陛下、普通に寝かせてください!~夢喰帝と空想寵妃~

 朝の光が射し込んでくる。
 遠くに聞こえる鳥のさえずりに、麗羊は瞼をぴくりと動かした。
 
「……ん?」
 
 浮上してくる意識。
 しかし、なぜか体が動かない。
 重たい何かに雁字搦めにされているような。
 少し息苦しいような。
 首の後ろが少し痛い。枕を変えただろうか。
 どうにか伸びをしようと腕を突っ張りかけて、はたと動きを止めた。
 
「……皇帝に張り手か? 一晩で出世したものだな」
「ひえっ、な、なな、なんで……っ」
 
 麗羊の手のひらが、伯綺の頬を押しやっていた。
 
「ご、ごめんなさいごめんなさいすみませ……っ」
 
 寝起きで処理しきれない驚きの数々に、舌足らずの謝罪を繰り返した麗羊は卒倒しかける。
 混乱のまま仰け反った体が寝台から落ちかけた。
 
「おい!」
 
 ぐい、と手首を掴まれて引き寄せられた体は再び寝台に沈む。見上げた先に伯綺の焦った顔が見えて、麗羊の喉はひくんと上下した。
 
「ゃ……っ、ん!?」
 
 悲鳴は音になる直前で、伯綺に飲み込まれた。
 戒めるように唇を塞がれる。
 目を見開いていた麗羊が僅かに瞼を下ろしかける頃、ようやく伯綺は麗羊を解放した。
 
「……落ち着いたか」
「…………重ね重ね、失礼しました……」
 
 きちんと受け答えができるようになると、昨夜のことが思い出されてくる。
 
 伯綺帝の秘密。
 夢を所望され、添い寝されたこと。
 そして――どうやら彼の腕枕で眠っていたこと。
 寝起きの混乱とはいえ、この数分にやらかしたことが多すぎて麗羊はいたたまれない気持ちでいっぱいだった。
 
「なんということを……」
 
 顔を覆って横を向いてしまった麗羊は、しばらく反省とも謝罪ともつかない声で小さく唸っていたが、突然はっと顔を上げた。
 
「へ、陛下! あ、あの……夢は」
 
 そうだ。もともと夢を献上するために寝所に召されたのだ。しかし麗羊には夢の記憶が一切ない。
 毎日見た夢を覚えているわけではないが、今日この日に限って頭が真っ白なのは、余計に麗羊を心配させた。
 体を起こし、寝台に腰掛けている伯綺をじっと見つめる。
 彼は無表情に麗羊を見つめ返して――口の端を、くいと上げた。
 
「馳走になったな」
 
 そのひとことで、麗羊の頬に朱が差した。
 
「良かった……」
 
 同時に目頭がじわりと熱くなってしまう。更に醜態を晒すわけにはいかない、と目を伏せた麗羊は小さく息をついて呼吸を整えた。
 
「すみません、夢を見たのかどうかも覚えていなくて……」
「当然だ。吾が喰ったのだからな」
 
 伯綺の舌がちろりと上唇を舐める。
 
「あ……!」
 
 そう。それが夢を喰らうということなのだ。
 夢を見たことすら忘れるほど、跡形もなく、綺麗に平らげる。
 すなわち――悪夢にのたうつ心すら平らげるのが、獏の役目。
 身をもって知った麗羊は、朝の支度を始めた伯綺をまじまじと見つめる。
 その横顔は、かつて垣間見た怜悧な賢帝と同じ顔をしていた。
 どのような目論見があろうと、麗羊たちがこうして暮らせている土壌は伯綺帝のまつりごとによるものだ。
 使いようによっては国すら傾けられる力。
 それがこうして国を発展させるために使われているのは、伯綺の倫理観や美学によるところが大きい。
 それはとても危うい橋ではあるのだけれど――麗羊には、彼が悪戯な混乱を好まないように見えた。
 寝台から落ちそうになった時、引いてくれた手の力強さを思い出す。
 放っておいても良いものを、わざわざ助けたあの時の伯綺の表情。
 その優しさを信じてもいいのではないか、と麗羊は思ったのだ。

 ほんのささいな、単純なこと。
 それでも、体が動いたことは事実だから。
 
 そう思ってしまうのが麗羊なのだ。

「……男の着替えをまじまじと見る趣味は否定せんが、そろそろ人が来るぞ」
「きゃっ」

 伯綺の肩から夜着がするりと落ちるのを目の当たりにして、麗羊はぱっと顔を覆った。
 そのまま寝台の上で居住まいを正して座り、深く頭を下げる。
 
「こ、皇帝陛下におかれましては、粗末な夢をご賞味いただき御礼申し上げます。獏云々の伝説に関しては他言しないことを誓います。驚くことばかりでしたが、一晩でも皇帝陛下のお召しに預かったこと、大変光栄でございました」
「は?」

 麗羊の長広舌を聞き流していた伯綺だが、最後のひと言は捨ておけなかったらしい。
 即座に振り向いた彼の肩でしっとりとした黒髪がひと房、しなやかに踊る。

「勝手に決めるな。あのような夢、一度で飽きる代物ではない」
「へ?」
 
 伏せていた麗羊の前に影が差した。思いがけない言葉に顔を上げると、自分を見下ろす伯綺と目が合う。

「そなたの夢、気に入った。とことん喰らいつくしてやる。寵妃として吾の側にいろ」
 
 伯綺の手のひらが麗羊の頬を撫でる。
 明け方だというのに蒼白い瞳。
 その瞳の奥に見える夜の帳は、麗羊の胸を騒がせる。

「陛下――」
 
 その時、扉が重たげに軋む音がした。
 
「朝のお支度にございます」

 扉が開いた先には、手水鉢や着替えを掲げた側仕えの面々がかしこまって並んでいる。
 思いがけない来客に固まった麗羊の夜着がずりおちかけたが、伯綺はさりげなく布団で隠してから側仕えに微笑んだ。

「皆に紹介しよう。麗羊妃だ。吾を射止めた類まれな才ある者だ。大切に扱うように」