その日、俺は白紙の進路希望と睨めっこをしていた。
就職か進学かすら決まっていない俺に呆れた担任は「後で変えてもいいからとりあえず書いてくれ」という言葉と共に、俺に居残りを命じてきた。解せぬ。
「ったく、こんなん1日2日で決まる訳ないだろ」
1人しかいない教室に、俺の愚痴が響いた。外からは部活動に励む声が聞こえる。
元気なことだ。俺には無理。確実に死ぬ自信がある。
窓の外を見ながらぼーっとしていると、廊下からバタバタと騒がしい足音が聞こえる。姿が見えずとも足音の主が分かってしまい、苦笑を溢した。
「ねーえー!残ってるなら言ってよー!!」
苦情と共に教室の扉を勢いよく開けたのは、幼馴染の彩奈(あやな)。
長い髪を揺らして近づいてきたかと思えば、遠慮なく俺の向かいに座った。他クラスに在籍しているにも関わらず、我が物顔で居座るなよ。まあ、放課後だからいいけどさ。
「よく気づいたな」
「自転車残ってたもん」
「ああ、そういうこと」
家が近いためいつも一緒に帰るが、まさか気づいて引き返してくるとは思っていなかった。小さく謝れば、彩奈は可愛らしく頬を膨らませた。
「で、裕也(ゆうや)君は何で居残りしてるのかな〜?」
ニヤニヤと煽るような口調で、机の上に可哀想なほど放置されている進路希望調査用紙を覗き込まれる。そして、きょとんと首を傾げた。
「……これ、1週間前が提出期限じゃなかった?」
「うるさいうるさい。言うんじゃない」
「えー…。てっきり課題出してなくて、居残りしてるのかと思ったのに」
「なんで残念そうなんだよ。はあ、印鑑が必要だから居残りはないと思ってたんだ」
「先生の方が一枚上手だった訳ね」
ケラケラと笑う彩奈に、ため息を吐きながら紙に目を向ける。名前は書いたものの、それ以下は全く書けていない。
そろそろ書かないと日が沈む。そんなことを考えるも、ペンは動いてくれない。
「大体さ、数日で決まるわけないだろ。進路だぞ?」
「進路希望調査の話自体は、だいぶ前からあったよね?」
「それを言うな。俺の言い訳が無くなるだろ」
「あー」だの「うー」だの唸っていれば、何の前触れもなく教室の扉が開く。2人で視線を向けると、そこには俺をここに監禁した張本人である担任が立っていた。
「斎藤〜、書き終わったか?」
「終わりました」
当然のように白紙の紙を渡せば、怪訝な顔をされる。
「白紙じゃないか」
「何言ってるんですか、先生。これは『心の綺麗な人には文字が見える不思議なペン』で書いたんですよ」
「んじゃ、校長先生が読めないからやり直し」
「うっわ!この人、校長ディスった!!」
「人聞きの悪いことを言うな」
俺の屁理屈をサラリとかわした担任に、俺は渋々白旗を上げた。
「……すんません、まだです」
そう言うと、担任はこれ見よがしに大きなため息をついた。
「はあ……斎藤。いい加減、自分の将来について真剣に考えろ。このままだと、お前の親御さんに連絡することになるぞ」
「親に連絡」という言葉に、俺は思わずビクリと肩を震わせた。
それは最終兵器だ。うちの親は、俺が将来についていい加減な態度を取ることを何よりも嫌う。ぐちぐち言われるのは勘弁願いたい。
すると、彩奈が面白そうに俺の顔を覗き込んできた。
「あらら、裕也君。ママにチクられちゃうの?」
「うるさい、余計なこと言うな」
「あははっ!まあ、裕也のお母さん難しい人だしね」
担任はそんな俺たちのやり取りを無視して、腕時計に目をやった。
「もうすぐ職員会議だから、今日はここまでだ。続きはまた明日な。明日までに、最低でも進学か就職か、それだけでも決めておけ。いいな?」
「へーい」
担任は俺の雑な返事に顔を顰めたが、そのまま教室を出て行った。残された俺と彩奈は、顔を見合わせた。
「はぁ、解放された……」
「でも明日も居残りなんでしょ?残念だったね、裕也君」
ニヤニヤ笑う彩奈に、俺はゲンナリしながら言った。
「お前はもう帰れよ。俺はもう少し考える」
「えー、私もここにいる!」
「何でだよ。暇にさせちゃうだろ」
「いいのいいの。裕也が悩んでるの見物してるの、楽しいし」
「悪趣味だな」
全く、と俺はまたため息をつく。彩奈は俺の目の前の席に座ったまま、スマホを取り出してゲームを始めた。時折、甲高い効果音が教室に響く。
俺は、再び白紙の進路希望用紙と向き合った。しかし、いくら睨みつけても、そこに文字が浮かび上がることはない。
進学か、就職か。
俺は特にやりたいこともなければ、なりたいものもない。それどころか、未来を生きたいという気持ちもない。
『死ぬのが面倒だから生きている』
本当にそれだけだった。
「……進学って言っても、何を勉強するんだよ。大学行って何になるんだ?」
独り言のように呟くと、彩奈がゲームから視線を上げてこちらを見た。
「裕也、本当に何も考えてないんだね」
「うるさい。考えてもわかんねーんだよ」
若干苛立ちながら答えれば、彩奈は朗らかに笑う。そして、
「じゃあさ、いつまで生きたい?」
その問いはゲームの片手間にしていい物じゃないだろ。
そう思うも、ツッコミは音にならなかった。親のことを言われたからだろうか。若干気持ちが沈んでしまっている。
「…別に、明日死んでも後悔ない」
その答えは思ったよりも軽く響いた。
彩奈の目が見れなくて、そっと下を向く。しかし、次に聞こえたのは笑い声だった。前触れのない笑いに、肩を跳ねさせて驚いてしまった。
「あははっ!えー!ほんと?私と一緒じゃん!!」
嘘でも何でもない。
嬉しくて仕方ないという笑顔の彼女は、素の表情でそこにいた。
「最っ高」
「…彩奈も、死ぬのが面倒だから生きてるのか?」
「ん?んー…それはちょっと違うかな」
立ち上がった彩奈は空を見上げる夕焼けの空は、まるで絵の具を零したような色をしていた。嫌に現実味を帯びない、そんな色。
「私は毎日を精一杯生きてるから。だから、いつ死んでもいいだけ」
「…そうか」
窓枠に背を預けた彼女は楽しげに笑う。
「だからさ、裕也と死ねるなら付き合うよ」
その言葉は、正気の沙汰とは思えない。あまりにも幻想的な雰囲気に吞まれそうになるが、机から落ちたボールペンの音にハッとなった。
「…アホか」
「あー!せっかく人がお誘いしてるのに!」
「死に誘うな」
ボールペンを拾いながら言えば、またケラケラと笑われる。その笑い声が小気味いい。
顔を上げると、そこには待ってましたと言わんばかりの彩奈の顔。あまりの近さに驚き、反射で顔を話そうとしたものの、グッとネクタイを掴まれ、留められた。
「でもね、本気だから。1人で死ぬなんて許さないからね」
「ぇ」
「死ぬなら一緒に死の?」
あまりにも甘美な響きにくらくらする。
しばらくそうしていたが、ふっと顔が離れる。催眠が解けたかのように背凭れに体重をかけしまう。
なんなんだ、今の空気。
「ふふっ、悪戯成功」
そんな風に彩奈は、昔から見てきた彩奈に違いない。自分の頭がおかしくなったのかと呻いてしまう。
「お前さ、そんなこと他の人にもやってんのか?」
「え?そんなこと?」
「……一緒に死のうとか」
そう問えば、急に真顔になる彼女。
「そんなわけないじゃん。裕也だけだよ」
また怖くなる。
居ても立っても居られず、進路希望調査票を鞄に突っ込んで立ち上がる。彩奈を見下ろし、一言。
「帰ろうか」
そう言うと、花が咲いたような笑顔を浮かべられた。
「うん!」
俺が死ぬ時は、きっと1人ではないのだろう。
そんな気がしてしまった。
就職か進学かすら決まっていない俺に呆れた担任は「後で変えてもいいからとりあえず書いてくれ」という言葉と共に、俺に居残りを命じてきた。解せぬ。
「ったく、こんなん1日2日で決まる訳ないだろ」
1人しかいない教室に、俺の愚痴が響いた。外からは部活動に励む声が聞こえる。
元気なことだ。俺には無理。確実に死ぬ自信がある。
窓の外を見ながらぼーっとしていると、廊下からバタバタと騒がしい足音が聞こえる。姿が見えずとも足音の主が分かってしまい、苦笑を溢した。
「ねーえー!残ってるなら言ってよー!!」
苦情と共に教室の扉を勢いよく開けたのは、幼馴染の彩奈(あやな)。
長い髪を揺らして近づいてきたかと思えば、遠慮なく俺の向かいに座った。他クラスに在籍しているにも関わらず、我が物顔で居座るなよ。まあ、放課後だからいいけどさ。
「よく気づいたな」
「自転車残ってたもん」
「ああ、そういうこと」
家が近いためいつも一緒に帰るが、まさか気づいて引き返してくるとは思っていなかった。小さく謝れば、彩奈は可愛らしく頬を膨らませた。
「で、裕也(ゆうや)君は何で居残りしてるのかな〜?」
ニヤニヤと煽るような口調で、机の上に可哀想なほど放置されている進路希望調査用紙を覗き込まれる。そして、きょとんと首を傾げた。
「……これ、1週間前が提出期限じゃなかった?」
「うるさいうるさい。言うんじゃない」
「えー…。てっきり課題出してなくて、居残りしてるのかと思ったのに」
「なんで残念そうなんだよ。はあ、印鑑が必要だから居残りはないと思ってたんだ」
「先生の方が一枚上手だった訳ね」
ケラケラと笑う彩奈に、ため息を吐きながら紙に目を向ける。名前は書いたものの、それ以下は全く書けていない。
そろそろ書かないと日が沈む。そんなことを考えるも、ペンは動いてくれない。
「大体さ、数日で決まるわけないだろ。進路だぞ?」
「進路希望調査の話自体は、だいぶ前からあったよね?」
「それを言うな。俺の言い訳が無くなるだろ」
「あー」だの「うー」だの唸っていれば、何の前触れもなく教室の扉が開く。2人で視線を向けると、そこには俺をここに監禁した張本人である担任が立っていた。
「斎藤〜、書き終わったか?」
「終わりました」
当然のように白紙の紙を渡せば、怪訝な顔をされる。
「白紙じゃないか」
「何言ってるんですか、先生。これは『心の綺麗な人には文字が見える不思議なペン』で書いたんですよ」
「んじゃ、校長先生が読めないからやり直し」
「うっわ!この人、校長ディスった!!」
「人聞きの悪いことを言うな」
俺の屁理屈をサラリとかわした担任に、俺は渋々白旗を上げた。
「……すんません、まだです」
そう言うと、担任はこれ見よがしに大きなため息をついた。
「はあ……斎藤。いい加減、自分の将来について真剣に考えろ。このままだと、お前の親御さんに連絡することになるぞ」
「親に連絡」という言葉に、俺は思わずビクリと肩を震わせた。
それは最終兵器だ。うちの親は、俺が将来についていい加減な態度を取ることを何よりも嫌う。ぐちぐち言われるのは勘弁願いたい。
すると、彩奈が面白そうに俺の顔を覗き込んできた。
「あらら、裕也君。ママにチクられちゃうの?」
「うるさい、余計なこと言うな」
「あははっ!まあ、裕也のお母さん難しい人だしね」
担任はそんな俺たちのやり取りを無視して、腕時計に目をやった。
「もうすぐ職員会議だから、今日はここまでだ。続きはまた明日な。明日までに、最低でも進学か就職か、それだけでも決めておけ。いいな?」
「へーい」
担任は俺の雑な返事に顔を顰めたが、そのまま教室を出て行った。残された俺と彩奈は、顔を見合わせた。
「はぁ、解放された……」
「でも明日も居残りなんでしょ?残念だったね、裕也君」
ニヤニヤ笑う彩奈に、俺はゲンナリしながら言った。
「お前はもう帰れよ。俺はもう少し考える」
「えー、私もここにいる!」
「何でだよ。暇にさせちゃうだろ」
「いいのいいの。裕也が悩んでるの見物してるの、楽しいし」
「悪趣味だな」
全く、と俺はまたため息をつく。彩奈は俺の目の前の席に座ったまま、スマホを取り出してゲームを始めた。時折、甲高い効果音が教室に響く。
俺は、再び白紙の進路希望用紙と向き合った。しかし、いくら睨みつけても、そこに文字が浮かび上がることはない。
進学か、就職か。
俺は特にやりたいこともなければ、なりたいものもない。それどころか、未来を生きたいという気持ちもない。
『死ぬのが面倒だから生きている』
本当にそれだけだった。
「……進学って言っても、何を勉強するんだよ。大学行って何になるんだ?」
独り言のように呟くと、彩奈がゲームから視線を上げてこちらを見た。
「裕也、本当に何も考えてないんだね」
「うるさい。考えてもわかんねーんだよ」
若干苛立ちながら答えれば、彩奈は朗らかに笑う。そして、
「じゃあさ、いつまで生きたい?」
その問いはゲームの片手間にしていい物じゃないだろ。
そう思うも、ツッコミは音にならなかった。親のことを言われたからだろうか。若干気持ちが沈んでしまっている。
「…別に、明日死んでも後悔ない」
その答えは思ったよりも軽く響いた。
彩奈の目が見れなくて、そっと下を向く。しかし、次に聞こえたのは笑い声だった。前触れのない笑いに、肩を跳ねさせて驚いてしまった。
「あははっ!えー!ほんと?私と一緒じゃん!!」
嘘でも何でもない。
嬉しくて仕方ないという笑顔の彼女は、素の表情でそこにいた。
「最っ高」
「…彩奈も、死ぬのが面倒だから生きてるのか?」
「ん?んー…それはちょっと違うかな」
立ち上がった彩奈は空を見上げる夕焼けの空は、まるで絵の具を零したような色をしていた。嫌に現実味を帯びない、そんな色。
「私は毎日を精一杯生きてるから。だから、いつ死んでもいいだけ」
「…そうか」
窓枠に背を預けた彼女は楽しげに笑う。
「だからさ、裕也と死ねるなら付き合うよ」
その言葉は、正気の沙汰とは思えない。あまりにも幻想的な雰囲気に吞まれそうになるが、机から落ちたボールペンの音にハッとなった。
「…アホか」
「あー!せっかく人がお誘いしてるのに!」
「死に誘うな」
ボールペンを拾いながら言えば、またケラケラと笑われる。その笑い声が小気味いい。
顔を上げると、そこには待ってましたと言わんばかりの彩奈の顔。あまりの近さに驚き、反射で顔を話そうとしたものの、グッとネクタイを掴まれ、留められた。
「でもね、本気だから。1人で死ぬなんて許さないからね」
「ぇ」
「死ぬなら一緒に死の?」
あまりにも甘美な響きにくらくらする。
しばらくそうしていたが、ふっと顔が離れる。催眠が解けたかのように背凭れに体重をかけしまう。
なんなんだ、今の空気。
「ふふっ、悪戯成功」
そんな風に彩奈は、昔から見てきた彩奈に違いない。自分の頭がおかしくなったのかと呻いてしまう。
「お前さ、そんなこと他の人にもやってんのか?」
「え?そんなこと?」
「……一緒に死のうとか」
そう問えば、急に真顔になる彼女。
「そんなわけないじゃん。裕也だけだよ」
また怖くなる。
居ても立っても居られず、進路希望調査票を鞄に突っ込んで立ち上がる。彩奈を見下ろし、一言。
「帰ろうか」
そう言うと、花が咲いたような笑顔を浮かべられた。
「うん!」
俺が死ぬ時は、きっと1人ではないのだろう。
そんな気がしてしまった。



