華が君と鮮やかな日々

四章

 そうして秋は過ぎ行き、暦は年末を迎えた。
 いつものように町長さんの手伝いで……特にこの日はここ数年ずっと出来ていなかった大掃除と称して天袋の片付けを任されていたら、古い帳面が一冊出てきた。
 本かと思って捲って見たら日記のようなものだったから、あまり中身を頭に入れないように閉じた。
「町長さん、これ大事なものですか?」
 居間で茶を啜っていた町長さんに帳面を差し出したら、はて、と首を傾げた町長さんが帳面をパラパラと捲って表情を渋らせた。
「一応取っておいてくれ」
「はい」
 それ、日記か何かですか?
 そう聞くのは不躾だと思ったけれど、つい訊いてしまった。
「日記ではないが、ちょっとした記録じゃ」
「記録……」
 何の、とは訊かなかった自分を褒めたい。
 けれどもその答えは町長さんが自ら提示してくれた。
「疲れたろう。少し茶でも飲んで休むと良い」
「あ、ありがとうございます」
 火鉢にかけた薬缶から急須に湯を注ぐ町長さん。
 淹れてもらった茶は出涸らしに近かったけれども文句は云えない。
「お前さんは暫く此処に居るつもりなんじゃろう?」
「えぇ、まあ、居させて頂ける限りはそのつもりです……」
「だとしたら、知っておいても良いかも知れんな」
 何を? と首を傾げたら、町長さんは帳面を捲ってある頁をおれに見せた。
 記されているのは日付と、女性のものと思しき名前、それに……。
「首吊り……?」
「あぁ、その帳面に書いてあるのはとある条件下で死んだ女の名前と死因と死亡日付じゃ」
「とある、条件下?」
「……この町には、女を惑わす木があるんじゃよ」
 女を惑わす、とは?
 更に深く首を傾けるおれに、町長さんは茶を啜ってからふうと息を吐いた。
「同じ木の下で、しかし別々の死因で女が複数人亡くなる、そんな伝説じみた話がこの町には実際あってな。数年に一人程度の頻度ではあったが、いつの時代から続いているのか判らない怪奇事件に終止符を打つ手立てはないのか。そう考えた先代の町長が考えたのが、その木を隔離し人目から遠ざける案じゃった」
 安易な策に思えるかも知れないが、切り倒すには労力と金が掛かり過ぎるもんじゃからな。それは出来なかったんじゃよ。しかしまあ十年も経ちその木の存在を知る者が減っていくにつれて怪奇事件は減っていき、今ではもう二十年程犠牲者は出ていない、と町長さんは悪戯に帳面を捲った。
「その木、って……」
 もしかして、と予測出来たのは、自分が警告に従っていないから。
「何処とは云わんが、町の外れに一本の木を隠してある」
「何の木か、は訊いても……?」
「桜の木じゃ」
「……」
 つまり、女性たちを惑わせ死に至らしめてきていると信じられているのは、桜士郎、ということになるのだろうか。
「それにしても、女性だけ、なんですか?」
「あぁ、不思議なことに、女だけじゃった」
 それ故に女殺しの木だとも云われている、と町長さんは続けた。
「だから、特に女はこの木には近付かせんようにしとるんよ」
「そうなんですか……」
「こういう時こそ男がしっかりせんとなぁ」
 パタンと帳面を閉じて、町長さんは小さく笑った。
「ひと息吐けたら今日は終わりで良いぞ。一気にやろうとすると体を痛めるからな」
「あ、はい。ありがとうございます」
 すっ、と静かに残りの茶を啜って、ではと席を立つ。
 お邪魔しました、と町長さんの家を出たおれは、自然と歩先を桜士郎の元へと向けていた。
 桜士郎は木の枝に座って幹に背を預けていた。
 よく見れば、細い枯れ木を指先で遊んでいる。
「桜士郎」
「……」
 相変わらず非歓迎的な桜士郎を見上げながら、おれも幹に背を預けて腕を組む。
 彼を纏うキラキラは細かい氷の粒を散らしたかのようにも見える。
「なぁ」
「……」
「一人って、寂しくないか?」
「……何だ、急に」
 やっと低い声が落ちてくる。
「桜士郎は、どんだけ一人なの」
「……知らないな」
「たまには誰かと一緒に居たいって思わないの」
「思わない」
 間髪入れない返事に、そっか、とずるずるしゃがみ込む。
「殺すかも知れないから、か?」
 おれがそう云った直後、カラン、と細い枝が落ちてきた。
「どうしてそれを」
「まぁ、ちょっと偶然聞いてしまい」
 視線を上から真正面に変えて膝を抱える。
「桜士郎が女を惑わす、って」
「……女が勝手に惑うだけだ」
 硬い声に、そっか、とまた繰り返す。
「この町は昔視える女が多かった」
 不思議なことに、女だけだったと珍しく自分から話を継ぐ桜士郎。
 だから女殺しの木だと忌み嫌われたな、と自嘲めいた苦笑が落ちてきた。
「今はもう此処に近寄る人間自体が居ないから何とも云えないが……」
 おれを視た男はお前が初めてだ、と云われて初対面の時を思い出す。
 そういえばあの時桜士郎は酷く驚いた顔をしていたような気がする。
「おれなんかに構わない方が良い」
 あぁ、桜士郎がどうしておれを邪険にするのかが漸く納得出来た。
「でもさぁ」
 わざと間延びした声でおれは地面に転がった枝を拾う。
「おれ、女じゃねぇし」
「……」
「桜士郎が女殺しの木なら、おれには関係なくねぇ?」
「……判らない」
「前例がないから?」
「あぁ」
「桜士郎は、おれを殺したくない、ってことか?」
「進んで人殺しになりたい奴なんか居ないだろう」
 それもそうか、と思う。思う、が。
「大丈夫だよ」
 枝で地面を引っ掻きながら笑う。
「おれは変死なんかしない」
「…………」
 根拠などないけれど、そんな気がした。
「おれ、一人は寂しいよ」
 だから花たちと仲良くなるんだ、と続けてからまた桜士郎を見上げる。
「おれ、桜士郎とも仲良くしたい」
「他の花が居るなら、おれに固執する必要はないだろう」
「あるよ、大ありだ」
「どうして」
「桜士郎がどんな花よりも綺麗だから」
 そのとびきりのキラキラの意味が知りたいんだと云ったら、桜士郎は不可解そうにおれを見下ろしてきた。
「変な奴だな」
「花の精が視える時点でもう変だからなぁ」
「……それもそうか」
「いや、そこは否定してよ」
「事実」
「まぁそうなんだけど……」
 肩を竦めて、桜士郎に向かって右腕を伸ばす。
「なぁ、改めて、友達になってよ」
 手を握って開いてしたら、小枝が一本落ちてきた。
「だったらその気にさせてみろ」
 高圧的な、しかし邪気のない声におれはにっと笑って立ち上がった。
 ぱたぱたと砂埃をはたいてから器用に木をよじ登っていく。
「んじゃ取り敢えず物理的な距離から縮めていこうか」
 桜士郎の座っている枝の近くの枝に腰を落とせば、桜士郎はやれやれといった様子で大きな溜息を吐き出した。
「落ちても助けないぞ」
「だろうな」
 くすくすと笑い、それでも良いよと肩を揺らす。
「そんなヘマしないから」
 これでも木登りは得意なんだと嘯いて、おれは口笛を鳴らした。
 それを煩いと咎められなかったのは、ほんの少しでも桜士郎がおれに心を許してくれた証拠な気がした。
 夜に灯りを持って外を出歩くのは目立つ。
 気分的には年越しを桜士郎と迎えたい気持ちだったが、それは流石に止めておいた。
 おれが桜士郎の元へと通っているのがバレたらきっと良い顔はされないだろう。
 だって桜士郎は今『秘密』の存在なのだから。
 だから、いつもなら父さんと「明けましておめでとう」と「今年もよろしく」を云い合う年越しは、大人しく一人で町長さんから貰った蕎麦を食べて日付を越した。