暗闇で泣くだけの簡単なお仕事〜ろくでなし陰陽師の拗らせ溺愛譚〜


 
 丑三つ時——陰の気が最高に強まり、鬼門が開く時間。
 ”怪異”の活動が盛んになれば、祓魔商会の稼ぎ時だ。

 うら若き十七の乙女がどうしてこんなカビ臭い場所に閉じ込められているかといえば、それが鈴音の仕事だからだ。暗闇に閉じ込められて泣く——それが鈴音の役割なのだからしょうがない。鈴音が泣いて、鐵が祓う。それが、鈴音たちの生業なのだった。

(くろがね)。そこにいるよね……?」

 湿気った6畳一間のおんぼろ小屋は、月の光さえ入らない。完全な暗闇のなかで、鈴音は足を抱えて座っていた。
 外にいるはずの相棒に声を投げるが、鉄の扉の向こうから反応は返ってこない。
 『この小屋は、元々何に使っていたものですか』
 つい半刻ほど前。鈴音が恐る恐るそう問うと、依頼人の妻は「さぁ、なんだったかしらねえ」と鐵にしなを作ってみせた。鐵は鐵で「なんでもいいですよ」と好青年風の笑みで答えていたが、きっと彼にはわかっていたのだ。

(……どうみても座敷牢でしょう、ここは!)

 鈴音は奥歯を噛み締める。
 鐵は、鈴音が怖がるとおもしろがる節がある。だからあえて伝えなかったにちがいない。
 弱い乙女の涙をみて喜ぶなんて、怪異と関わりすぎたせいで、性根まで蝕まれてしまったのだろう。陰陽師というのはなんと因果な商売か。もっとも鐵は陰陽師と呼ばれるのを嫌がるので、祓魔業とか、怪異なんでも屋とか、適当な肩書きを名乗ってるのだが。

「……仕事、やめたいなぁ」
 もともと鈴音は、鐵の生家である星宮家で下働きをしていた。ところが、あの放蕩息子は「俺は家を出る、ついては鈴音を引き抜いて独立する」と宣言したので、こうして鐵とふたりで商売をはじめることになってしまったのだ。
 そこからはもう、転げ落ちるように低俗な日々を送っている。
 とはいえ、鈴音の転落人生は、実家がなくなった頃から始まっているといっても差し支えはないのだが、鐵と出会っていっそう”まっとうな人生”から遠のいている気がする。
 鈴音の生家はもともと武家だった。維新後に商売人に鞍替えしたとはいえ、鈴音は「武家の女として見苦しくないように生きろ」と教え込まれている。

 そんな鈴音を、雇い主の放蕩息子は「真面目だなぁ」と嘲笑うが、鈴音に言わせれば鐵が不真面目なのだ。
「わたしにだけ働かせて、自分はどこぞでサボっているなんて……信じられないわ」
 (加虐趣味! 浪費家! 女好き! 陰陽師の血筋でなければ、ただのとんでもない美形なだけのくせに!)
 心の中で思いつく限りの罵詈雑言を吐き、鈴音は大きくため息ついた。

「とはいえ、仕事は仕事だものね。真面目にやらないと」

 今回の依頼人は、大正に入って急成長した商人だ。なにを売っているのかはよく知らないが、金は唸るほどあるらしい。
 鐵はひどい守銭奴なので、依頼料は決して安くはない。それなのに、今月に入ってもう3度も呼ばれている。一匹見かければ百匹いる。”あの”害虫のように、退治しても退治しても怪異が湧いてくるなんて、まさかこの家には怪異の巣でもあるのではないか。
 (……なにをすればここまで怪異が寄りつくのか、おそろしいわ)
 とはいえ、慢性的にお金が足りない鈴音たちにとって、これ以上ないお得意様であることも事実だった。この家から怪異が消えたら、来月の家賃も払えない。社長の鐵が無駄遣いばかりするからだ。

「鐵、そろそろ泣くわよ」
 外にいるはずの上司に声をかける。
 上司と言っても、鈴音と歳は三つしか変わらない。鐵は成人したばかりの二十歳だ。

「もういいわ。勝手に泣くからね!」
 何度呼んでも答えないから、仕方がなく、鈴音はひとりで玉ねぎの皮を剥き始める。暗がりなのでちっとも手元が見えずやりづらい。そのうえ格好もつかないが、涙を流すには、この方法が手っ取り早いのだ。

 ——鈴音の涙には、怪異を寄せる効果があるらしい。

 まだ六つの鈴音に、そう教えてくれたのも、そういえば鐵だった。
 あの頃、鐵はまだ九つの、優しくて純真な少年だった。あのまま成長してくれたら、憧れを抱いたままでいられたのに。
 が、その鐵は、いまごろおそらく依頼人の息女と、どこぞでよろしくやっているのだろう。 
 そう思うと、指先に力が入る。つま先が汁で濡れて、辛い匂いがした。
 
 たしか、綾香と言った。鈴音と同い年の十七歳で、まっすぐな黒髪と涼しげな目をもつ美人だ。「お琴が趣味で……」と傷ひとつない指を唇に当て、上目に鐡を見ていた。
(……鐡も、まんざらではなさそうだったわ)
 鈴音は、鐵の好みとは真反対にいるのだろう。栗色の巻毛に、勝ち気な丸い瞳。趣味は節約だ。鐵からはまったく女として認識されていないので、だから安心して二人暮らしができるのだが。そして鈴音も、ああいう精神的が軟派な男は好みでない。

「……ソボ」
「……はい?」
「アソボ」

 ころり、と鈴音の手から玉ねぎが転がってゆく。
 放っておけばいいのに、混乱した鈴音は玉ねぎを追いかける。が、そこは暗闇。なにも見えやしない。
 四つん這いで床を進みながら、
「……」
 鈴音の後ろになにかが迫ってくるのを感じだ。全身からじわっと汗が吹き出したそのとき、

「アソボ」
「で、でたあぁぁあぁ!!!」

 鈴音は悲鳴を上げる。
 今度こそ聞こえた。はっきり聞こえた。いま、男が鈴音に声をかけた。

 水を掻くように暗闇に手を伸ばす。鈴音は急いで這い出すが、何かの気配が腰のあたりにまとわりついている。”何か”は、まるで氷のように冷たい。星宮の家にあった、冷蔵庫を開いたときのような冷たい気配がした。

「鐵! 鐵! 出た、おばけ!! はやく来て!!」
 鈴音の叫びに、怪異がはしゃぐような声を上げた。鈴音が涙を流すと、暗闇の中に”なにか”の質量が増していくのがわかった。だんだん息苦しくなってくるのだ。まるで帝都の祭りの日のように、ひといきれに酔いそうだ。

「はいはい」
 ——がらり。
 重い音を立てて開いた扉、その向こうに満月がみえた。こぼれた月明かりが、まっすぐな光線になって鈴音の顔を照らしている。

 鐵は、鈴音の姿をみとめると「はは、すごいなぁ」と呑気に笑っている。
「この怪異たちが、おまえの目に映らないのが残念だよ」

 やけにゆったりとした動作は、育ちのせいなのか。時間があってもなくっても、お金があってもなくっても、鐵には余裕があった。使用人がこうして泣いているのだから、もっと申し訳なさそうにしてくれてもいいのに。

「遅い!」
「悪い、悪い。ちょっと話し込んでいて」
「……悪いだなんて思ってもいないのがバレバレだわ」
「さすが幼馴染にはなんでもお見通しだな」

 鐵はかがんで、鈴音の顔をじいっと見た。
 そしていつもそうするように、鈴音の頬に残る涙のあとをなぞる。鈴音がくすぐったがると、鐵は赤橙色の瞳をふっと細めた。

「幼い頃のことだって忘れていたくせに」
「そんなことはない。俺は、鈴音のことを忘れたことなんか一度もないよ」
「……いま忘れてたのに、よく言うわ」
 
 まったく嫌味なほどに整った顔をしている。その顔をみていると、次第に文句を言う気が失せていく。このひとに何をいっても無駄だろうな、という気持ちになってしまうのだ。
 際立った美しさは、暴力だ。鐵をみているとそう思う。
 少し癖のある黒髪も、猫背ぎみの姿勢も、うさんくさい薄い笑みも、鐵だからサマになる。そのうえ鐵はすらっとした長身で、花街でさえ金を払わず遊べると噂に聞いた。
 鐵の美しさは、この世のあらゆる理を、自分に都合のいいようにねじ伏せてしまうのだ。

「さて、うちの商売道具に触れたからには、それなりの対価を払ってもらわないとなァ」
「……アソ、ビタクナイ」
「同感だ」

 鐵は、懐から白い札を取り出すと暗闇に投げる。札はぴたりと宙に張り付いて、やがて煙を上げて燃えた。
 いつものように、あっけないほと一瞬の出来事だった。

✴︎

「……いやァ、ひどいものでしたよ。あんなに恐ろしい悪霊は、そう簡単にはお目にかかれない。うちの事務員なんて腕を二、三本やられましたよ」

 仕事用の完璧な笑みで鐵は言う。
(なにが二、三本よ。三本も腕があれば、わたしの方が怪異じゃない)

 いつにも増して鐵の言葉は薄っぺらいが、依頼人の親子にとってはどうでもいいのだろう。この世のものとは思えない美貌の男が、怪異を祓ってくれたのだ。鐵にかかれば、怪異退治でさえ一種のショーになってしまうのか。まったく呆れる。

「ところで、さきほど見せていただいた綾香さんのお部屋ですが」
 鐵は胡散臭い笑みのまま言う。
「何か感じるものはありませんか?」

 その言葉に、美人親子は顔を見合わせた。それから娘が重々しく口を開く。

「……ええ。最近、なにかに見張られているような気配を感じるのです。お恥ずかしい話ですが、男性の生き霊ではないかと」
「心当たりがあるんですか」
「ええ、交際をお断りするのは日課ですから……」
 月光の下、娘は瞳を潤ませながら言った。

「やっぱり。ほら、あそこに男の生き霊が5体、いや8……ああ、また増えた」
 ひぃ、と娘は鐵にすがりつく。
 されるがままに抱きつかれる鐵を横目に見ながら、鈴音は問いかけた。
「いまから祓う? わたしなら大丈夫。囮役ならまだできるわ」
「……そうしたいのは山々だが」

 考え込むようにして、鐵はふたたび口を開いた。

「あれくらいになると、俺もただでは済まないかもしれません。もっと高位の札を用意しなければ。……なあ、鈴音。いくらかかるだろう」
「え? 高位の札?」
「ああ。今日は中位の札を五枚使っただろう。……あれなら、そうだな。最上位のものを十枚は欲しい」
「……なんですって」

 さっきの仕事で使ったのは、中程度どころか、一番安い札をたった一枚だけだった。
 そもそも鐵にとって、祓魔にお札はいらないのだ。呪文を唱えるのが面倒くさいときに、ああして札を使って省略する。それでも、もし札を使うことがあるとするのなら、その怪異はきっと、とんでもない大物なのだ。

(……この子の部屋にいるなんて嘘ばっかり。鐵はふっかけるつもりでいるんだわ。最低!!!)

「お金ならいくらかかっても構わないのよ。うちの綾香は嫁入り前ですから、おかしなことがあると困るでしょう。だから、いくらだってお支払いしますわ」
「あのですね、奥様。これは……むぐ!」

 背後から回された手に口を塞がれる。

「おっと鈴音。依頼人に些細まで伝える必要はない。いつも言っているように、真実を伝えることが、つねに正しいとは限らないだろう。……すみませんねえ、うちの部下が。よおく躾けておきますので」
「むぐ、むぐぐ!」
「鈴音。あんまり俺を困らせるなよ」

 鈴音たちのやりとりに、娘はそっと恥ずかしそうに視線を下げた。娘の様子をみて、母は鈴音に「年頃の娘なのに」と困ったような声でつぶやいた。鈴音はハッとして鐵から半歩離れる。

「あなた、うちの子と同い年なのよね」
「……え、ええ」
「その歳でお仕事をされているなんて関心だわ。それもこーんなに危険なお仕事を。私たちには想像もできない世界よ、ねえ綾香」
「ええ、お恥ずかしいです。働く苦労を知らないなんて、世間を知らないことと同じですから。尊敬しますわ」
「滅相もないことです。働いていても知らないことばかりで、まだまだ世間知らずなんです」
「……素直な方」
 娘がぼそっとつぶやく。その言葉に、鈴音は顔を輝かせた。
「ええ。いつでも素直でいるように、それが亡くなった母との約束なんです」
「お母様までいらっしゃらないのね。帰る家もないんだわ。……この世はなんて不平等なのかしら」
「綾香。”すずめさん”のことはそれくらいにして、さて、鐡様つぎは——」

 鐵は奥さんの手から封筒を掠め取った。
「鈴音だよ、ババア」


✴︎


「鈴音。いいかげん機嫌を直せ。悪いのは、名前を間違えたのはあっちの方だろう。なのにどうして、俺が怒られるのか。理不尽だとは思わない?」
「名前を間違えることくらい、誰だってあるわ。どうするのよ。せっかくのお得意さんなのに、もうお仕事がもらえなくなっちゃう。そうしたら、家賃が払えない!」
「それは困った」
「……困ってないでしょう」
「くく。さすが鈴音。なんでもお見通しだな」
「誰が聞いたってわかるわよ」
「誰が聞いたってわかるような嫌味を、おまえはわからないんだからかわいいよ」
「……嫌味? どういうこと?」

 鐵と並んで夜道を戻る。鈴音たちの帰る家は帝都の中心にあった。ここから一時間はかかるだろう。
 立地はいいが、ひどいボロ屋だ。そのうえ近くにはやくざ者の事務所があるからと、相場よりずいぶん安く借りられている。その事務所もうちの少ない得意先のひとつだ。月に一度、呪い返しに呼ばれている。

「そういえば鐵、そのランプはなに?」
「すごいだろう、電気手灯っていうんだよ。電気で灯りがつく、すぐれものだろう」
「それはすごいわね」
「……もっと驚くと思ったのに、つれないな」
「驚いてるわよ。どうせすぐ飽きちゃうのに、こんな高価そうなものを買うなんて信じられない!」
「しょうがないだろ。流行り物が好きなんだから。今日の儲けでツケを払えば問題がない」

 言って、鐵は封筒の厚みを楽しんでいる。
 鈴音の嫌味なんかまったく聞こえていないのだ。

「なあ鈴音、約束してくれるか。どこへも行かないって」
 鐵は、さっぱりした顔で月を見上げている。
「……は? どうしたの急に、そんな気弱なことを言って」

 そういえば鐵の横顔は、いつにも増して寂しそうだ。
 なにか心配ごとでもあるのだろうか。悪い病気が見つかったとか?
 
「仕事がなくなったら、俺のために泣いてくれ」
「……ん?」
「おまえの涙には、怪異がうじゃうじゃ寄ってくる。さながら、おまえは金を産む鶏だ。おまえがいれば、俺たちは一生食いっぱぐれることはない」
 くくく、と鐵はおかしそうに笑っている。
「……信じられない」
 ようするに鐵は、鈴音のことを”商売道具”だと言いたいのだ。
 鈴音の涙には怪異を惹きつける力がある。特殊な霊媒体質なのだ。

「なんてこと。鐵、それは詐欺だわ。涙を利用して仕事を増やそうだなんて、詐欺師のやることだわ!」
「うるさいよ」
 鐵は、人差し指で鈴音の唇を塞いだ。
「夜に騒ぐと、鬼に見つかる」
 妖艶な目をとろりと細め、その口元には三日月のような笑みが浮かんでいる。
 まるで完璧な笑い方は、かえって作り物のようだ。
「……」
 肌が粟立った。目の前にいるのは鐵なのに、人間ではない、幽鬼のように見えたのだ。
 固まっていると、鐵はくすくすと笑って先に歩いて行ってしまう。

「わ、悪いわ。ひとを騙すだなんて、悪いに決まってるでしょう」
「俺はそんなこと、どうでもいいよ。おまえと暮らせればそれで」
「わたしは良くない!」

 鈴音は立ち止まって夜空を見上げる。
 どんな悪事もお天道様がみているのよ。そう教えてくれた母は、天国で鈴音のことをどう思っているのだろう。
 —— 武家の女として、見苦しくない生き方をしなさい。
(……できている、とは思えないわ)
 たぶん鈴音には、地道に働くほうが合っている。鐵の商売が悪とは思わないけれど、どうしても”目に見えないもの”を祓って高額の報酬をもらうやり方には慣れないのだ。星宮の家にいた頃からそうだったけれど。
(たぶん、お母さんだってわたしと同じように考えるはず……)
 行きつ戻りつ、なんども考えては生活のために思い直してきたことだが、鈴音はようやく決意した。

「鐵。……わたし、このお仕事を辞めようと思うの」
 きっぱりと顔をあげてそう言った。