席についた秋羅は、辺りをぐるりと見回しながら、ワァ、と小さく声を上げた。
手のひらサイズから抱きしめられる特大サイズまでの、大小さまざまなぬいぐるみが所狭しと置かれて、可愛らしい飾りで装飾された店内。流れている音楽まで可愛らしい。
刹に連れてこられたのがこの、今まで一度も来たことのないタイプのファンシーな空間だったのだ。当然客は女性が多く、店員も女性ばかりだ。
多少なり気後れする秋羅をよそに、向かい側に座った刹は平然と言った。
「今日のチケット無駄にならなくてよかったよ。さんきゅ」
「むしろ僕が来て大丈夫? かなり場違いじゃない?」
「別に大丈夫じゃね?」
本当は影谷と来るつもりだったんだけどさ、と刹は続けた。
もう一度周りを見る。やはり女性客ばかりだ。時々恋人同士っぽい男女のペアもいるが、八割以上が女性なのは違いない。
「影谷くん? は残念がってるんじゃ……?」
「アイツも付き合いで来てくれる予定だっただけだから。別に大丈夫だと思う」
「そっか。ちなみに、このキャラクターって」
何、と尋ねようとすると、スッとメニュー表が差し出された。彼の指がさしている文字を追う。『POWAN!』と書いてある。その横のキャラクターをよくよく見れば、刹のキャンバストートについているぬいぐるみと同じであった。
「これが『ぽわん』で、こっちが『どろん』。結構有名なんだけど知らない?」
白いおばけと黒いおばけを指差して教えてくれるが、生憎どちらも知らなかった。首を横に振れば、そっか、とほんの少しだけ残念そうに言った刹が、この店のことを教えてくれた。
聞くところによると、期間限定のコラボカフェらしい。
新が好きなゲームもよくそういうのやってたなぁ、と思う。そういうのに付き合ってあげたいのは山々だったが、自分の不幸体質を考えると一緒にいかないほうが良い、と判断することが多かった。
過去に一度だけ一緒に行ったコラボカフェでは、品切れが続出した挙句コラボした料理を食べられず、コラボグッズだけを買って帰ったのだ。一説によると、運営にも問題があったらしいが。
それ以来、新も一応誘ってはくれるものの断るのを知っているのか、だよな、という反応が返ってくるようになった。なんとも悲しいことである。
いやちょっと待てよ、と思う。
僕と一緒に此処に来るのはどう考えてもヤバいのでは。また料理が出てこなくなるなんてアクシデントがあるかもしれない。いや待て。それが起こった方がかえって説明しやすくなるかもしれない。加美山には悪いけど、とりあえずこのことは黙っていよう。
「薮口は?」
「へっ?」
そう決めたのと同時だった。
刹に声をかけられて、間抜けな声が返る。刹は気にした様子もなく、とん、と机に広がっていたメニュー表を指差した。一度顔を上げると、刹の近くに定員が立っている。考え事をしてるうちに彼が呼んでくれたのだろう。
「何か頼むか?」
「あ、えーっと……、じゃあこれをひとつ」
『HYDE AND DORON』と書かれたオムライスっぽいものを指差す。店員がにこやかに、ドリンクは、と聞いてくる。アイスコーヒーっぽいを探し出して指差せば、かしこまりました〜、と厨房に戻っていった。
「無理して頼まなくても良かったんだぞ?」
店員の後ろ姿をぼんやりと見ていたら、刹がそう声を掛けてきた。気に掛けてくれているのだろう。ふっと笑みが漏れた。
「ちょうど僕もお腹減ってたから。オムライス好きだし」
「ならいいけど」
「加美山は何頼んだの?」
「俺は『POWANの大好物いちごパフェ』とカフェラテ」
ずいぶんと可愛らしいのを頼むんだなぁ、と思う。
見た目からはラーメンとか大盛りカレーライスを食べていそうなのに。意外だ。人を見た目で判断するな、と親には口酸っぱく言われてきたが、こういう偏見は許されたい。
学食で女子たちが『ギャップがエグい』と言っていたのはあながち間違いではないようだ。
むっとした刹が不満げに言った。
「似合わないって?」
「ううん、そういうわけじゃないよ。かわいいなって」
「かわいいのはPOWANで俺じゃねーし」
「そうなんだけどさ。それを頼んでる加美山もかわいいよ」
素直に告げれば、不満げに眇められた瞳がじろりとこちらを睨んでくる。まるで、かわいいって言うな、と言いたげだ。にこにこと笑みで返していたら、はぁ、と大きなため息を履かれた。
「まあそれはいいや。……で、話したいことって何?」
ズバリと本題に切り込んできた加美山に、背筋がすっと伸びる。ええと、と言葉を選びながら慎重に口を動かす。
「聞きたいことが山程あるんだけど、いいかな?」
「この際だしな。いいよ」
「まず、あの夢のことなんだけど。あれは現実?」
あまりにもリアルだったけれど、現実とは信じがたいものである。それに、あの夢の中で刹は『死ぬぞ』という強い言葉を使った。それがどういう意味なのかも知りたかった。テーブルに置かれたガラスのコップの水を一口飲んでから、刹は言った。
「夢でもあり、現実だ。仮にあそこで死んだら、今のお前も死んでるよ」
背筋に寒気が走る。誂うような声色ではないし、何よりも真剣な眼差しがそれを真実だと証明している。口の中が乾くのを感じながら、再び舌を動かす。
「なんで、助けてくれたの?」
「お前が此岸ぎりぎりで踏み留まってたから」
「? どういうこと?」
踏み留まってた、の正確な意味がわからなくて、聞き返す。刹が何かを考えるように一度瞼を下ろしたのは、一秒にも満たない時間だった。再び開けられた瞼から現れた、金混じりの茶色の瞳は、力強い光を宿していた。
「死ぬつもりの人は、あそこで立ち止まったりしない。でもお前はいくのを迷ってたし、死にたそうにも見えなかったから一応声掛けた」
刹の言葉をゆっくりと頭の中で咀嚼する。
刹が言ったことをそのまま受け取るとするなら、彼が声を掛けなかった人は、あのまま進んで死んでしまうということだろうか。立ち止まれた秋羅は死なずに済んだけれど、それ以外の人は。
「もしかして声を掛けない時もあったり?」
「そりゃああるよ」
否定してくれ、と思ったのに、刹はあっさり肯定した。
それはあまりにも薄情じゃないか。一瞬でもそう考えてしまったのが、顔に出たのだろう。刹が、ふう、と小さく息を吐いた。
「薄情だって言いたいのかもしれねーけど、俺は死にたがってる人を止める方が薄情だと思ってる」
グラスの中の氷がカランと音を立てる。その氷を見つめた刹の瞳には、なんとも言えない感情がこもっていた。その間も、彼の言葉は続いていく。
「その人の心はその人にしかわからないし、仮に死ぬのを止めたところで、その人がまた同じ場所に来るのは止められない。あそこは深層心理、つまり本当に心から望んでることが露わになるところだから」
もしかしたら彼は何度もそれを試したのかもしれない。何度も何度も声を掛けて、幾人もの人を一時的に救って、でも結局同じ場所に戻ってきてしまう人たちを見てきたのかもしれない。
真実はわからなくても、そうなのだろう、と思わせるのほどの重みが彼の声にはあった。
「もちろんお前みたいに踏み留まってたヤツには声を掛けるよ。でも大抵はそのまま逝っちゃうんだ。それを俺にどうしろって?」
少しの強さが込められた言葉だった。
何も知らないくせに、と言われているようで、ぐうの音も出ない。あまりに正論すぎて、体を縮こませることしかできない。
知りもしないくせに、一丁前に『薄情だ』なんて言う資格があると思ってるのが大間違いだったんだ。馬鹿だなぁ、僕。
こんなところで、人間関係が希薄である弊害が出るとは思っていなかった。『嫌な奴』という不名誉な印象を与えてしまったかもしれない。そう思った時だ。
「ごめん、言い方が悪かった。責めてるつもりはないし、薮口の気持ちも当然だと思う」
ハッと顔を上げると、刹は困ったように笑っていた。
彼の行動を侮辱するような感想を抱いたのに、それすら笑って許してくれる。それどころか、こちらのことまで気遣ってくれるなんて。じわりと胸の奥に熱いものが滲んだ気がした。
「でも、薮口も心当たりあるだろ? 好意であれ、悪意であれ、優しさであれ、身勝手に押し付けられる気持ちが、迷惑なこともあるって」
「……うん」
あまりにも心当たりがありすぎて、深く頷く。
好意を伝えられるのはもちろん嬉しい。でもそれに見返りが求められた時、正直に言って、負の感情を抱くことが多い。優しさもそうだ。こうしてほしいと言ったわけではないのに、勝手にそれを押し付けられて、ありがた迷惑、ということもある。
その人がやりたくてやったことなのに、対価や見返りを求められることほど面倒なものはないのを、秋羅はよく知っていた。
「ごめん、よくわからないのに、偉そうな口聞いて」
素直に謝罪がこぼれ落ちる。少し考えれば分かることだったのに。己の馬鹿さ加減にあきれてしまう。そんな憂鬱な気持ちを吹き飛ばすように、刹はからっとした笑みとともに言った。
「気にしなくていーって。大体薮口は口から出してねーじゃん」
「それは……、そうだけど」
「俺の勝手な推測だし。マジで気にすんなって」
な、と言ってくれる彼に、うん、と弱々しい返事が出る。ちっせー声、と刹がまた笑ってくれたから、もう気にしないでおこうと思えたのだった。

