灯を継ぐ人0【本編】

2 過ぎ行く先の行方
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 ついでだからとレポートの確認を最後までリビングで終わらせた俺。
 自室に戻る前にそっと少年が身を隠した部屋の様子を廊下で窺ってみたが、息遣いどころか物音は衣擦れさえも聞こえなかった。
 せめて眠れていれば良いんだが……などと思いながら自分もベッドに潜り込む。
 明日はまた朝から夕方までしっかり講義の予定が組まれている。寝不足は大敵だ。
 それでも何かあればすぐ気付けるように、と。
 俺は自室の扉をほんの少しだけ開けたまま眠りに就いた。
 起床は六時。普段通りに目を覚ました俺はスウェット姿のまま廊下に出る。
 向かいの部屋はやっぱり静か。
 もう起きてリビングに居るだろうかという予想は当たらない。
 まぁまだ早い時間だ。少年が寝ていようが起きていようが、声を掛ける必然性はない。
 リビングに出て、カーテンを開ける。
 射し込む朝陽は明るく、今日の天気は穏やかそうだ。
 鍋に残った雑炊は大人の一人前には満たない。
 これはあの少年の朝飯にするか、と器によそってラップを掛ける。
 それから自分と父さん用に白米を研いで炊飯器へセットする。
 普段夜勤明けの父さんは朝飯を俺に要求しないが、この朝は寝ている間に『朝飯頼んだ』というメールが入っていたから、用意するのは二人分。
 味噌汁用の湯を鍋に沸かしながら、雑炊の鍋を洗ってしまう。
 朝飯を担当するようになってからもう何年か。
 いつ一人暮らしを始めても困らない程度の自炊力は身に付いた。
 味噌汁を作るのと並行して塩鮭を魚焼き器に入れて焼けば、朝飯の準備はほぼ終わり。
 七時を幾らか手前にした頃、玄関から新聞受けの新聞を抜く音と鍵が回る音がした。
 迷いなくリビングに入ってきた足音の主は勿論父さん。
「お帰り」
「あぁ、ただいま」
 父さんの部屋はリビングと引き戸で繋がっている。
 父さんが荷物を置いてジャケットを脱いでいる間に俺も一度自室に引っ込んで着替えてしまう。
 再びリビングに戻れば、父さんはダイニングテーブルで朝刊を広げていた。
「飯、もう食う?」
「お前が食うなら」
「なら用意する」
 サッと朝食をダイニングテーブルに二人分並べ、父さんと向かい合って座る。
「アイツは、まだ起きてきてないのか?」
 箸を握った瞬間父さんから問われ、部屋には居るっぽいけど寝てんのか起きてんのかは知らんと返して味噌汁を啜る。
「ん……で? 父さん。警察には?」
「寄ったさ。今のところそれらしき捜索願は出ていないようだ」
「ならどーすんだよ」
「暫く面倒を見る。流石に子供を外に放れないだろう」
「そりゃ、そうだけど……いつまで」
「さぁな」
「さぁな……って、」
 白米を口に運んで肩を竦める。
 つまり、先のことは無計画……ということか。
「一応、ウチで保護しているとは伝えてきた。顔見知りの警官にな」
「……っそ」
 父さんは無駄に顔が広い。殊、職場近くの警察には特に。
「安心しろ、今日はもう出掛ける予定はない」
「俺、五限まである」
「夕飯は俺が用意してやる」
「ん、頼んだ。俺も今日は講義終わったら真っ直ぐ帰るようにする」
 その台詞は極々自然に本心として口から出たものだったけれど……後々考えてみたら、どうしてこの時の俺はこんなにも協力的な台詞を無意識に発したのだろうかと疑問符が浮かんだ。
 朝食を食い終え、後片付けを父さんに任せた俺はそのまま身支度の続きをして家を出た。
 ノートパソコンを入れたカバンが重たい。
 駅までの道程を歩きながら、あぁそうだと財布の中身をチラリと覗く。
 父さんから預かっている家計費の幾らかにまだ余裕があることを確認した俺は、真っ直ぐ帰るようにする、と宣言した前言を胸の裡で撤回し、軽く寄り道してから帰宅することを決めた。

 その日帰宅したのは十九時過ぎ。
 父さんに遅かったな、と咎めるでもなく云われた俺は手に持っていた紙袋を見せ付ける。
「あのガキ、いつまでか決まってないなら、必要だろ」
 何を、とは云わずとも紙袋にデカデカとプリントされている店の名前で中身は充分伝わってくれたらしい。
「気が利く息子だな」
「父さんが考えナシ過ぎんだよ」
 わざとらしく呆れた声を出してから、俺はリビングのソファの上で所在なさげにしている少年の目の前にその紙袋を差し出した。
「……?」
「これ、お前の服」
 キョトンとした顔に紙袋の中身を教えてやる。
「ぇ……でも……」
「そのブカブカなスウェットじゃ動きづらいだろ。多分それよりはマシなサイズの服選んできた。あと、お前が今着てるそれ、普通に俺のだから、ないと俺が着替えに困るんだよ」
 ほら、と紙袋を押し付けるも、少年は受け止めるだけで中身を漁ろうとはしない。それが遠慮なのか躊躇いなのかは判別しにくいところ。
 とは云え、これは受け取ってもらわなければ困る。
 少年が着ているスウェットがないと俺が自分の着替えに困るのは事実だし。
 少年に紙袋を抱えさせた俺は、文具を纏めてある抽斗からハサミを取り出し、紙袋を取り返す代わりにハサミを握らせる。
 フローリングの上に座り、紙袋からまず取り出したのはTシャツ。
「ほら、お前のなんだから自分でタグ切れ」
 ずい、とTシャツを突き付けてやれば、少年は数瞬狼狽した様子を見せつつもソファからずり落ちてきて俺の手からTシャツを受け取った。
 慎重な手付きでタグを切る指は、箸の持ち方同様どこかぎこちない。
「切ったヤツは取り敢えずこの辺に置いて……で、次はこれ」
 そんな風にして、部屋着と軽く外にも着て行ける服を一揃え。それに下着と靴下も全部タグを自分で切らせる。
「よし、じゃあ次はそれ全部洗濯機に入れて来い。洗面所にあるの、分かるだろ? 一回洗って、明日干す。どーせ他の洗濯物もあるしな。んで乾いたら、次からは今着てるのじゃなくてその服着ろ」
 ゴミになったタグを集めながら、少年を洗濯機へ誘導すれば、少年は躊躇いつつも立ち上がって俺の指示通りに動いた。
「零司、今月の生活費足りなくなったら云え」
 キッチンのゴミ箱にタグを捨てる俺に、父さんの微苦笑。
「今んとこ大丈夫。足りなくなったら当然請求するわ」
 飄々とした声で返して、それより腹減った、とわざとらしく腹を押さえる。
「もう夕飯は出来てる。並べるからお前は茶の用意しろ。三人分な」
「分かってる」
 云われた通り、麦茶のグラスを三人分テーブルに置いたところで少年がリビングに戻って来た。
 洗濯機に服放り込むだけで何をそんなに時間掛けてたんだ……とは云わずに席に着くようにだけ。
 静かな食卓だったが、温かい食事を囲む空気もまたちゃんと温かかった。