた。
2人の様子とは対照的に、黒い人型は頭を回旋する速度を早め、頭部を上下に揺らし始める。
まるで苦難に陥った2人を嘲るかのように。

「つまり、」

和気は自分の視界を塞ぐ宵の手首を掴み、降ろした。

髪で隠れた和気の瞳が微かに顕になる。



「僕がその感情に流されなきゃいいってことでしょ。」



和気はその黒い人型の、三日月よりも薄い目を見る。

和気と目が合ったソレは、頭の回旋をやめ、正常な人型となる。


その人型は、三日月の目から


黒い粘着のある紐で繋いだ瞳を落とし出し、



再び和気へと笑み掛けた。








『ふへっ』







***








深海のような、
深く暗く、息苦しい世界へと移り変わる。広大な暗闇の中だというのに和気の体は窮屈さを感じている。
和気が口を開けば空気が泡となって出ていった。
周囲に空気はなく、重たい水だけがあると言うのに息は出来た。
和気が揺れる己の制服を眺めていると、視界の奥に橙色の光景が現れた。


陽が斜めに差し掛かった夕方の空。その空には1匹のカラスが飛んでいる。
屋上からの夕陽は眩しい程に美しかった。
ぱっと見れば絵になるような景色。

その中には夕日に照らされた一人の影が。

その人影を見つめていると和気へと突風が吹く。
絶望の淵に立たされた者たちの喘ぎが、風に乗って和気を襲う。

『しんどい』
『もう嫌』
『つらい』
『誰か分かって』
『誰か代わって』
『誰か助けて』


『解放されたい』



「僕だって解放されたい。
皆んなが過ごしてる平穏が、僕にはない。」


和気は遠くから眺めていたはずのその光景に引き込まれ、深海から夕日に照らされた偽物の屋上へと移った。
俯き、表情を隠すかのように和気の長い髪が顔を隠す。

「皆んなが羨ましい。」

夕日に照らされた人はズボン型の制服だった。
そしてその人はゆっくりと振り返って和気へと向く。
顔には黒く塗りつぶされたようなペンキが塗られており、先と同じく目元には三日月があった。

『キミもいっショ?ふへっ。ふへへ。』

その人は不吉な笑みを溢しつつ和気に手を伸ばしつつ歩いて来る。
ペンキが徐々に広がり、空間を侵食して行く。
和気を囲い始めた時、
伸ばされていた手を和気が掴む。

「だめなんだ。」

掴んだ手をゆっくりと下げていく。

「今の境遇を恨むのはどうだっていい。
解放を願うのだって悪くなんてない。でも、」

和気は黒く塗られた顔と目を合わせた。
その顔には三日月の模様はもうない。
ただ見開かれた目だけがある。

「ここから飛び降りちゃったら、少なからず誰か1人は、僕の死を悲しむ。」

和気の手を掴む力が強くなった。
脳裏には幼子から世話を焼いてくれた祖父の顔が浮かんぶ。

「僕にはまだ、手放しちゃいけないものがある。」

和気はその人の両手を掴んで胸の前で握り、
優しく微笑んだ。

「ださくてもしんどくてもみっともなくても
それでも、

_________僕は生きる方を選ぶよ。」

顔に塗られた黒いペンキはポタポタとこぼれ落ちていく。
露わとなった顔には多少ペンキが残っているが、
男性らしい顔立ちの生徒が諦めたかのような、
取り繕った笑みを見せる。

「私は、そんな風に考えられなかったよ。」




和気の背中から追い風が吹いた。
目の前にいたはずのその人とは一気に距離が離れ、その夕日の景色にいたはずなのにそれと隔離された。
再び暗い世界に移るが、先ほどまでの息苦しさはない。

ただ和気の脳内には、屋上にその感情の残滓を残していった多くの生徒達の様子が流れ込んできた。

それを見渡していると、あの声が聞こえた。
今度ははっきりと。

「和気!!!」

「________っ!」


和気の意識は突如として戻ってきた。
硬いコンクリートの上に仰向けで天を見上げ、和気の視界を宵が埋めている。
間近にある宵の顔に驚き和気は上体を起こした時、

「いっ!」
「っ〜〜〜!」

和気と宵の額がぶつかり合った。
額をさすりながら、和気は口を開ける。

「七不思議は…?」

宵は顰めっ面で指差す。
そこには黒い粘土のようなものが点々と消えていっていた。

「お前が気失ってちょっとしてから…」

宵が言うには、
和気が黒い人型と目を合わせ気を失って少ししてから、人型が形を崩し始めたとのこと。
段々と崩れていき、最終的にはあの様に。

「あの七不思議はどうなるの?」

「力は失ったけど、
ずっとここで役割を果たし続けるはずだ。」


ーーーーーより強力な怪異が現れ、

七不思議として新たに君臨するまでは。
宵は汗を浮かばせながらも「ふっ」と、安心による笑みを溢した。

「まぁ、
当分は存在するだけで
ただの出来損ないの怪異になるだろうけどな。」

「______そっか。」

(それは…

良いこと、なのかな。)

その七不思議は遂に完全に姿を消し去る。
宵と和気はそれを最後まで見守っていた。
七不思議が消し去ったことで、安堵の雰囲気が流れる。


が、それは一瞬にして掻き消された。


「急急如律令」


宵の足元に星印の円陣が描かれる。

「______っ!」

星印は光を放つが、宵はそれを認識して素早く避けた。

「チッ。影薄すぎて忘れてたわぁ。」

和気はゆっくりと、声のした扉へと顔を向ける。
彼は段差を跨ぎ、ゆっくりと屋上の地に足を下ろした。

「影が薄いのは君のほうだろ。出来損ないの霊。」

そそこに立つのは

「____土御門くん…。」

土御門は地面を軽く2度踏んだ。
まるで、先程までこの空間を牛耳っていた七不思議を踏み滲むかのように。

「あれは七不思議弐番。弐番程度に手こずるなんて…」

土御門は宵を強く睨みつける。
感じられる。
怒りの込めた、刄のような鋭い視線。

「和気くんを全く守れてないじゃないか。
君は戦いもせず、挙げ句の果てに和気くんに丸投げ。
僕なら彼に指一本触れさせずに処理することができた。」

彼は和気へと足を運ばせる。
未だに地面にへたり込んだ和気は呆然と空を眺めていた。
宵は和気の後ろにいる。
どんな表情なのか、和気には分からない。

「和気くん。」

土御門は地面に膝をついて和気に手を差し出した。

「僕なら安全に、君の名を取り戻せる。約束する。
だからどうか」




ーーーーーーパチッ




音が鳴る。
それは和気が土御門の手を払い除けた音。

「僕はっ」

震えているのに重たく、静かに言葉にした。

「僕は守られる人間じゃない。」

和気は土御門の目をしっかりと見る。

「宵だったから_____。」

和気は宵と顔を見合わせる。
宵は口を開け、何かを言いかけて止め、代わりに目を細めた。
土御門はその様子を見せつけられ、ゆっくりと立ち上がる。