声がしていた方に秋羅がたどり着いた頃には、もうそこには誰もいなかった。
すぐさま食器の返却口に目をやる。彼は『万年ひとりクン』の代わりに片付けをしていたはずだ。昼休みは始まったばかりで、食器の片付けをしている人は稀のはず。その可能性にかけた。
「……いた!」
思わず小さく声が漏れてしまったのも気付かない。
返却口のところに、夢の中の青年とほぼ同じ格好の彼がいた。夢の中と違うところと言えば、お気に入りのマスコットなのか、ぬいぐるみが所狭しと付けられたキャンバストートを斜め掛けしている所くらいだ。
「加美山くん、相変わらずぬいぐるみたくさん付けてたね」
「ねー。かわいすぎ」
「ギャップがエグいよね」
「加美山くんとデートしたらゲーセンばっかになりそう」
くすくすと楽しそうに噂話をしている女子たちを横目に、秋羅は駆け出す。遠くから声をかけるのも迷惑だ。いやそもそも呼び止めるための名前を知らない。だったらとにかく追いつこう、と足を動かす。
彼女たちの言う通り『かみやまくん』は、本当にたくさんのぬいぐるみを付けている。とりわけ目立つのは、ベルト部分に付けられた幽霊っぽいぬいぐるみだ。手のひらよりも少し大きめのそれは、彼の肩口辺りに固定されているようだった。お陰で見失わずに済むのはありがたいのだが。
歩くの早くない!? と思わず胸の内で突っ込んでしまうほど『かみやまくん』は歩くのが早いようだった。足の長さは負けていないはずなのに、圧倒的な速度でどんどん進んでいってしまう。
夢の時は僕に合わせてくれてたのかな、なんて思ってしまうほど、尋常じゃないスピードで歩いている。とにかく追いつかないと。その一心で小走りに切り替えた秋羅の耳に、また『かみやまくん』の声が聞こえてくる。
「リキの言い分も分かるけどさ。あそこでどうにか出来る問題じゃないだろ? ……わかってるよ。もちろん放置するつもりはないって。でもいざとなったらどうにかするよ。……はぁ? そんなことできるわけないだろ」
一体誰と喋っているのか、と思ったのは一瞬でどうでもよくなる。追いつけたから。青年の手首を今度は秋羅が掴んだ。
相当驚かせてしまったのか、いきなり足を止めて振り返った青年に思わずぶつかりそうになった。どうにか自前の体幹で踏ん張って、目の前の『かみやまくん』に目を合わせる。
間違いなく、夢で出会った彼だった。
「急にごめん。話がしたい、んだけ、ど」
言葉がブツ切れになる。なぜなら目の前の青年が、うわマジか、みたいな顔をしたから
だ。
こんなあからさまにドン引きされたのは初めてだった。
自分から話しかけた時、男女問わずこんなふうに嫌がる人は、今まで一人たりともいなかった。ニヤついたり嬉しそうにしたりはあったが、ドン引きする要素が自分にあるとは思えない。それなりに服には気を使っているし、巷で噂の清潔感も一応確保していると自負している。
なのにこんな顔をされるなんて。
逆に驚いて固まってしまった秋羅に、目の前の青年が困惑したように言った。
「えーっと、俺に何か用?」
訝しげで信用されていないと分かる声色だった。どうしてそんな態度を取られるのか、全く心当たりがない。困惑したいのは僕の方だ、と言いたいが、そんな事を言って余計に困らせた挙句、逃げられるのは御免だ。
その間も、何かコソコソと誰かと話す声が聞こえる。
「いや話しかけてきたのに無碍にしたらダメだろ。何か困ってんのかもしんねーし」
どう考えても聞こえる声の大きさではなかったと思うのだが、秋羅の耳には確かにそう聞こえた。
よかった。とりあえず話は聞いてくれそうだ。
ホッと胸を撫で下ろしながら、意を決して口を開いた。
「いきなり手を掴んでごめん。でも君と話したくて。君さ、この前僕のこと助けてくれたよね?」
聞きたいことは直球で聞くのが一番だ、と本題をいきなり口に出す。すぐにわかってくれると思ったのに、青年は頭の上に疑問符をたくさん浮かべて、首をわずかに傾けた。
心当たりがありません、と言いたげだ。
それでも秋羅は食い下がる。
「えっと、現実世界じゃなくて夢の中での話なんだけど。……いや、ごめん変なこと言ってる自覚はあるんだけど、でも本当に君に助けてもらったんだ」
理由はわからない。でも彼だと何故か確信があった。
何いってんだお前、と言われる覚悟で事実を伝えた。しかし秋羅がほんの少し恐れていた罵倒の言葉は飛んでくることはなく。
うーん、と逆側に首を捻った青年は、あっ、と何か思いついたように声を上げた。
もしかして思い出してくれた!?
そう思ったのも束の間。
「ちょっとごめんなー」
青年はそう言いながら、何を思ったのか、秋羅を抱きしめてきた。
は、と思わず固まってしまったし、頭の中でもう一人の自分が大騒ぎしている。
何なになにどういうこと!? 僕に気があるのいやそんなまさかありえないし今日会ったばかりだしいや夢の中でも会ったけどそうじゃなくてまさか一目惚れされたとかいやいやそんなまさかそんなことがあり得るはずがいや僕の体質だったらありえるかもしれないけどいやそんなまさか。
大混乱を起こしている秋羅とは裏腹に、青年はすぐさま秋羅から離れると、あっけらかんと言った。
「おー、やっと散った。歩く生霊デパートでも現れたのかと思ってビビったわ」
「はっ!? えっ!? ちょっとまってどういうこと!?」
不穏すぎる言葉に再び混乱しかけた秋羅へ、青年が冷静に言った。
「いや顔見えねーほど憑いてたから。俺に近付いたら大抵は散るんだけど、全然散らねーからさ。てかこんなに憑けてるヤツ初めて見た」
あははっ、と呑気に笑っているが、断じて笑い事ではない。そもそも『憑いている』という言葉から突っ込みを入れたいのに、それを口から出すのもおぞましくて、結局何も言えないままだった。
「それで、なんだっけ?」
そう問われてハッとする。こんなことに気を取られている場合ではなかったのを、青年の言葉のお陰で思い出す。やっぱり彼は只者ではないのだろう。
一体何者なのか知りたい。
あわよくば、自分の不幸体質がどうにかできないか聞きたい。
それにはまず、とゆっくり口を開いた。
「まず聞いておきたいんだけど、夢で助けてくれたのは君で合ってる?」
「うん。彼岸に行きそうになってたヤツだよな?」
「詳しいことはわからないけど……、その節は本当にありがとう。それで……、君と話がしたくて」
「……話? なんの?」
わずかに険を滲ませた青年に、うっ、と怖気づきそうになる。
思うに、彼はきっと今までもこういう相談をたくさん受けてきたのだろう。そのたびに誰かに利用されたり、不快な目に遭ってきたのだろうと思う。
でも秋羅もこんなところで引き下がれない。長年の悩みが解決するかもしれないのだ。押し付けがましいことは承知の上で、こうして追いかけてきた。
この機会を無駄にするわけにはいかない。
どうしたら穏便に済むだろうか。出来る限り不快感は与えたくない。その上で、協力を仰ぐためには。
思考を巡らせていた秋羅に何を思ったのか、ふーっと息を吐きながら首の後ろを掻いた青年は言った。
「冷やかしは間に合ってるから」
言い切ったと同時に踵を返そうとした青年の腕を慌てて掴む。
ええいままよ。
「とにかくまず君にお礼がしたい!」
思ったよりも大きな声が出た。
その場に誰もいなくてよかったと思うくらいには、デカい声だった自覚がある。案の定青年も、お、おう、と若干引いていた。でも秋羅にとっては、逃げられない方が重要だったから、多少の恥は些細なことだ。
冷やかしではないことが伝わったのか、はたまた秋羅の切羽詰まった様子を察してくれたのか、とにかく逃げるのはやめてくれたらしい。考えるように宙に視線を投げてから、青年は言った。
「じゃあ行きたい所あんだけど、いい? ちょうどチケット二枚あるから」
「もちろん!」
大きく頷いて、掴んでいた腕から手を離す。
それから握手を求めるように、手を差し出した。
「僕は薮口秋羅。君は?」
差し出した手は払いのけられることはなく、優しく握ってもらえた。その手のひらの温もりは、確かにあの夢と同じく、とても温かい。
「俺は加美山刹。よろしく」
やっと刹の笑みを見ることができて、ホッとしていた秋羅は知らなかった。刹の肩の近くについている幽霊のぬいぐるみのつぶらな瞳が、じっと秋羅を見ていたことなんて。

