時が止まるまで、君と

「あ。皐月君、一緒に帰ろ」
 逸る気持ちで帰ろうとしていたところへ、瀬川に遭遇してしまった。
 待ち伏せしていたのかもしれない。
 俺は不快感をあらわにしながら、無視して靴を履きかえ、通り過ぎようとする。
「待てよ」
「っつ……」
 腕を強い力で掴まれて顔を歪めたが、瀬川は離す気がないようで、そのまま強引に向き合わされた。
「な、に?痛いから、はなし……」
「皐月君、忠告しておくよ。あまり死者に入れ込みすぎると、戻れなくなるからな」
「戻れなく?」
「死者はこの世への未練の塊だ。皐月君はその感情に引き寄せられて、自分の感情だと思い込むようになる。だから、悪いことは言わない。戻れるうちに……」
 強い眼差しはいつもと違い、真剣な光を纏(まと)っていた。
 何と返せばいいか悩んでいるうちに、瀬川は俺の背後を見て、目を見開いた。
「瀬川く……」
 どうしたのか呼びかけようとした瞬間、瀬川の体に透明な何かが吸い込まれるのが分かった。
「えっ、何今の」
 驚き、困惑するうちに瀬川の体から力が抜け、がくっとその場に膝をついた。
「瀬川君!大丈夫?」
 苦手な相手だが、流石に放っておくわけにはいかないと近づいた時、俺はよく知った匂いを嗅いだ。
「この、匂い……」
 線香の中に混じった、柑橘系の匂いは、隆平がよく使っていたボディーソープのものだった。
「隆平?いるのか?」
 周りを見回すが、その姿はどこにもない。
 俺は首を捻り、瀬川を立たせようと手を差し出す。
「瀬川君、立てる?」
「……」
 瀬川はこくりと頷き、俺の手を取るとふらりと立ち上がる。
「ああ、良かった。特に問題ないみたいだね。俺は帰るから」
 様子がおかしい気もしたが、それよりも早く帰らないといけない。隆平が待っている。
 だが、手を離して背を向けようとした時、離すまいと縋(すが)りつかれるようにぎゅっと手を握られた。
「瀬川君、離して」
「……」
 瀬川は黙ったまま、俺をじっと見た。
 俺はいつもと違う瀬川の視線にドキリとする。
 いつものおちゃらけた感じが消え、こちらを真っ直ぐに見つめる視線は何というか。
「せが……」
「皐月、帰ろう」
 瀬川は距離が近く、初めから下の名前で呼んできていたが、呼び捨てをされたことはない。
 違和感が生まれたが、有無を言わせない力なのに優しい手つきで引っ張られて、俺は逆らう気を失くした。
「瀬川君、引っ張らなくてもついて行くよ。人、見てるし」
 実際は男子高校生二人のことなど誰もろくに見ていなかったけれど、触れてくる手がやけに恥ずかしかった。
 俺、なんか変だ。
 あの瀬川に触れられたところで、嫌悪感を抱きこそすれ、こんな妙な動揺は抱いたことはない。
 そんな俺の気持ちを知っているかのように、瀬川は俺の腕を辿って手を繋いできた。
「っ……」
 ただ繋がれただけだというのに、妙に背中がぞわぞわとする。
「瀬川く……」
「皐月」
 瀬川に名前を呼ばれた途端、頬にぽつりと水滴が当たった。
「えっ、嘘。雨とか言ってなかったのに」
「傘、傘!」
「走ろう」
 周囲が突然降り出した雨に慌てる中で、俺と瀬川だけ立ち止まったままゆっくりと上空を見上げる。
 天気雨。
 太陽が出て明るいのに、雨がさらさらと降っている。
「隆平……」
 知らず、名前を口ずさんだ。
「皐月、俺はここだよ」
「え……」
 確かに瀬川の声に呼ばれ、驚いてそちらを向けば、瀬川なのに瀬川ではない優しい笑みが浮かんでいた。
「りゅう……へい?」
 呆然と呟けば、頷き返される。
「なんで……」
「さっき、ムカついていたらいつの間にか取り憑いてしまってた」
「ムカついたって、何を?」
 隆平はそれには答えず、空を見上げて雨粒を目いっぱい浴びながら笑う。
「ああ、久しぶりだなこの感覚。戻り方も分からないし、しばらく借りていようかな」
「それはまずいんじゃない?」
「ああ、家なら何となく分かるから、問題ないよ」
「そういう問題じゃ……」
 呆れる俺に、隆平はふっと真剣な目つきになってまたじっと見てきた。
「何?」
「いや。皐月、さっき照れてなかった?もしかして、瀬川が好き?」
「そんなわけない。誰があんなやつ」
 即座に否定すれば、隆平はなぜか喜色を浮かべた。
「何?」
「いいや。じゃあ、俺は瀬川の家に帰る」
「本気で瀬川のまま過ごすわけ?」
「心配しなくても、満月の日は戻るようにする。何としてでも」
「そういう問題じゃ……」
 引き止めようとするも、隆平はひらりと手を挙げて立ち去っていく。
 俺は眉間を押さえて深く息をついた。