窓の外は、燃え尽きようとする夕日が刺さるように赤い。
ここは、放課後の美術室。
換気扇が回る低い音だけが、沈黙の隙間を埋めていた。
「ねえ、真昼(まひる)。死ぬって、どんな感じだと思う?」
イーゼルに向かい、黙々と筆を走らせる真昼の背中に問いを投げかける。何の前触れもない唐突な問いだったが、真昼の手はその程度では止まらない。パレットの上で、どろりとした青と黒が迷いなく混ざり合っていく。
「さあ。それなら沙織の方が詳しいんじゃない?」
その言葉に首を傾げれば、ようやく真昼はこちらを見た。
「演劇部なら、今まで何度も舞台で死んできたんじゃないの?」
それだけ言うと、再びイーゼルに向き直ってしまう。
ああ、たしかに。
教壇の上に座り、行儀悪く足をぶらつかせながら考える。
「うーん。まあ、死体役はやったことあるけどさ。でもそれって結局は『死んだふり』じゃん?」
窓の外の赤を眺めながら呟く。嘘で塗り固められた舞台の上で迎える死は、所詮演目の1つに過ぎない。本物とは似て非なる、整えられた終幕だ。
無意識に自分の手首へ触れる。ドクドクと脈打つ鼓動が生きていることを証明し、それが妙に生々しくて不愉快だった。
「私は自分が嫌い。この『沙織』っていう中身のない器が、どうしようもなく癪に障る。だから演劇が好き。自分じゃない誰かの絶望や誰かの愛を叫んでいる時だけ、私は私以外の誰かになれる」
真昼は静かに言葉を受け止めてくれた。反応が無いのはいつものこと。
よいしょ、と教壇から立ち上がる。
「……贅沢な悩みね」
真昼がようやく筆を置き、振り返った。彼女の制服の袖口には、落ちない絵具の汚れが斑点のようにこびりついている。それがまるで、治りかけの痣のように見えた。
「うん。でも、それは真昼もでしょ?」
「まあね」
「…その絵、出来た感じ?」
「うん。見る?」
頷きながら近づけば、真昼は少し横にずれ、キャンバス全体が見えるようにしてくれた。
真昼が描いたのは、キャンバスを埋め尽くすような歪んだ臓物と花弁が混ざり合った抽象画だった。赤と紫と黒が絡みつき、甘美さと腐臭が同時に立ち上るような錯覚を覚える。
コンクールを見据えて描いているというその絵からは、見る者を拒絶するようなどす黒い情念が溢れ出していた。
絵のことは詳しくない。それでも分かる。
この遠慮のなさこそが、真昼が『天才』と呼ばれる理由なのだろう。
「私はね、この『死にたい』っていう吐き気のするような汚い気持ちが、1滴残らず絵具に変わる瞬間が好きなの」
真昼は自嘲気味に笑った。苦しそうに歪んでいる表情が、また何とも美しい。
「普通、『死にたい』なんて言ったらカウンセリング行きでしょ? でも、それをキャンバスにぶちまければ『独創的な感性』なんてラベルを貼られて、大人たちが拍手してくれる。どれだけ醜い心も、額縁に入れれば『芸術』として認められる。滑稽だと思わない?」
彼女をここまで追い込んだ大人たちの賞賛の薄気味悪さを、私も痛感している。だって私も、一度舞台に出れば『天才女優』と称されるのだから。願ってもない賞賛。それがどれだけ重たいことか。
「私は自分の絶望を切り売りして、評価に変えてる。あんたは死んで、生き返ってを繰り返して舞台を彷徨ってる。……ねえ、私たちのどっちが先に本当の意味で生きてるんだろうね」
真昼の肩に静かに顎を乗せた。香る絵の具の匂いの奥に、シャンプーの爽やかな匂いがした。身体をくっつければ、ドクドクとお互いの心臓の音が聞こえる。
生きている音だ。
それとも、まだ死ねていない証だろう。
「うちはね、多分死んでも死にきれないと思う。もし本当に死んだとしても、最期まで『悲劇の名ヒロイン』って言われる。……うちは、死ぬ時まで役者なの」
「…私も一緒だよ。死んでから評価される絵なんて、いくらでもある。きっと私の絵も、私が死んだ時に最も評価される。馬鹿みたいだよね」
死んで拍手されるのは、どちらも同じ。
本来なら否定されるものが、肯定される境界線。
分野は違っても、その構造はよく似ている。
救いのふりをした狂気だ。
「じゃあさ、どっちが先に死ねるか勝負しよ」
真昼の言葉に、言葉が出なかった。振り返った彼女は悪戯に笑う。
「沙織はドラマとかの作品で、私は絵で。この時代だったらいい勝負だと思うんだよね」
「…誰が勝敗つけるのよ」
「それはあの世で私たちが決めようよ」
当然のように、死後も一緒に居る前提で語る真昼。その無邪気さが、少しだけ救いだった。
でも、いいのかもしれない。
天国でも地獄でも、きっと真昼となら楽しいはず。
「じゃあ、今日はまだ死ねないね」
窓の外では、赤がゆっくりと紫に沈み始めていた。
ここは、放課後の美術室。
換気扇が回る低い音だけが、沈黙の隙間を埋めていた。
「ねえ、真昼(まひる)。死ぬって、どんな感じだと思う?」
イーゼルに向かい、黙々と筆を走らせる真昼の背中に問いを投げかける。何の前触れもない唐突な問いだったが、真昼の手はその程度では止まらない。パレットの上で、どろりとした青と黒が迷いなく混ざり合っていく。
「さあ。それなら沙織の方が詳しいんじゃない?」
その言葉に首を傾げれば、ようやく真昼はこちらを見た。
「演劇部なら、今まで何度も舞台で死んできたんじゃないの?」
それだけ言うと、再びイーゼルに向き直ってしまう。
ああ、たしかに。
教壇の上に座り、行儀悪く足をぶらつかせながら考える。
「うーん。まあ、死体役はやったことあるけどさ。でもそれって結局は『死んだふり』じゃん?」
窓の外の赤を眺めながら呟く。嘘で塗り固められた舞台の上で迎える死は、所詮演目の1つに過ぎない。本物とは似て非なる、整えられた終幕だ。
無意識に自分の手首へ触れる。ドクドクと脈打つ鼓動が生きていることを証明し、それが妙に生々しくて不愉快だった。
「私は自分が嫌い。この『沙織』っていう中身のない器が、どうしようもなく癪に障る。だから演劇が好き。自分じゃない誰かの絶望や誰かの愛を叫んでいる時だけ、私は私以外の誰かになれる」
真昼は静かに言葉を受け止めてくれた。反応が無いのはいつものこと。
よいしょ、と教壇から立ち上がる。
「……贅沢な悩みね」
真昼がようやく筆を置き、振り返った。彼女の制服の袖口には、落ちない絵具の汚れが斑点のようにこびりついている。それがまるで、治りかけの痣のように見えた。
「うん。でも、それは真昼もでしょ?」
「まあね」
「…その絵、出来た感じ?」
「うん。見る?」
頷きながら近づけば、真昼は少し横にずれ、キャンバス全体が見えるようにしてくれた。
真昼が描いたのは、キャンバスを埋め尽くすような歪んだ臓物と花弁が混ざり合った抽象画だった。赤と紫と黒が絡みつき、甘美さと腐臭が同時に立ち上るような錯覚を覚える。
コンクールを見据えて描いているというその絵からは、見る者を拒絶するようなどす黒い情念が溢れ出していた。
絵のことは詳しくない。それでも分かる。
この遠慮のなさこそが、真昼が『天才』と呼ばれる理由なのだろう。
「私はね、この『死にたい』っていう吐き気のするような汚い気持ちが、1滴残らず絵具に変わる瞬間が好きなの」
真昼は自嘲気味に笑った。苦しそうに歪んでいる表情が、また何とも美しい。
「普通、『死にたい』なんて言ったらカウンセリング行きでしょ? でも、それをキャンバスにぶちまければ『独創的な感性』なんてラベルを貼られて、大人たちが拍手してくれる。どれだけ醜い心も、額縁に入れれば『芸術』として認められる。滑稽だと思わない?」
彼女をここまで追い込んだ大人たちの賞賛の薄気味悪さを、私も痛感している。だって私も、一度舞台に出れば『天才女優』と称されるのだから。願ってもない賞賛。それがどれだけ重たいことか。
「私は自分の絶望を切り売りして、評価に変えてる。あんたは死んで、生き返ってを繰り返して舞台を彷徨ってる。……ねえ、私たちのどっちが先に本当の意味で生きてるんだろうね」
真昼の肩に静かに顎を乗せた。香る絵の具の匂いの奥に、シャンプーの爽やかな匂いがした。身体をくっつければ、ドクドクとお互いの心臓の音が聞こえる。
生きている音だ。
それとも、まだ死ねていない証だろう。
「うちはね、多分死んでも死にきれないと思う。もし本当に死んだとしても、最期まで『悲劇の名ヒロイン』って言われる。……うちは、死ぬ時まで役者なの」
「…私も一緒だよ。死んでから評価される絵なんて、いくらでもある。きっと私の絵も、私が死んだ時に最も評価される。馬鹿みたいだよね」
死んで拍手されるのは、どちらも同じ。
本来なら否定されるものが、肯定される境界線。
分野は違っても、その構造はよく似ている。
救いのふりをした狂気だ。
「じゃあさ、どっちが先に死ねるか勝負しよ」
真昼の言葉に、言葉が出なかった。振り返った彼女は悪戯に笑う。
「沙織はドラマとかの作品で、私は絵で。この時代だったらいい勝負だと思うんだよね」
「…誰が勝敗つけるのよ」
「それはあの世で私たちが決めようよ」
当然のように、死後も一緒に居る前提で語る真昼。その無邪気さが、少しだけ救いだった。
でも、いいのかもしれない。
天国でも地獄でも、きっと真昼となら楽しいはず。
「じゃあ、今日はまだ死ねないね」
窓の外では、赤がゆっくりと紫に沈み始めていた。



