翌朝、画廊の応接室は不自然なほど明るかった。
南向きの窓から光が入り、磨かれたテーブルに反射している。
夜の静けさを意図的に消し去るような明るさだった。
影ができる前に、すべてを見せ切る光。
副代表は戻っていた。
五十代半ば。
背広は体に吸い付くように仕立てられている。
無駄のない姿勢。声は低く、柔らかい。
「昨夜、確認をされたと聞きました」
報告ではない。確認。
村木はその言い回しを、胸の内で反芻する。
机上には書類が整然と並ぶ。
輸送契約書。
インボイス。
パッキングリスト。
開梱時写真。
コンディションレポート。
動産総合保険証券。
重なりも、角のずれもない。
準備された卓上だった。
「問題は確認されませんでした」
村木が言うと、副代表は微笑む。
「でしたら、それでよろしいのでは」
終わりを示す微笑。
「念のため、工程の再確認を希望しております」
副代表の眉が、わずかに動く。
「工程?」
「再梱包、もしくは一時保管の有無です」
ペンを持つ指が止まる。
一拍。
椅子に深く座り直す。
「契約上は直送扱いです」
「承知しております。ですが、物理的移動経路のログを拝見したく」
沈黙。
明るい部屋に、影だけが落ちる。
「村木さん」
副代表は穏やかに言う。
「あなたは保険調査員です。美術物流の専門家ではない」
「その通りです」
「専門業者が温湿度管理を行い、受入時検品も完了している」
「温湿度ログの保存期間は」
「五年です」
「当該期間分を拝見できますか」
一瞬、視線が外れる。
「委託元の同意が必要です」
断定ではない。手続きの壁。
「本件は保険契約に基づく価値査定対象です。
調査条項第二十二条に基づき、事故原因調査の範囲に含まれると考えます」
副代表の指先が、机を軽く叩く。一定のリズム。
感情ではない。測定だ。
「事故は発生していません」
「その可能性を排除するための確認です」
笑みが、薄くなる。
「整っていること自体が疑わしい、と?」
「工程が見えません」
「省略ではありません。効率化です。
国際取引では一般的です」
「保税倉庫からの搬出後、直送であれば、GPS搬送ログが残るはずです」
「残っています」
「提示いただけますか」
「委託元の承諾が必要です」
同じ壁。
菜々緒がソファで脚を組み直す。
「便利だね、承諾」
副代表が視線を向ける。
「あなたは」
「部外者」
「その通りです」
冷静な確認。
「本件は内部監査で十分です」
「社内監査の責任者は」
「私です」
短い。
判断も、責任も、ここで閉じる構造。
村木の胸が、わずかに締まる。
「再確認を継続いたします」
「継続?」
「契約期間内です。評価確定前です」
「画廊に協力義務はありません」
「拒否の事実も、記録いたします」
副代表の視線が、わずかに鋭くなる。
「若いですね、村木さん」
「はい」
「若さは、正義ではない」
「承知しております」
一歩、距離が詰まる。
「疑念は、信用を損ないます」
「信用は、工程の透明性で担保されます」
「理想論だ」
「保険は理想で動きません。記録で動きます」
沈黙。
「どこまで掘るつもりですか」
「物理移動の事実が確認できるまで」
「その先は」
「事実次第です」
副代表はしばらく村木を見つめ、微笑んだ。
「好きにしなさい。ただし」
「はい」
「責任は、あなた個人に帰属します」
「承知しております」
法的脅しではない。
社会的孤立の宣告。
応接室を出る。
廊下の空気は軽い。
だが背中に視線が残る。
外に出ると、菜々緒が小さく息を吐いた。
「きれいに閉じてる」
「はい」
「正しい書類は、厄介だ」
マイクが言った。
「どこから行く」
「搬送ログです」
「直送なら、時間がある」
菜々緒が笑う。
「やっと走れる」
契約と責任の線を越えた。
引き返せる位置では、もうなかった。
南向きの窓から光が入り、磨かれたテーブルに反射している。
夜の静けさを意図的に消し去るような明るさだった。
影ができる前に、すべてを見せ切る光。
副代表は戻っていた。
五十代半ば。
背広は体に吸い付くように仕立てられている。
無駄のない姿勢。声は低く、柔らかい。
「昨夜、確認をされたと聞きました」
報告ではない。確認。
村木はその言い回しを、胸の内で反芻する。
机上には書類が整然と並ぶ。
輸送契約書。
インボイス。
パッキングリスト。
開梱時写真。
コンディションレポート。
動産総合保険証券。
重なりも、角のずれもない。
準備された卓上だった。
「問題は確認されませんでした」
村木が言うと、副代表は微笑む。
「でしたら、それでよろしいのでは」
終わりを示す微笑。
「念のため、工程の再確認を希望しております」
副代表の眉が、わずかに動く。
「工程?」
「再梱包、もしくは一時保管の有無です」
ペンを持つ指が止まる。
一拍。
椅子に深く座り直す。
「契約上は直送扱いです」
「承知しております。ですが、物理的移動経路のログを拝見したく」
沈黙。
明るい部屋に、影だけが落ちる。
「村木さん」
副代表は穏やかに言う。
「あなたは保険調査員です。美術物流の専門家ではない」
「その通りです」
「専門業者が温湿度管理を行い、受入時検品も完了している」
「温湿度ログの保存期間は」
「五年です」
「当該期間分を拝見できますか」
一瞬、視線が外れる。
「委託元の同意が必要です」
断定ではない。手続きの壁。
「本件は保険契約に基づく価値査定対象です。
調査条項第二十二条に基づき、事故原因調査の範囲に含まれると考えます」
副代表の指先が、机を軽く叩く。一定のリズム。
感情ではない。測定だ。
「事故は発生していません」
「その可能性を排除するための確認です」
笑みが、薄くなる。
「整っていること自体が疑わしい、と?」
「工程が見えません」
「省略ではありません。効率化です。
国際取引では一般的です」
「保税倉庫からの搬出後、直送であれば、GPS搬送ログが残るはずです」
「残っています」
「提示いただけますか」
「委託元の承諾が必要です」
同じ壁。
菜々緒がソファで脚を組み直す。
「便利だね、承諾」
副代表が視線を向ける。
「あなたは」
「部外者」
「その通りです」
冷静な確認。
「本件は内部監査で十分です」
「社内監査の責任者は」
「私です」
短い。
判断も、責任も、ここで閉じる構造。
村木の胸が、わずかに締まる。
「再確認を継続いたします」
「継続?」
「契約期間内です。評価確定前です」
「画廊に協力義務はありません」
「拒否の事実も、記録いたします」
副代表の視線が、わずかに鋭くなる。
「若いですね、村木さん」
「はい」
「若さは、正義ではない」
「承知しております」
一歩、距離が詰まる。
「疑念は、信用を損ないます」
「信用は、工程の透明性で担保されます」
「理想論だ」
「保険は理想で動きません。記録で動きます」
沈黙。
「どこまで掘るつもりですか」
「物理移動の事実が確認できるまで」
「その先は」
「事実次第です」
副代表はしばらく村木を見つめ、微笑んだ。
「好きにしなさい。ただし」
「はい」
「責任は、あなた個人に帰属します」
「承知しております」
法的脅しではない。
社会的孤立の宣告。
応接室を出る。
廊下の空気は軽い。
だが背中に視線が残る。
外に出ると、菜々緒が小さく息を吐いた。
「きれいに閉じてる」
「はい」
「正しい書類は、厄介だ」
マイクが言った。
「どこから行く」
「搬送ログです」
「直送なら、時間がある」
菜々緒が笑う。
「やっと走れる」
契約と責任の線を越えた。
引き返せる位置では、もうなかった。


