まだ日が昇りきっていない、薄暗い時刻。
学校から出た二人は走り続ける。
「まって、大和くん!」
「待てない。この時間は本当に危ないんだ。家まで送り届けるよ。」
「でも宵がっ」
「あいつも言ってたでしょ。大丈夫って。」
「________けど……。」
土御門は片眉を薄らと引くつかせる。
怒っているようで、そうでないような。
不機嫌、とでも言いたげな表情で。
「和気くんが自分で知りたいって言うから、分かりにくく教えてあげると…」
和気はふと気付く。
土御門に引かれるがままに走っていれば、知らぬうちに自分の家前まで辿り着いていたことに。
何も言っていない。
自分の家の場所を。
思えば前回もそうだった。
「徹夜明けってことだよ。」
「…………は?
えっと、でも宵は実体のない…霊だし」
「おい!」
声がしたのはこの玄関門の先。
玄関の扉から姿を現した和気の祖父。
「帰んのが遅いんじゃ。せめて一言ぐらい言え。」
「ごっ、ごめん!ただいまっ。」
祖父の視線は和気から土御門へと移る。
それに気付いた土御門も軽く頭を下げて会釈をした。
「あっ、こっちは」
「土御門の坊か…?久しぶりだなぁ。」
「……え?」
和気が紹介する間もなく、祖父は土御門について知っているかのような口調だった。
「これはこれは、和気殿。お久しぶりです。」
「えらい大きくなったじゃねぇか。____と同じ学校だったんか。」
もちろん、祖父の言う和気の名は聞こえない。
だけど土御門はそれを聞き取れていた。
彼らには何も、不自然さなんてなかった。
「はい。お孫さんとはたいっへん、仲良くさせていただいています。」
(“大変”の主張が強いなぁ…。)
「何じゃお前も言わんかい。」
「いてててて。」
祖父は乱暴に和気の背を叩く。
祖父は土御門と会ったことがあるらしく、それについて和気は疑問を覚えるばかりだった。
「二人ともガキん時にしか会ったことなかったろ?」
土御門へと視線を移す。
幼い頃、彼と会ったことがあるのかと、和気は大きな目で見つめる。
一方彼は、いつものようにどこか取り繕ったような笑みを見せていた。
「_____そうですね。また会えて、本当に嬉しいですよ。
すみません、そろそろ帰らないと。」
「そうか。悪かったな。」
祖父は門前まで来て、去ろうとする土御門を見送りに来た。
「あぁ、そうだ。夕方に式神を送ったのは坊か?」
「え?」
土御門は小さくその疑問の言葉を呟いた。
「ほら、____の帰りが遅くなるって言伝を…」
土御門の瞳孔が揺れる。
それに対して和気は、驚きと共に怪訝な表情を浮かべた。
「_____ええ。僕ですよ。それじゃ、僕はもうお暇しますね。」
土御門は和気へと視線を一瞬移してから、背を向けて歩き出す。
「助かった。あんがとな、坊。」
「あっ、ありがと!大和くん!」
手を軽く上げてその別れの言葉を受け取り、土御門は早足に去って行く。
祖父と和気は、その背中を見つめる。
(_______触れられたく、なさそうだったな。)
二人には聞こえなかった。
土御門の、学校の王子の力強い舌打ちを。
***
「くそっ、やられた。僕も何でそこまで頭が回らなかったんだ。」
土御門は自身の金色の髪を掴む。
それを握りしめ、真っ直ぐな髪をくしゃらせた。
「まだそんな力が残ってたなんて…。
──────────それに、」
土御門は足を止めた。
その瞬間、電柱の影や塀の角から、粘稠のある黒いモノ達が蔓延って来る。
それらがしゃがみ込んだ土御門へと向かうが、
「急急如律令」
途端にソレらは消し去られる。
地面に描かれた大きな星印によって。
ソレらが消えて行く中で、土御門は目を細めてすぐ側に立つ電柱にもたれかかった。
どこか、寂しそうな目で。
「気付かれたく、ないな。和気くんには。」
(あの頃の、弱い少年が僕だってこと。)
***
遡ること数年前。
和気が今住んでいる祖父の家。
この場所で彼等は初めて出会った。
金木犀の匂いに包まれた金髪の少年が、
池の中で気ままに泳ぐ赤色の鯉を眺めている、黒髪の少年を見つけるところから始まる。
その日は、こちら側の家系の者達、その主が集まる特別な日だった。
だからか、彼等から離れた場所からは大人達の声が聞こえていた。
その黒髪の少年を見た途端、大人達のその声がパタリと病んだ気がした。
別に、その黒髪の少年に惹かれただとか、何か感じたといったことはない。
知らぬふりをすればいいのに。
きっと、彼は自身が暇だから声をかけたとでも思っているのだろうか。
「こんにちは。」
少年は驚くことなく顔を上げた。
その視線とかち合う。
「こんにちは。」
「名前は?」
少年は同じくしゃがみ、彼と視線を合わせた。
「和気____。君は?」
(この家の子か。)
「えっと……土御門大和。」
正直なところ、大和は自身の名前を言いたくはなかった。
この家系の人達はこの名前に、存在にひどく驚くからだ。
何せ大陰陽師、安倍晴明。
その血を継いでしまったのだから。
「大和くんね。何でここにいるの?君もお客さんならあっちに行かなきゃ。」
(面倒なこと聞くなぁー。)
なんてことを思いつつも、笑顔で話してあげる。
「ああいう集まりあんまり好きじゃないんだよね。それに僕はついて来ただけだから、僕がいなくても大丈夫なんだ。」
「そっかぁ。」
「____くんは?」
黒髪を揺らして、少年は遠くへと泳いで行った鯉を見据える。
「最近ここに預けられること多くてさ。滅多に会わなかったじぃちゃんの顔も覚えちゃったし。ママもパパも、僕のこと嫌いなんだよね。」
(確か和気の家系は今の代の息子には力がないって言ってたな。ってことは、この子には力があるってことで…)
「ふーん。」
数秒、沈黙が流れた。
会話が尽きた、と言うよりは、和気は何かを待っているようだった。
それに痺れを切らしたのか口を開ける。
「深掘り、しないの?」
「え?あぁ、だって、聞かれたくなさそうだったし。」
「______そっか。大和くんは、すごい人だね。」
大和は眉に皺を寄せた。
大体の人なら、言われるときっと喜ぶであろう言葉。
だがそれは、彼にとっては地雷でしかなかった。
「なに?何がすごいの。みんなそう。
僕が土御門の家の子だから。優秀だから。
勉強も運動も得意だから。見た目がいいから。」
土御門は立ち上がり、ポケットから取り出した数枚の形代を池の中に落とす。
それらはひらひらと舞いながら、水上へと着地した。
「もううんざりだっ。
だれも、誰も僕のことをっ……」
右腕の袖が、引かれた感覚が伝う。
和気は顔を上げ、真っ直ぐに大和の涙の残る瞳を見つめる。
「ねぇ。
僕はそんなことに“すごい”って言ったわけじゃないよ。」
呆気に取られた大和を和気は力強く引っ張り、再びしゃがませた。
「僕がそのことを、聞かれたくないんだって感じられて、それを聞こうとしなかったことが、嘘だとしても、
“すごい”って言ったんだよ。」
大和の瞳は、途端に光を灯す。
小さく開かれた口が閉じてはくれない。
「大和くんが言う“すごい”は、大和くんが他の人よりも頑張ったからじゃないの。
僕は大和くんのこと全く知らないけど、完璧じゃない大和くんのことをすごくないなんて、思わないよ。」
初めて、自身を見てくれた気がした。
救ってくれた気がした。
認めてくれた気がした。
認められた気がした。
自分と同い年の、ただの少年に。
***
「僕を救ってくれた____くんを、
──────────僕が守りたいのに…」
その願いが誰かに届くことはない。
暗い夜の闇の中へと消えてしまった。
学校から出た二人は走り続ける。
「まって、大和くん!」
「待てない。この時間は本当に危ないんだ。家まで送り届けるよ。」
「でも宵がっ」
「あいつも言ってたでしょ。大丈夫って。」
「________けど……。」
土御門は片眉を薄らと引くつかせる。
怒っているようで、そうでないような。
不機嫌、とでも言いたげな表情で。
「和気くんが自分で知りたいって言うから、分かりにくく教えてあげると…」
和気はふと気付く。
土御門に引かれるがままに走っていれば、知らぬうちに自分の家前まで辿り着いていたことに。
何も言っていない。
自分の家の場所を。
思えば前回もそうだった。
「徹夜明けってことだよ。」
「…………は?
えっと、でも宵は実体のない…霊だし」
「おい!」
声がしたのはこの玄関門の先。
玄関の扉から姿を現した和気の祖父。
「帰んのが遅いんじゃ。せめて一言ぐらい言え。」
「ごっ、ごめん!ただいまっ。」
祖父の視線は和気から土御門へと移る。
それに気付いた土御門も軽く頭を下げて会釈をした。
「あっ、こっちは」
「土御門の坊か…?久しぶりだなぁ。」
「……え?」
和気が紹介する間もなく、祖父は土御門について知っているかのような口調だった。
「これはこれは、和気殿。お久しぶりです。」
「えらい大きくなったじゃねぇか。____と同じ学校だったんか。」
もちろん、祖父の言う和気の名は聞こえない。
だけど土御門はそれを聞き取れていた。
彼らには何も、不自然さなんてなかった。
「はい。お孫さんとはたいっへん、仲良くさせていただいています。」
(“大変”の主張が強いなぁ…。)
「何じゃお前も言わんかい。」
「いてててて。」
祖父は乱暴に和気の背を叩く。
祖父は土御門と会ったことがあるらしく、それについて和気は疑問を覚えるばかりだった。
「二人ともガキん時にしか会ったことなかったろ?」
土御門へと視線を移す。
幼い頃、彼と会ったことがあるのかと、和気は大きな目で見つめる。
一方彼は、いつものようにどこか取り繕ったような笑みを見せていた。
「_____そうですね。また会えて、本当に嬉しいですよ。
すみません、そろそろ帰らないと。」
「そうか。悪かったな。」
祖父は門前まで来て、去ろうとする土御門を見送りに来た。
「あぁ、そうだ。夕方に式神を送ったのは坊か?」
「え?」
土御門は小さくその疑問の言葉を呟いた。
「ほら、____の帰りが遅くなるって言伝を…」
土御門の瞳孔が揺れる。
それに対して和気は、驚きと共に怪訝な表情を浮かべた。
「_____ええ。僕ですよ。それじゃ、僕はもうお暇しますね。」
土御門は和気へと視線を一瞬移してから、背を向けて歩き出す。
「助かった。あんがとな、坊。」
「あっ、ありがと!大和くん!」
手を軽く上げてその別れの言葉を受け取り、土御門は早足に去って行く。
祖父と和気は、その背中を見つめる。
(_______触れられたく、なさそうだったな。)
二人には聞こえなかった。
土御門の、学校の王子の力強い舌打ちを。
***
「くそっ、やられた。僕も何でそこまで頭が回らなかったんだ。」
土御門は自身の金色の髪を掴む。
それを握りしめ、真っ直ぐな髪をくしゃらせた。
「まだそんな力が残ってたなんて…。
──────────それに、」
土御門は足を止めた。
その瞬間、電柱の影や塀の角から、粘稠のある黒いモノ達が蔓延って来る。
それらがしゃがみ込んだ土御門へと向かうが、
「急急如律令」
途端にソレらは消し去られる。
地面に描かれた大きな星印によって。
ソレらが消えて行く中で、土御門は目を細めてすぐ側に立つ電柱にもたれかかった。
どこか、寂しそうな目で。
「気付かれたく、ないな。和気くんには。」
(あの頃の、弱い少年が僕だってこと。)
***
遡ること数年前。
和気が今住んでいる祖父の家。
この場所で彼等は初めて出会った。
金木犀の匂いに包まれた金髪の少年が、
池の中で気ままに泳ぐ赤色の鯉を眺めている、黒髪の少年を見つけるところから始まる。
その日は、こちら側の家系の者達、その主が集まる特別な日だった。
だからか、彼等から離れた場所からは大人達の声が聞こえていた。
その黒髪の少年を見た途端、大人達のその声がパタリと病んだ気がした。
別に、その黒髪の少年に惹かれただとか、何か感じたといったことはない。
知らぬふりをすればいいのに。
きっと、彼は自身が暇だから声をかけたとでも思っているのだろうか。
「こんにちは。」
少年は驚くことなく顔を上げた。
その視線とかち合う。
「こんにちは。」
「名前は?」
少年は同じくしゃがみ、彼と視線を合わせた。
「和気____。君は?」
(この家の子か。)
「えっと……土御門大和。」
正直なところ、大和は自身の名前を言いたくはなかった。
この家系の人達はこの名前に、存在にひどく驚くからだ。
何せ大陰陽師、安倍晴明。
その血を継いでしまったのだから。
「大和くんね。何でここにいるの?君もお客さんならあっちに行かなきゃ。」
(面倒なこと聞くなぁー。)
なんてことを思いつつも、笑顔で話してあげる。
「ああいう集まりあんまり好きじゃないんだよね。それに僕はついて来ただけだから、僕がいなくても大丈夫なんだ。」
「そっかぁ。」
「____くんは?」
黒髪を揺らして、少年は遠くへと泳いで行った鯉を見据える。
「最近ここに預けられること多くてさ。滅多に会わなかったじぃちゃんの顔も覚えちゃったし。ママもパパも、僕のこと嫌いなんだよね。」
(確か和気の家系は今の代の息子には力がないって言ってたな。ってことは、この子には力があるってことで…)
「ふーん。」
数秒、沈黙が流れた。
会話が尽きた、と言うよりは、和気は何かを待っているようだった。
それに痺れを切らしたのか口を開ける。
「深掘り、しないの?」
「え?あぁ、だって、聞かれたくなさそうだったし。」
「______そっか。大和くんは、すごい人だね。」
大和は眉に皺を寄せた。
大体の人なら、言われるときっと喜ぶであろう言葉。
だがそれは、彼にとっては地雷でしかなかった。
「なに?何がすごいの。みんなそう。
僕が土御門の家の子だから。優秀だから。
勉強も運動も得意だから。見た目がいいから。」
土御門は立ち上がり、ポケットから取り出した数枚の形代を池の中に落とす。
それらはひらひらと舞いながら、水上へと着地した。
「もううんざりだっ。
だれも、誰も僕のことをっ……」
右腕の袖が、引かれた感覚が伝う。
和気は顔を上げ、真っ直ぐに大和の涙の残る瞳を見つめる。
「ねぇ。
僕はそんなことに“すごい”って言ったわけじゃないよ。」
呆気に取られた大和を和気は力強く引っ張り、再びしゃがませた。
「僕がそのことを、聞かれたくないんだって感じられて、それを聞こうとしなかったことが、嘘だとしても、
“すごい”って言ったんだよ。」
大和の瞳は、途端に光を灯す。
小さく開かれた口が閉じてはくれない。
「大和くんが言う“すごい”は、大和くんが他の人よりも頑張ったからじゃないの。
僕は大和くんのこと全く知らないけど、完璧じゃない大和くんのことをすごくないなんて、思わないよ。」
初めて、自身を見てくれた気がした。
救ってくれた気がした。
認めてくれた気がした。
認められた気がした。
自分と同い年の、ただの少年に。
***
「僕を救ってくれた____くんを、
──────────僕が守りたいのに…」
その願いが誰かに届くことはない。
暗い夜の闇の中へと消えてしまった。

