雨と傘と君と

「そういえば、駅から家までどうすんの」

 駅に着き、俺の家と絹本の家は逆方面らしい、ということがわかったときに訊いたことだった。

「妹に傘持ってきてもらおうかなって」

「へえ、仲良いんだ」

「今はお年頃だから、そうでも。residence以上home未満、みたいな?」

 最近習った文章に出てきた語彙だった。住居以上家未満。思春期の異性同士のきょうだいとはそんな感じなのだろうか。
 彼は「断られたら走るか」と目を伏せ、右手で携帯を操作していた。おそらく連絡を取っているのだろう。
 なんとなく手持ち無沙汰になって自分も携帯を取り出そうとすると、鞄の中にあるものを見つけて、思わず声が出た。

「あ」

 絹本は文字を打つ指を止め、俺の視線を辿るようにして俺の手元を見た。そこには鞄の隅に刺さっていた折りたたみ傘があった。

「持ってたんだ、さすが上崎」

「あー……」

 参考書とか入れてたときに気付けただろ、と己の不注意を呪った。長傘を持ってきたから折りたたみは置いてきたと勝手に思い込んでいたのだった。
 だが、丁度良くもあった。俺は折りたたみを差し出して新しい提案をした。

「これ使えよ」

 傘の共用の回避には遅かったが、絹本の最寄りから家までの手助けには間に合う。一応、保険をかけるように「よかったらだけど」と付け足した。

「いいの?」

「言ったろ、絹本が濡れるの嫌だって」

 彼は緩やかな動作で携帯を上着のポケットに入れると、その手で俺の傘を受け取った。

「ありがと。乾いたら返す」

「いや、もっと早く気付けばよかった。ごめん」

 長傘は小さくはないが、男二人となると心許(こころもと)ない。俺が知らないだけで彼も濡れていたのかもしれないし、そもそも普段関わりのない同級生とだなんて息が詰まっただろう。
 だが、そんな俺の後悔など他所(よそ)に、絹本は無邪気に笑ってみせた。

「俺は嬉しかったけどな。上崎との相合傘」

 そのたった一言がなんだか信じられなくて、俺は呆然とした。改札の電子音や雑踏の音、話し声、そのすべての音が遠くなった気がした。瞬きを何度かした。絹本の顔を見る気になれなくて、適当なポスターを視線の置き場所にした。
 絹本に「上崎」と呼びかけられ、意識を引き戻された。同時に、周辺の音も戻ってきた。授業中の居眠りから覚めたときのような感覚だった。

「もうすぐ電車来るよ。上崎の方の」

「あ……」

 時計と電光掲示板を確認すると、もう出発二分前だった。
 タイミングが悪い、と思った自分に対して疑問が浮かんだ。電車が来なければ、俺はどうしただろうか。彼になにか言おうとしただろうか。
 だが、考えている余裕はなかった。俺が行くべきホームは今いる改札の反対側。今からなら地下道を早歩きでギリ間に合うか、というくらいだろう。
 俺は「じゃ」と言って鞄を肩にかけ直した。絹本は「ん、また」と言って手を振った。
 俺は地下道に向かいながら、一度だけ振り返った。絹本は変わらず手を振っていた。
 俺は一秒にも満たないくらいの間手を振り返して、幸い人の少なかった地下道を走った。電車には間に合った。そう距離は長くなかったはずなのに、心臓の拍動はシャトルランの後みたいだった。