FAULT LINE


京都の街は、人が多い。
スーツケースを引いた観光客の集団を避けるように歩きながら、これから通う大学へ向かう。
どこを見ても知らない顔ばかりで、落ち着かない。けれど、田舎の駅前よりは、ずっと息がしやすかった。

入学式前から説明会だの手続きだので、もう何度も通った道だ。
新しいはずの通学路なのに、すでに新鮮味はない。
それでも、ここを歩いている自分が、少しだけ誇らしい。

新しいスーツと革靴。
背筋を伸ばして、ちゃんとした学生に見えるように歩く。
そうしないと、どこかに引き戻されそうな気がした。

本当は、もっと遠くへ行きたかった。
東京のほうが、きっと自由だったと思う。
けれど、田舎に残してきた祖父母のことを考えると、そこまで踏み切れなかった。

だから、京都。
逃げるには十分遠くて、戻るには近すぎる場所。

それでも、家を出られた。
それだけで、今はよかった。

俺、相良蒼(さがらあおい)は、今日からD大学法学部の一年生だ。


D大には、有名なサークルがいくつかあるが、俺の目当ては「推理小説研究会」だった。
だが結局、そのサークルには入部しなかった。
不慣れな構内を歩きながらサークルの部室を探しているときに、尋ねた相手が良かったのか、悪かったのか。
その学生は、同じジャンルの小説の研究会がいくつもあるという事実を知らず、たまたま弱小のサークルを知っていた。

その弱小の「ミステリ研究会」に入ることにしたのは、そこにいた一人の先輩が気になったからだった。
白石涼真(しらいしりょうま)先輩は、少し人と違う経歴を持っていた。
高校を卒業してすぐに、1年間海外を外遊(お金持ちの家の三男だそうだ)し、
帰ってきてからD大の文学部日本史学科を受験、合格したと言っていた。

初めて会ったとき、少人数用の小さな講義室にたった3人の学生を見て、
顔中にホントにここ?という顔をしていただろう俺に、話しかけたのが白石さんだった。
「間違えてるで、推理小説研究会の部室は正門近くのA棟や。」
それで、失礼しました。と出て行こうとする俺を止めたのが他の二人の先輩たちだった。
曰く、推理小説研究会は逃げない、明日でも入部は可能だ。
せっかく来たんだから話だけでもしていけ。という事だった。
昔のドラマで見たサークル勧誘のイメージとは大違いだが、あれも必死の勧誘だったのだと今ならわかる。

その時に話したのは、ミステリ小説についてではなく、
”白石涼真について”だったのだが、正直、にわかには信じがたい話も多かった
入学前の外遊の話は面白かった。
白石さんは見た目は高身長でシュッとしたイケメンなのに、
気取ったところがなく、話上手だった。

「外遊なんて言うのも、そう言うたほうが人が興味持つやろ?
 ほんまは、アメリカの知り合いのところに世話になりながら、
 ヨーロッパや南米、オーストラリアに旅行してたってだけや。」
「でも、それならやっぱり外遊でおうてますよ。留学やないんでしょ?
 外国で遊んでた、外遊やないですか。」
俺の言葉は先輩たちに大ウケだった。
「ほんまや、相良の言う通りやな。」
自己紹介で知った4回生の二人の先輩が手をたたいて笑った。

「なるほどな。これからは堂々と言えるな。」

と、白石さんも笑っていた。
ちなみに俺は真面目に外遊の意味を知らなかった。
家に帰って先輩たちの異様な受け方に疑問を持ち調べたのだ。
赤面した。

多分、4回生の先輩たちは俺が意味を取り違えているとは思っていなくて、
初対面の先輩に対して嫌味を言ったと思って、面白がっていたのだろう。
けれど、当の白石さんは違うと思う。
俺の言葉を聞いたとき、一瞬、おや?というような間があり瞬きをしていた。
でも次には穏やかに笑って肯定してくれた。
そのとき俺は、この人の前では、変に背伸びをしなくていい気がした。

白石さんの話で、もっと興味があったのは本物の事件の話だった。
そしてこれが、一部信じられないというところだ。
先輩たちが喜々として語るには、白石さんが何度か警察に協力して事件を解決したことがあると言ったのだ。

「……本物の事件?」
声に本当かという疑念が混ざっていたと思う。
「ほんまやで。白石の家は京都でも指折りの旧家やから、
 知り合いから内密に頼まれることが多いんや。その関係でな。」
「指折りの旧家。」
言葉を繰り返すことでしか、誤魔化せない。
本格ミステリじゃあるまいし。という言葉を飲み込むためだった。
先輩たちも、俺の疑念に気がついたのだろう。
白石さんにあの話をしろだの言っている。
白石さんを見ると、穏やかに笑っている。

(あれかな?終わった事件については多くは語らない系の探偵を気取ってる?)

「そやな。ほな、すぐ終わるあの話しましょか?」
淡々と語りだした。

(いや、話すんかい!)

というツッコミもどうにか抑えて、眉唾ものの話を聞くことにした。

白石さんの話は、驚くほど短かった。
登場人物と時間、起きた事実を、順に並べただけだ。
声に抑揚もなく、感情も挟まらない。

それなのに、聞いている途中で、
「ああ、これは事故やないな」
と、自然に思わされてしまった。

理由を問われても、うまく説明はできない。
ただ、順番が正しかった。
一つ前の事実が、次の事実を必然として呼んでいた。

話が終わったとき、
解決した、という手応えよりも、
「余計なものが何一つ残っていない」
という印象だけが残った。


推理に、引っかかるところはなかった。
動機もいかにもなことだったし、本当にあった話としてもおかしなところは一つもない。
調べれば事実かどうかもすぐにわかりそうだ。
だからこそ、本当にあった事件を、さも自分が解決したように話すのも簡単な事だと思った。
そう疑ってかかり俺に対して、先輩たちが反論できる点は、「何のために?」という1点だろう。
だがこれも、反論の反論は可能だ。
「新入部員の確保のため」だ。
けれど、元々人数の少ないサークルで機関紙を出すでもなく、
ただミステリの好みが一致している者たちが、話していることが主な活動だと言っていた。
そのサークルが存続しようが無くなろうがたいして重要ではないだろう。
だから、反論の反論はとても弱いと思う。

とりあえず、俺はこの点は保留することにした。
先輩たちもムキになって俺に信じさせようとはしていない。
話が終わったあと、俺は白石さんに聞いてみた。

「白石さんは正義感で犯人捜しをしてるんですか?」
白石はいきなりの俺の踏み込んだ質問にもたいしたリアクションは返さない。
少しだけ首を傾げて、言った。
「そういう事に意味は求めんへん。頼まれたから行ってみた。そしたら見えた事がいくつかあった。
 俺なりにこれは犯罪やと思った。だから警察に話した。それだけや。」

その言葉が本当なのか、誤魔化したものなのかはわからなかった。
ただ、なんとなく本当なんだろうとは感じた。
そして、意味を求めないと言い切った心理にこそ興味があった。

俺が、入部を決めたのはこの瞬間だった。