「……そうして公主はあまたの兎に囲まれて、楽しく暮らしたのでした。めでたしめでたし」
ぱちぱちと小さく拍手をしてから書物を閉じた麗羊の傍らで、寝台に寝転がる伯綺が不機嫌そうな声を上げた。
「おい」
「あら、兎と喋れる公主様のお話はお嫌いでしたか? それなら龍の背に乗ってあやかし退治に行く青年の話にしましょう」
「……麗羊。そなたわざとやっているだろう」
「なんの話です? 私は岩了様の言いつけ通り、伯綺様を寝かしつけているだけですよ」
「だからと言って読み聞かせはないだろう。吾は童か」
毒づいた伯綺が上体を起こそうとすると、麗羊はいつになく俊敏に枕元から身を乗り出してそれを制した。
「だめです。長いこと伏せってらしたのですよ? きちんと養生してください!」
「……岩了と似てきているのではないか? あれがふたりなど悪夢だ」
ああ、と額を押さえた伯綺が寝台に逆戻りしたのを見届けて、麗羊は枕元の椅子に戻ろうとする。
しかし、伯綺はその長い腕を伸ばすと麗羊をぐいと引き寄せた。
「きゃっ」
「……麗羊」
「な、なんですか?」
ちょうど、仰向けに寝転がる伯綺に麗羊が乗り上げる格好になっている。
まるで伯綺を押し倒しているようで落ち着かない麗羊は、もじもじと視線を泳がせた。
「……誤解しているようだから言っておく。そなた以外の妃を寝所に召してはおらん」
「……それ、って」
蘭瑛のことが過ぎり、麗羊は目を丸くする。
「確かにあれの父親から何やら小煩く進言があった。だが断った。それでも食い下がったので親子共々宮中から追い出した」
「え……っ」
麗羊は絶句した。
確かに、最近は蘭瑛が癇癪を起こしている噂は聞かない……どころか彼女について誰も何も口にしていない。
まさかあの癇癪騒ぎは、宮中から追放される宣旨を受けたことによるものだったのか。
「で、ですが重臣をそのようにたやすく罷免しては」
時既に遅しだが、それでも麗羊がおろおろと言い募ると、伯綺は口の端をにいと吊り上げた。
「重臣、ね。重たいのが頭なら確かに重用したかもしれんな」
「そのような意地悪を……前に仰っていたではありませんか。解雇してもいいが悪夢を現実にしては意味がない、と」
「ああ、そんなことも言ったか。だがな、あれらはそなたに悪夢を見せた。そんなものを野放しにしておくほど、吾は優しくない」
伯綺は麗羊の後頭部に手を回す。
二人の鼻先がちょんとぶつかる。
「……私の悪夢、ご覧になったのですか」
「ん? 味見だけな。悪夢としては凡庸だ。だが気分は良かった」
「どうして……」
「そなた、吾のことが好きなのだなあ。あんなにも熱烈に嫉妬されると男冥利に尽きる」
「な……っ!」
麗羊の頬が一瞬で朱に染まる。
その勢いで伯綺から離れようと腕を突っ張ったが、伯綺が麗羊の後頭部を更に引き寄せる方が早かった。
「……っ、ん」
唇が重なる。
互いの体温を分け合うようなくちづけ。
世界じゅうが悪夢に染まっても、ここだけはあたたかいままでいられる。
そんな確信を持って、伯綺はそっと唇を離した。
「そなたの悪夢など喰いたくはない。だから笑っていろ。眠ったら莫迦らしいほど呑気な夢を見ろ。突飛な夢を語れ。そのために――吾が幸せにしてやる」
「……もう、普通に寝かせてください。ずいぶんと自分勝手な皇帝陛下ですね」
「あまたの悪夢を喰ってやっているのだ。わがままくらい言わせろ」
そう言い放った伯綺は麗羊の頬を撫でる。
悪夢でも凍えきらぬぬくもりが、確かにそこにあった。
完
ぱちぱちと小さく拍手をしてから書物を閉じた麗羊の傍らで、寝台に寝転がる伯綺が不機嫌そうな声を上げた。
「おい」
「あら、兎と喋れる公主様のお話はお嫌いでしたか? それなら龍の背に乗ってあやかし退治に行く青年の話にしましょう」
「……麗羊。そなたわざとやっているだろう」
「なんの話です? 私は岩了様の言いつけ通り、伯綺様を寝かしつけているだけですよ」
「だからと言って読み聞かせはないだろう。吾は童か」
毒づいた伯綺が上体を起こそうとすると、麗羊はいつになく俊敏に枕元から身を乗り出してそれを制した。
「だめです。長いこと伏せってらしたのですよ? きちんと養生してください!」
「……岩了と似てきているのではないか? あれがふたりなど悪夢だ」
ああ、と額を押さえた伯綺が寝台に逆戻りしたのを見届けて、麗羊は枕元の椅子に戻ろうとする。
しかし、伯綺はその長い腕を伸ばすと麗羊をぐいと引き寄せた。
「きゃっ」
「……麗羊」
「な、なんですか?」
ちょうど、仰向けに寝転がる伯綺に麗羊が乗り上げる格好になっている。
まるで伯綺を押し倒しているようで落ち着かない麗羊は、もじもじと視線を泳がせた。
「……誤解しているようだから言っておく。そなた以外の妃を寝所に召してはおらん」
「……それ、って」
蘭瑛のことが過ぎり、麗羊は目を丸くする。
「確かにあれの父親から何やら小煩く進言があった。だが断った。それでも食い下がったので親子共々宮中から追い出した」
「え……っ」
麗羊は絶句した。
確かに、最近は蘭瑛が癇癪を起こしている噂は聞かない……どころか彼女について誰も何も口にしていない。
まさかあの癇癪騒ぎは、宮中から追放される宣旨を受けたことによるものだったのか。
「で、ですが重臣をそのようにたやすく罷免しては」
時既に遅しだが、それでも麗羊がおろおろと言い募ると、伯綺は口の端をにいと吊り上げた。
「重臣、ね。重たいのが頭なら確かに重用したかもしれんな」
「そのような意地悪を……前に仰っていたではありませんか。解雇してもいいが悪夢を現実にしては意味がない、と」
「ああ、そんなことも言ったか。だがな、あれらはそなたに悪夢を見せた。そんなものを野放しにしておくほど、吾は優しくない」
伯綺は麗羊の後頭部に手を回す。
二人の鼻先がちょんとぶつかる。
「……私の悪夢、ご覧になったのですか」
「ん? 味見だけな。悪夢としては凡庸だ。だが気分は良かった」
「どうして……」
「そなた、吾のことが好きなのだなあ。あんなにも熱烈に嫉妬されると男冥利に尽きる」
「な……っ!」
麗羊の頬が一瞬で朱に染まる。
その勢いで伯綺から離れようと腕を突っ張ったが、伯綺が麗羊の後頭部を更に引き寄せる方が早かった。
「……っ、ん」
唇が重なる。
互いの体温を分け合うようなくちづけ。
世界じゅうが悪夢に染まっても、ここだけはあたたかいままでいられる。
そんな確信を持って、伯綺はそっと唇を離した。
「そなたの悪夢など喰いたくはない。だから笑っていろ。眠ったら莫迦らしいほど呑気な夢を見ろ。突飛な夢を語れ。そのために――吾が幸せにしてやる」
「……もう、普通に寝かせてください。ずいぶんと自分勝手な皇帝陛下ですね」
「あまたの悪夢を喰ってやっているのだ。わがままくらい言わせろ」
そう言い放った伯綺は麗羊の頬を撫でる。
悪夢でも凍えきらぬぬくもりが、確かにそこにあった。
完



