それは、春の匂いがまだ寒気を孕んだまま、鴨川の水面をゆらゆらと撫でていた頃のことである。わたしは例によって、将来に対する何の展望も持たぬまま、下宿の四畳半で湯気の立たぬ安茶を啜り、「このままではいかん」と三日に一度は決意し、四日目には忘却するという高尚な営みを繰り返していた。
 かくなる上は恋でもしてみようではないか、と私は思い立った。恋というものは、往々にして人間を成長させると世間は言う。もしそれが真実なら、私はいまや赤子のような精神状態であるから、一度や二度の恋愛では足りぬかもしれぬ。とはいえ、まずは手近な一例から始めるのが賢明であろう。
 問題は、相手である。
 わたしの通う大学――すなわち、古色蒼然たる学問の府たる**京都大学**――には、知性と奇矯が奇妙に同居する人種が跋扈しているが、そのなかにあって、ひときわ静かな光を放つ存在があった。彼女は文学部の二回生で、名を芦野すみれという。
 彼女が初めてわたしの視界に現れたのは、百万遍の交差点を渡る夕暮れであった。西日に照らされ、彼女の横顔はまるで水面に落ちた銀貨のように儚く、しかし確かな輝きを宿していた。わたしはその瞬間、あろうことか手にしていた焼き芋を落とし、鳩に奪われるという痛恨の失態を演じたのであるが、それもまた運命の前触れだったのかもしれぬ。
 以来、わたしは彼女を遠巻きに観察する日々を送った。図書館の窓辺で本を読む姿、賀茂大橋を渡る背中、古書店で背表紙を撫でる指先。そのいずれもが、わたしの貧弱なる心臓に過剰な鼓動を強いる。かくして、わたしの四畳半は突如として甘酸っぱい妄想の温床と化した。
 とはいえ、彼女に声をかける勇気など、わたしの辞書には存在しない。友人の樋口は言った。
「おまえはまず、己の存在を彼女の現実に刻みつけるべきだ。偶然を装い、必然を演出せよ」
 さも名参謀のごとき助言であるが、具体性には欠ける。偶然を演出するなど、神の領分ではないか。わたしは憤然として鴨川の河原を歩き、石を蹴り、そして決意した。
 ――告白しよう。
 その決意は、春嵐のように唐突で、そして脆弱であった。翌日、わたしは彼女がよく訪れる喫茶店へと向かった。古びた木の扉を押すと、鈴の音が鳴り、珈琲の香りが鼻腔をくすぐる。彼女は窓際に座り、文庫本を開いていた。
 世界が静止した。
 わたしは覚束ぬ足取りで近づき、声を絞り出した。
「芦野さん、あの……いつも、ここで本を読んでおられますね」
 言ってから己の愚かさに気づく。そんなことは見ればわかる。彼女は顔を上げ、わずかに目を見開いたあと、ふっと笑った。
「ええ、静かで好きなんです。あなたも、よくいらっしゃいますよね」
 その一言で、わたしの心臓は革命を起こした。彼女は、わたしを認識していたのである。わたしという存在は、透明な幽霊ではなかったのだ。
 それから、ぎこちない会話が始まった。本のこと、講義のこと、鴨川の鷺のこと。言葉は途切れがちで、沈黙は重たく、それでも不思議と心地よかった。彼女の声は、春の水のように柔らかく、わたしの内部に溜まった澱を少しずつ洗い流していく。
 帰り際、彼女は言った。
「また、お話ししましょう」
 その約束は、恋の芽であった。
 わたしは四畳半へと駆け戻り、天井を仰いで思った。恋とは、かくも世界の色彩を変えるものか。昨日まで灰色だった空が、いまや薄紅を帯びている。鴨川の流れは祝福のごとく輝き、百万遍の雑踏すら祝祭に思える。
 だが同時に、恐れも芽生える。
 ありもしない光景が脳裏に浮かぶ。春の午後、彼女がわたしではない誰かと並んで歩いている。背の高い男が、何気なく彼女の手から本を受け取り、笑いかける。彼女もまた、いまわたしに向けたのと同じ柔らかな微笑を返す。二人の影は賀茂大橋の上で重なり、夕日に溶ける。
その幻は、あまりに鮮明で、わたしの胸は軋む。
彼女を想うほど、失うことが怖くなる。恋は甘美であると同時に、残酷な刃を秘めているのだ。
 それでも、わたしは進むほかない。四畳半の王として停滞するか、恋の荒野に踏み出すか。答えは明白である。
 春の夜、鴨川のほとりで、わたしは彼女に想いを告げるだろう。たとえその先に待つものが歓喜であれ、失恋であれ、この胸の高鳴りこそが、わたしを生きた人間たらしめるのだから。
 嗚呼、恋よ。願わくは、もうしばらくのあいだ、この愚かな学生の四畳半を、甘やかな混沌で満たしておくれ。
 私は毛布と布団の間に挟まれ、脚をばたつかせながら眠るのであった。

 幾度となく、これはまったくの偶然であるという顔をして彼女の傍らに現れ、あくまで天の配剤に導かれたかのように言葉を交わしているうちに、気がつけば世界はすっかり様変わりしていた。ついこのあいだまで浮かれた桃色の空気をあたり一面に振りまいていた春の気配は、どこぞへ雲隠れし、かわりに底意地の悪い北風が洛中洛外を我が物顔で闊歩する、凍てつく冬の季節が到来していたのである。
思えばあの桃色の日々も、私のささやかな策略と小心な祈念とが絶妙に絡み合った、いわば自作自演の奇跡であったのかもしれぬ。しかし季節というものは、恋慕の成否などには一向に頓着せず、ただ律儀に巡る。かくして私は、凍える空の下で白い息を吐きつつ、次なる“偶然”の機会を虎視眈々と狙うのであった。

もっとも、その“次なる偶然”とやらが、そうやすやすと天より降ってくるはずもない。冬というやつは、人の恋路を応援するどころか、むしろ鼻先でせせら笑い、手袋の片方をなくさせ、待ち合わせの十分前に急な腹痛をもよおさせるなど、実に陰湿な妨害工作を平然と仕掛けてくるのである。
それでも私は懲りなかった。講義棟の渡り廊下、書架のあいだ、購買部の湯気立つ肉まん売り場――彼女が現れそうな地点を地図に赤丸で記し、まるで都の守りを固める軍師のごとき心持ちで布陣を敷いた。無論、それらはすべて「たまたま通りかかった」体裁を保つための周到なる計画であり、私の内面では小太鼓が鳴り、狼煙が上がり、実に騒々しい有様であった。
ある日、粉雪がちらつく夕暮れどき、私は例によって図書館前の石段にて、いかにも思索に耽っている風情を装っていた。実際のところは、耳は通りの足音を一つ残らず拾い、視線はガラス戸の反射を利用して背後を監視するという、探偵顔負けの緊張状態にあったのだが、そんなことはおくびにも出さぬ。
やがて彼女が現れた。白いマフラーに頬をうずめ、両手をこすり合わせながら、小さく息を弾ませている。その姿を認めた瞬間、私の胸中では除夜の鐘が百八つどころか千八つは鳴り響いたが、外見上はあくまで「おや、奇遇ですね」という顔を崩さない。
「寒いですね」
などと、いささか間の抜けた第一声を放った自分を、私は内心で三度ほど叱責した。しかし彼女はくすりと笑い、「本当に」と言って、白い息をふわりと空へ逃がした。その白さは、かつて辺りを染めた桃色とは似ても似つかぬ色合いであったが、私にはそれが、冬の空にひっそり灯った小さな提灯のように思われたのである。
そのとき私は、ようやく悟った。偶然を装うことに汲々とするよりも、この凍てつく季節をともに笑うことのほうが、よほど確かな奇跡ではあるまいか、と。
とはいえ、かような達観が長続きするほど私は出来た人間ではない。翌日にはまた、新たなる“自然な遭遇経路”を緻密に計算しはじめるのだから、まこと人の恋路というものは、往生際が悪く、そしてどこまでも滑稽なのである。


それからというもの、私は冬の北風に向かって単騎突撃を繰り返すのをひとまずやめ、より大局的な戦略へと舵を切った。すなわち――小説会を開くのである。
恋のために文学を利用するとは何事か、と憤る向きもあろう。しかし誤解してはならぬ。私はあくまで文学の高邁なる精神に身を捧げ、その副産物として彼女と自然に語らう機会が生じれば望外の喜び、という極めて純粋無垢な動機から発案したのである。少なくとも表向きは。
かくして私は、講義棟の掲示板の片隅に、慎ましやかながらもどこか妖気を帯びた筆致で「第一回・黄昏小説会 参加者求む」と書き記した。開催場所は古びた喫茶店の二階、時間は夕刻、持参するものは“心を震わせた一冊”。この曖昧さこそが肝要である。人は具体的すぎるものよりも、漠然とした響きにこそ弱いのだ。
当日、集まったのは五名。文学青年然とした者、やたらと分厚い海外小説を抱えた者、そして――白いマフラーを巻いた彼女も、その中にいた。
私は内心で万歳三唱を行いつつ、外見上は司会者としての沈着冷静を保った。
「本日はお寒い中、ようこそ」
などと、いかにも文化人らしい口上を述べる。実際には膝が小刻みに震え、持参した文庫本のページを危うく逆さに開きかける始末であったが、誰もそこまで注意を払う者はいない。文学の名のもとに人は案外、寛容になるのである。
順番に、各々が“心を震わせた一冊”を紹介してゆく。ある者は壮大な冒険譚を語り、ある者は失恋の痛みを滔々と述べた。やがて彼女の番が来る。
彼女は少し考え、「冬の話が好きなんです」と前置きしてから、静かな声で物語の一節を語りはじめた。その声は、窓の外で降りはじめた雪と奇妙に調和し、狭い喫茶店の二階を、柔らかな静寂で満たしていった。
私は、その声を聞きながら、ふと気づく。偶然を装って廊下に立つよりも、こうして同じ物語を囲むほうが、よほど自然で、よほど近い。
やがて会は和やかに終わり、店を出ると、町は白く染まりつつあった。参加者たちはそれぞれの方向へ散ってゆく。私は、いかにも“たまたま帰る方向が同じ”という顔をして、彼女の隣に並んだ。