華が君と鮮やかな日々

二章

 それからまた放浪の旅が始まった。
 半年振りなだけなのに、一回前の旅が酷く遠い日のことに思えた。
 新たな放浪の旅で知ったことは、今まで巡っていた土地はどこも母さんの元へすぐに駆け付けられる場所だったということ。 
 その制約がなくなって、父さんは遠い遠い土地へとおれを連れて行くようになった。
 山を越え、海を越え。また様々な土地に赴いた。
 遠くの地にはまだ見たことがない花もたくさんあって、絵の描き甲斐があった。
 十四歳になる頃には写生帳は五冊目に入っていた。
 この町では老齢な町長さんのお手伝いをする代わりに空き家を借りることになった。
 午前中に手伝いを終えて、自由になった時間で町中をふらつく。
 町の端から端まで探索するのが新しい土地へ踏み込んだ時のおれの習慣だった。
 その町の端っこに、鬱蒼と緑が茂る箇所を見付けた。
 他の場所はきちんと整備されていたのに、その一角だけが杜撰に放置されているようだった。
 それが逆におれの好奇心を掻き立てた。
 何か秘密が隠されているのではないかと思って。
 茂みを探りながら、心無し舗装されていたと思われる道を見付ける。
 よし、と緑を掻き分け、おれは緑の向こうに足を踏み入れた。
 歩くこと十分くらいだろうか。
 緑が拓けたと思ったら、胸の高さくらいの柵が目の前に現れた。
 木製の柵はもう随分と古びて見える。
 ふと視線を巡らせたら、褪せた色で『立ち入るべからず』の文字。
「立入禁止区域、か……」
 人間、駄目だと云われると逆に禁忌を犯したくなるのはどうしてか。
 逡巡してから、おれは柵の上部に手を掛けると、体重を一瞬柵に預けてから向こう側へと降り立った。
 パンパンと埃の付いた手を打ち払って、よしと前を向く。
 雑草生い茂る草地に花はない。
 だからキラキラを纏ったヒトも見当たらない。
 どこか期待していた自分が居たから、少し残念な気持ちになる。
 それでも二十分程歩いたら、大木が見えてきた。
 新緑を枝いっぱいに着飾った大木だった。
 少し駆け足で近寄り、葉の形を確認してそれが桜の木だと知る。
 何故こんな隔離された場所に桜の木が?
 幹に触れたら、背後に気配を感じてパッと振り向く。
「わ……」
 思わず零れたのは感嘆の声。
「すっげ、綺麗……」
 そこには艷やかな黒髪と桜色の双眸を持つ青年が立っていた。
 そんな彼が纏うキラキラは今まで見てきた中でも群を抜いて輝かしいものだから、つい感嘆が声に出てしまった。
「視える、のか?」
「え? あ、うん」
「……」
 おれの素直な返事に目をまんまるくしたかと思えば一瞬視線を逸した青年。
 しかしすぐにおれに視線を戻すと、眉間に皺を寄せた。
「こんな所で何をしている」
 低い声は刺々しいけれども耳馴染みが良くて不思議とどこか心地好さを感じた。
「いや、ちょっと探索を……」
 そう云いながらおれは目の前に現れた声の主を見ながらはしゃぎたくなる気持ちをどうにか抑えた。
 だって、本当に綺麗なんだ。
 キラキラが弾けて見えて、本人の周囲が発光して見える。
 そのヒトはきっとこの桜の精に違いない。
 けれどもひとつ不思議なのは、桜の精は普通桜色の髪色だ。黒髪の桜の精は初めて見た。
 それにしてもとびきり綺麗な光を纏う彼を茫然と見詰めていたら、くいと顎をしゃくった彼。
「柵があっただろう」
「ん、あぁ」
「立て看板を見なかったのか?」
「立入禁止の?」
「見ているなら何故此処まで入って来た」
 いやぁだから好奇心からの探索をだな……。
 そう弁明したら、彼は少し長めの髪を掻き上げながら憮然と云い放った。
「帰れ」
「え?」
「今すぐ帰れと云っている」
「どうして」
「どうしてもだ」
 頑なな青年の意志表示に、おれはおれで負けない。
「嫌だ」
「……何故」
「おれ、アンタと友達になりたいって今思ったから」
「友達……?」
「そう」
 頷いたら、青年はいっそ忌々しげに舌を打った。
「おれには必要ない」
「おれには必要なの」
 両者引かない姿勢。
「それに、おれアンタのこと描きたいって思った」
「かきたい?」
「そう。絵に描きたいって」
 その為にはアンタと仲良くなって此処に通わせてもらえないと困るんだと述べれば、青年はきっぱりと拒絶を示した。
「人間と慣れ合うつもりはない」
「えー、そこを何とかさー!」
 友達になりたいと思ったのは嘘ではない。
 絵に描きたい、と思ったのも嘘ではない。
 おれはこの奇跡的なキラキラを有するヒトと縁を繋ぐことが出来なかったら一生後悔しそうだ。
「判った」
 何が判ったんだ、とばかりの怪訝な顔に、パッと笑顔を咲かせる。
「アンタが嫌でもおれ通うわ」
「ヒトの話を……」
「決めたから。よろしく」
 そう云って右手を差し出したけれど、その手を握り返されることはなかった。
 じゃあ取り敢えず今日は挨拶だけで、と踵を返したおれ。
 不機嫌そうな彼の表情が脳裡に張り付いてしまっている。
「あんなキラッキラしたヒト初めて見たけど……」
 同時にあそこまで非友好的なヒトも初めてだなと思った。
「んー、でもとにかく綺麗だった! あのヒトは絶対描きたい!」
 きっと傑作が描けるに違いない。根拠のない自信がおれの胸の中で去来した。
 町の外れにある囲いには殆ど人が近寄らないのだそうだ。否、近寄ってはいけないらしい。
 これは父さんから聞いた話。
 郷に入っては郷に従え、が我が親子の鉄則だが、今回ばかりはちょっと従えない。
 父さんだって、彼処に見事な桜の木があると知ればきっと行きたがるだろうけれど、おれはどうしてかあの桜を、あの青年を独り占めしたくて囲いの中に入ってしまったことは裡に秘めた。
 それに、既に囲いの中に入ってしまったことが知れたらそもそも怒られるに違いない。
 親子間の関係を良好に保つ為には時には嘘も必要だ……なんて云うのはおれの暴論だが。
 今回は桜の木とは真反対の町外れに空き家があったから、そこを借りた。
 借りる条件は町長老夫婦の家の掃除や買い物だけだったから、午前中で仕事は片付いてしまう。
 つまり、午後は日暮れまで自由時間となるのだ。
 絵を描くようになってからは朝晩の飯の時間以外、父さんとは常に別行動だった。
 だから心置きなく桜の木に通うことが出来た。
 緑を掻き分け、柵を越えて。
 桜の大木の下まで行けば、青年の桜色の双眸がおれを邪険に射抜いてきた。
「もう来るなと云っただろう」
「友達になって欲しいって云ったろ」
 あと、絵を描きたい、って、と。脇に抱えていた写生帳と水彩道具を胸の高さに広げる。
 早速木の全体像が見えるくらいまで後ろに歩んで草地に腰を落とした。
 写生帳を開き、芯の柔らかい鉛筆で薄く下描きをしていく。
「本当に居座る気か」
 とびきり嫌そうな声音とは裏腹に明るく頷いて、鉛筆の先を青年に向ける。
「ねぇ、名前何ていうの」
「名乗る名前はない」
「おれは喬臣」
「聞いていない」
「おれは名乗ったんだから教えてよ」
「勝手に教えてきただけだろう」
 意地でも教えないつもりか? 片頬を膨らませながら、じゃあと鉛筆をくるりと回す。
「教えてくんないなら勝手に呼ぶよ」
 さっくんとかどう? 桜のさを取ってさっくん。
 可愛くない? からからと笑ったら、変な渾名を付けるなと叱られる。
「だって教えてくんないじゃん。アンタ、じゃ味気ないし」
「味気も何も要らん」
「ねぇ、何でそんな排他的なの」
「人間と関わりたくない」
「どうして」
「どうしてもだ」
「頑固者」
「煩い」
 無碍にされて、ちぇ、と舌先を噛む。
 まぁ、急いては事を仕損じる、とも云うし。
 仲を深めていくのはゆっくりいこうじゃないか。
 その日、おれは以降何も云わずに写生に励んだ。
 翌日も、その翌日も。
 ひたすらおれは柵を越えては桜の青年に会いに行った。
 何度見ても目に眩しい程のキラキラを放つ彼。
 どうしてこんなに綺麗に見えるのか、判る日はくるのだろうか。
「ねぇ、そろそろ名前くらい教えてくれても良くない?」
 半月が経って、写生帳の桜に色を乗せながら問う。
「何でそんなに名前が必要なんだ」
「絵の横に名前入れたいから」
「は?」
 不理解を示す彼に、別の頁を見せてやる。
「ほら、個人名、入れてんだ」
 描いた花の隅には自分の名前と花の個人名を添えるのがおれの遣り方。
「アンタのこと描き終わったら名前入れないと」
 そうしないとおれの絵は完成しないんだ、と主張する。
「おれが描いてるのは単なる花じゃない。メインはアンタたち、花の精なんだよ」
 名前を記すことは例え妄想の一部だと云われようとも、個体を描いていることには変わりないから、その個人名を記したいんだと続ける。
「そうすることで、同じ花でも違う奴を描いた証にもなる」
 おれの説得に納得がいったのかどうかは判らないけれど。青年は煩わしそうにおれを見下ろしながら、ぼやくように呟いた。
「おうしろう」
「おーしろー?」
「名前だ」
 切り捨てるように云われて、おれの顔色は明るくなる。
「おーしろー! 字は? どうやって書く?」
 鉛筆と、写生帳の白紙部分を差し出すと、おうしろうは静かにおれから鉛筆を取り上げると、几帳面な字で『桜士郎』と記した。
「桜に士郎、侍みたいで格好良いな」
「名前に格好良いも何もないだろう」
「あるよ、あるある。桜士郎、改めてよろしく」
 にこりと笑ったら、すいと視線を逸らされた。
 ふむ、仲良くなるまでには大分時間が掛かりそうだ。
「でーきた、っと!」
 一ヶ月経って、おれの一枚目の桜士郎画が出来上がった。
 新緑が鮮やかな木と、その根元にキラキラを意識した桜士郎を。
「……やっと終わったのか?」
 上から閉じた写生帳を覗き込まれて、お、と桜士郎を見上げる。
「興味ある?」
「……ただやっと終わったのかと思っただけだ」
「それっておれに興味持ってくれたってことだよな?」
「都合良く解釈するな」
「するよ。だって仲良くなりたいから」
「……何故仲良くなることに拘るんだ」
 溜息混じりの問いに、えー、と唸る。
「友達居ないから」
「嘘だろう」
「嘘じゃねえよ」
 ここで嘘吐いても意味なくね?
 苦笑で肩を竦めたら、まぁ、と微かな相槌。
「おれさー、昔からあっちこっち父さんに連れてかれてたから、人間の友達っていう友達居ないんだよ」
 その場その場で花たちが友達だった感じ。
 そう正直に云えば、少々憐れむような目で見下された。
「しかしおれに固執する必要はないだろう」
 それこそ町にはもっと気の明るい花がたくさん居るだろうと云われて、それはそうだけどと腕を組む。
「何でかなー。桜士郎と絶対仲良くなりたいって本能が訴えてる」
「人間は面倒臭いな」
「面倒臭いって云うなよ」
 一瞬だけむくれて、でもすぐに笑顔を浮かべる。
「多分一目惚れ、だな」
「は?」
「他の誰よりキラキラして視えたからさ」
「……」
 おれの台詞に、桜士郎はどうしてか渋い顔をした。
「もう描き終わったのなら来る必要もないだろう」
「え、もっと描きたいけど」
「邪魔だ」
「何の邪魔もしてないじゃん」
「存在が邪魔だ」
「うっわ、ひどっ」
 大袈裟な反応をして見せれば、桜士郎は鬱陶しげにおれの腕を引いて立たせると、背を押してきた。
「もう来るな」
「来るよ」
「相手にしない」
「それでも良いよ」
 何故おれはこんなにも桜士郎に執着するんだろう、とはこの時は深く考えなかった。