一禍来福



 薮口 秋羅(やぶぐち あきら)は東都立大学に通う大学一年生である。
 グレー寄りの薄茶の髪に、同じ色の瞳。背も高く、モデルにならないかと何度も声をかけられたことがあるくらい、容姿が整っていた。儚げな印象を受ける人も多く、秋羅は知るところではないが、隠れファンクラブなるものも存在している。
 そんなスーパー人生楽勝モードな秋羅だったが、結構大きな悩みがあった。
 秋羅は、かなりの不幸体質なのだ。
 これが地味に、いや結構痛い。勉学や容姿のことであれば、お金や物理で解決出来ることもある――と秋羅は思っている――が、不幸体質なんていうものは、完全に物理では解決できないことなのだ。
 十八年しか生きていない中で、あまりの不幸話の多さに逆に笑えてくる。旧知の仲の友人が、馬鹿笑いされるのが逆に救いだったりするくらいには。
 例えば、誘拐されかけたり。例えば、大事故に巻き込まれそうになったり。例えば、告白してきた人の彼氏に刺されそうになったり。例えば、誰もいるはずのない場所から声が聞こえたり。例えば、心霊スポットと知らずに行った場所から帰ってきたら、高熱を出したり。例えば、遊びに出かけると大小問わず何かしらのアンラッキーな出来事に出くわしたり。
 大事に至っていないのは不幸中の幸いだが、数え始めればいくらでも出てくる。
 もちろんその体質をどうにかしようとした。だが、どんなに有名な人にお祓いをしてもらおうとしても、ダメだった。秋羅に対峙した人は、苦虫を噛み潰したような顔をして必ずこう言うのだ。

――私の手には終えません

 その言葉を聞くたびに、失望した。
 小学生くらいまでは母に付き添ってもらったが、それ以降は母にも言うのをやめた。心配をかけたくなかったし、気苦労をこれ以上増やしたくなかったから。
 お祓いに縋るのをやめた今でも、秋羅の不幸体質は治らないまま続いている。まだ生活に支障を来していないから良いものの、これ以上ひどくなったら死んだほうがマシ、と思う日が来るかもしれないと心配してしまうくらいには、この体質に悩まされている。

 しかしだ。
 この負のループから抜け出せるかもしれない、唯一の光をついに見つけた。かもしれないのだ。

 つい五日前に見た夢の中に、その光は現れた。
 太陽の色を瞳と髪に宿した、同い年くらいの青年。
 あの青年は普通の人ならば、有り得ない、と一蹴してしまう怪奇現象に、ずいぶん詳しいように見えた。名前を聞くのを忘れてしまったのが痛いところだが、多分、彼は実在するはずだ。なんの確証もないのに、そう確信している。早く見つけたいのは山々だが、何しろ手がかりがない。
 でも、どうしても彼と話がしてみたい。
 あわよくば、この不幸体質はどうしたら直るのか教えてほしい。
 もちろん、彼も知らない、と言う可能性は十分にあるのだが、何かしらの糸口を掴めそうな、そんな気がするのだ。
 

「やっぱ見つかんないなぁ」

 ぼそりと独り言がこぼれ落ちた。
 ざわついた講義室の中で独り言として消えていくはずだったそれは、前の席に座っていた針状 新(しんじょう あらた)という友人によって会話へと形を変えた。

「何が見つからないって?」

 にんまりと口角を上げた新は、長年来の友人の一人だ。
 お前すげーキレーな顔してんね、と初対面で臆面なく告げてきた彼と、なんやかんやこの年までつるんでいる。秋羅の容姿をあまり気にしないでくれるし、劣等感だとか嫉妬だとか、そういうものが態度に滲まないところが好きだ。それと、なんやかんや優しいところがある。
 こうして独り言を拾ってくれるのも、新の優しさだろう。
 ちらりと彼を見てから、はぁ〜、とわざとらしく溜息を吐く。

「探し人」
「お! お前が人探してるなんて、明日は槍でも降るか?」
「笑えない冗談マジやめて」
「ははっ、確かに秋羅が絡むと冗談に聞こえねーよな」

 本当にそうなのだ。世間一般で言う有り得ないことが、秋羅の周りでは起こる。流石に槍が降ってきたことはないが、蛇が降ってきたことはある。だから本当に笑えない。嘆息する秋羅の肩を、新が伸ばしたてでぽんぽんと叩く。

「俺に協力できそうならするぞ?」
「でも名前もわかんない人だし」
「容姿は?」
「僕より少し背が低くて、ちょっと癖毛、いやワックスかもだけど、の跳ねた金混じりの茶髪と同じ色の目の、陽キャでチャラそうな男子」
「いや特徴なさすぎ〜」
「だよね〜」

 秋羅にとっては確かに光に違いなかったけれど、その容姿は別段目立つタイプではなかった。と思う。少なくとも芸能人ではないのは確かだ。
 何処にでもいそうな格好の、何処にでもいそうな顔をした青年。
 女子が言う可愛い系やキレイ系ではなく、どちらかと言えば男友達が多そうな愛嬌のある青年だった。
 そんな何処にでもいそうな彼が、何処にもいない。

「まあでもそれほど秋羅が探したいってんなら、その体質に関連してるんだろ?」
「そうなんだけどさ。でも手がかりがなさすぎるし、何処に住んでるかも知らないし」

 そもそも夢の中で会ったのだから、近くに住んでいるとは限らないことも失念していた。彼の写真もないし、探しようがない。
 はぁ、ともう一度溜息を吐く。ぽん、と肩を叩いてくれた新の優しさがしみる。

 諦めるしかないのかなぁ。
 ぼんやりとそんな事を考えているうちに、いつの間にか入ってきた講師の眠くなりそうな声が講義室に響き始めたのだった。


「さっきの話に戻るけど、その探し人とは何処で知り合ったん?」

 ガヤガヤとうるさい学食で、新がそう尋ねてくる。
 東都立大学の学食は中庭に面していて、窓際の席に座れるとそこらのカフェよりも居心地が良いと評判なスポットだ。いつもよりも二限が早く終わったお陰で、窓際の四人席に陣取れた。今日は運がいいかもしれない、なんて思っていた時だった。
 ずるずると醤油ラーメンを啜る音が続く。思わず顔を顰めてしまったのは、新の質問が嫌なところを突いてきたからだ。
 自分の手元にある唐揚げ定食を見てから、八等分されたレモンの欠片を手に取って、唐揚げに搾り汁をかけながら、ぼそりと言った。

「夢の中」
「えっ。夢の中っつった?」
「言った」
「ワァ。思ったより深刻だった」

 新をじろりと睨めば、こわー、と大して怖がってなさそうな声が返ってくる。

「夢の中で会った名前も知らない奴を探そうとしてんのか〜。結構無謀」
「仕方ないだろ。名前聞きそびれちゃったし」
「そもそも実在すんの?」
「多分」
「多分かぁ」

 残念そうに肩を落とした新は、今度は分厚いチャーシューに齧り付いている。脂が結構多いのも全く気にしていないようだった。秋羅は質の悪い脂だと腹がゆるくなってしまうせいで、学食のラーメンは食べきれた試しがない。

「夢の中じゃ写真もないしなぁ。秋羅は、絵得意なんだっけ?」
「忘れちゃ困る。僕は万年美術最低成績の人間だってこと」
「だよなぁ。じゃあ絵で探すのも無理か」

 不幸体質を知っている上で馬鹿にしない新が、自分のことのように残念がってくれるから、まだ人生捨てたもんじゃないなと思える。ありがたいことだ。普通だったら、馬鹿にして離れていったって可笑しくないのに。どうにかできたら嬉しいじゃん、と新が昔言ってくれた言葉に、今もなお救われている。

「まあ気長に探すよ。一朝一夕で直るものじゃないのはわかってるし」
「それが良いかもな。協力できそうなことはいつでも言ってくれな」
「ありがと。そんときはよろしく」

 自然と溢れた笑みのまま、そう告げる。やっと唐揚げを口に入れようと、箸で持ち上げた。
 その時だった。
 プラスチックの食器がひっくり返る大きな音と、爆発的な笑い声が同時に響いた。あまりの大きさに驚いて、唐揚げを皿の上に落としてしまうほどの、下品な笑い声。それには聞き覚えがある。誰か一人を対象にした馬鹿にしたような笑いだ。

「うわ〜ごめんなァ。でもぶつかってきたお前も悪いよなぁ?」
「ハハッ! ちゃんと片付けろよ〜、万年ひとりクン」
「キショいから誰も近寄らねーんだろ?」
「それな〜。友達いなくてかわいそ〜」

 ゲラゲラと笑う声が背中側から聞こえてくる。後ろを振り返れなかったのは、過去に自分もそういう経験があったから。
 ちらりと見た新は眉を顰めて、不快感を露わにしている。

「てかもっと隅に行けよなァ、キショいんだから」
「マジでそれな。早く片付けてどっか行けよ〜」

 笑い声とともに、数人の男たちの声が遠ざかっていく。
 一瞬静まり返った学食。ぐすっと鼻を啜る音がする。さっきの嫌な集団が言っていた『万年ひとりクン』だろうか。静まり返っていた食堂に食器を片付ける音が響き始めると、だんだんと雑談の音が戻ってくる。

「これ使えよ」

 不意に聞こえた声。それに聞き覚えがあって、反射的に振り返る。新が、どうした、と聞いてきたのが遠くに聞こえたが答えられなかった。
 声の主はしゃがんでいるのか、姿は見えない。しかしやり取りはなぜかはっきりと聞こえた。

「あ゛り゛がどう゛、がみ゛や゛ま゛ぐん゛」
「気にすんな。もうちょい早く来たら言い返してやれたのに、ごめんな」

 彼らがそれなりに親しい仲らしいのは今はどうでもいい。
 問題なのは『かみやまくん』――それで合っているのかわからないが――と呼ばれた人の声が、夢の中の青年とそっくりだったことだ。

「俺がやっとくから、影谷は服洗って帰りな」
「でもっ、加美山君との約束が」
「また今度行こう。焦るような用事じゃねーし」

 間違いない。彼だ。
 そう思ったら立ち上がっていた。えっ秋羅? と困惑した新の声が聞こえて、彼に向き直る。

「悪い、新! これ食べといて!」
「えっ、何? いきなりどうした?」
「あの人かもしれない!」

 机の上に散らかしていた私物を、全部キャンバストートに乱暴に突っ込んで、ほぼ食べていない唐揚げ定食をそのままに、秋羅は駆け出した。
 この機会をみすみす逃すわけにはいかなかった。