春斗の目には、全てがスローモーションで見えた。
左側から祠に向かった燈矢が心愛の元に辿り着き、抱き起こして御札を持った手を首の周りで振り回している。その様子を目にした春斗は心の中で呟く―――――大丈夫。ちゃんと、山姫と繋がっていた絆は切れたよ。
目を開いた心愛が春斗の方を向き、その小さな手を伸ばした。
春斗は安堵して笑みを浮かべる。
大きく目を見開く燈矢。
そんな燈矢に、春斗は「ごめん」と告げる。
岩肌の向こう側に視界いっぱいの緑が広がっている。
眼下には何メートルあるのか分からない深い谷。
春斗は思う。
意外にも落ち着いている。
不思議と後悔はない。
ボクは山彦にはならないな、と苦笑する。
誰かと一緒にいることがつらかった。
他人の思いを耳にすることが悲しかった。
自分の心を覗かれることが恐かった。
大切な他人ができることが信じられなかった。
でも、2人でいると楽しかったな。
ああ、もっと一緒にいたかったな。
次の瞬間、春斗の身体が静止し、祠の方向へと弾き飛ばされた。
春斗が驚いて振り返ると、そこには今にも泣き出しそうな山姫の姿があった。
この時になって、春斗はようやく気が付いた。
山姫は純粋に滑落した者を、遭難した者を助けようとしていたのだ。自分の夫と子供を助けることができなかったため、それを悔いて、そんな自分自身を赦すことができかなくて、この地に止まってしまった。無償の行為だった。ただ、目の前の人を救いたかった。代償など求めてはいなかったのだ。ただそれだけの思いを、生き残った者が崇めた。供物を捧げ、祠を建てて祀り、贄として人柱を立てた。山姫は子供を守りたかっただけなのだろう。供物にされる前に、その子供を救いたかっただけなのだ。それが、どんなに自分勝手で、次の悲劇を生むことになるとも知らずに。
時間が早く動き始める。
春斗の身体が石段の真上に落下する。
それを予測した燈矢が、心愛を祠の前に残したまま駆け出し、春斗を受け止めようとジャンプした。どうにか受け止めることに成功したものの、2人は絡み合ったまま階段の下まで転がり落ちた。それを見た心愛が、慌てて2人の元へと階段を駆け下りる。
「いたた・・・」
身体を起こしながら、春斗が腰を押さえる。
「どうにか無事みたいだな」
怪我をしていないことを確認しながら、燈矢が身体を起こした。
そこで、お互いの姿を目にした2人が動きを止める。
「ハ、ハハハ・・・・・」
「マジか」
次の瞬間、同時に2人が大声を上げて笑った。
そこに心愛が駆け寄ってくる。そして、2人の様子を目にして首を傾げた。
「お兄ちゃん達が、元に戻ってる!!」
気が付くと、山姫は姿を消していた。
3人は祠を振り返ることなく山を下りる。心愛は燈矢におぶられて、終始ご機嫌だった。それを見ていた春斗は、逆にご機嫌斜めだった。下山する途中、薮の中を歩いている時に燈矢の父親と遭遇した。燈矢の背中に張り付く心愛を目にした瞬間、燈矢ごと心愛を抱き締めて嗚咽を漏らした。
登山口には山姫について話しをしてくれた住職がいたが、心愛の姿を確認して狼狽えるほど驚いていた。説明はしたものの、神隠しについては半信半疑だったのだろう。
4人が下山した時には既に夕暮れが近付いていたため、春斗と燈矢の2人は寺に泊めさせてもらうことにし、明日の朝バイクで変えることになった。心愛は公共交通機関で向かっている千鶴と一緒に父親の宿舎に泊まり、明日、自動車で帰宅すことになったようだ。
寺の本堂にある10畳以上あるだだっ広い部屋で、春斗と燈矢は布団を並べて寝転がっている。やけに高い天井を見上げ、2人とも何も喋らない。入れ替わってから2週間程度。短い時間ではあるが、2人はずっと一緒にいたような感覚だった。それが、元の身体に戻った今は、なぜか遠くに感じている。元々、入れ替わりが起きるまでは何の関係も無かった。2人でいることはもちろん、言葉を交わすことすら無かった。「孤高の2人」などと呼ばれ、対極の位置関係にある存在として対比されることも多かった。元に戻った今、もう関わりを持つこともないだろう。
2人は疲れていたこともあり、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
翌朝、言葉少なに朝食を済ませた2人は帰宅するためにバイクを入れ替える。
そのまま、春斗が前を走る形で家路に着いた。
お互いが居心地の悪さを感じながらも、阿吽の呼吸で給油するガソリンスタンドに立ち寄る。給油量も知っているし、燃費も理解している。エンジンのクセも分かっているし、ブレーキングの位置も覚えている。もう、相棒なのだ。一緒に走ってきた。側にいることが当たり前になっていた。
6時間後、無事に大道寺に到着した。
2台が同時に門の前に止まり、しばらく沈黙の時間が流れる。
もうしばらく、沈黙の時間が流れた。
少し長めの、沈黙の時間が流れた。
だいぶ長い感じで、沈黙の時間が流れた。
疑問を覚えるほどの、沈黙の時間が流れた。
「燈矢、あとで参考書を取りに行くから」
先に春斗が折れた。
その言葉を耳にした燈矢が満面の笑みを浮かべた。
「春斗、仕方ないから待っててやるよ」
左側から祠に向かった燈矢が心愛の元に辿り着き、抱き起こして御札を持った手を首の周りで振り回している。その様子を目にした春斗は心の中で呟く―――――大丈夫。ちゃんと、山姫と繋がっていた絆は切れたよ。
目を開いた心愛が春斗の方を向き、その小さな手を伸ばした。
春斗は安堵して笑みを浮かべる。
大きく目を見開く燈矢。
そんな燈矢に、春斗は「ごめん」と告げる。
岩肌の向こう側に視界いっぱいの緑が広がっている。
眼下には何メートルあるのか分からない深い谷。
春斗は思う。
意外にも落ち着いている。
不思議と後悔はない。
ボクは山彦にはならないな、と苦笑する。
誰かと一緒にいることがつらかった。
他人の思いを耳にすることが悲しかった。
自分の心を覗かれることが恐かった。
大切な他人ができることが信じられなかった。
でも、2人でいると楽しかったな。
ああ、もっと一緒にいたかったな。
次の瞬間、春斗の身体が静止し、祠の方向へと弾き飛ばされた。
春斗が驚いて振り返ると、そこには今にも泣き出しそうな山姫の姿があった。
この時になって、春斗はようやく気が付いた。
山姫は純粋に滑落した者を、遭難した者を助けようとしていたのだ。自分の夫と子供を助けることができなかったため、それを悔いて、そんな自分自身を赦すことができかなくて、この地に止まってしまった。無償の行為だった。ただ、目の前の人を救いたかった。代償など求めてはいなかったのだ。ただそれだけの思いを、生き残った者が崇めた。供物を捧げ、祠を建てて祀り、贄として人柱を立てた。山姫は子供を守りたかっただけなのだろう。供物にされる前に、その子供を救いたかっただけなのだ。それが、どんなに自分勝手で、次の悲劇を生むことになるとも知らずに。
時間が早く動き始める。
春斗の身体が石段の真上に落下する。
それを予測した燈矢が、心愛を祠の前に残したまま駆け出し、春斗を受け止めようとジャンプした。どうにか受け止めることに成功したものの、2人は絡み合ったまま階段の下まで転がり落ちた。それを見た心愛が、慌てて2人の元へと階段を駆け下りる。
「いたた・・・」
身体を起こしながら、春斗が腰を押さえる。
「どうにか無事みたいだな」
怪我をしていないことを確認しながら、燈矢が身体を起こした。
そこで、お互いの姿を目にした2人が動きを止める。
「ハ、ハハハ・・・・・」
「マジか」
次の瞬間、同時に2人が大声を上げて笑った。
そこに心愛が駆け寄ってくる。そして、2人の様子を目にして首を傾げた。
「お兄ちゃん達が、元に戻ってる!!」
気が付くと、山姫は姿を消していた。
3人は祠を振り返ることなく山を下りる。心愛は燈矢におぶられて、終始ご機嫌だった。それを見ていた春斗は、逆にご機嫌斜めだった。下山する途中、薮の中を歩いている時に燈矢の父親と遭遇した。燈矢の背中に張り付く心愛を目にした瞬間、燈矢ごと心愛を抱き締めて嗚咽を漏らした。
登山口には山姫について話しをしてくれた住職がいたが、心愛の姿を確認して狼狽えるほど驚いていた。説明はしたものの、神隠しについては半信半疑だったのだろう。
4人が下山した時には既に夕暮れが近付いていたため、春斗と燈矢の2人は寺に泊めさせてもらうことにし、明日の朝バイクで変えることになった。心愛は公共交通機関で向かっている千鶴と一緒に父親の宿舎に泊まり、明日、自動車で帰宅すことになったようだ。
寺の本堂にある10畳以上あるだだっ広い部屋で、春斗と燈矢は布団を並べて寝転がっている。やけに高い天井を見上げ、2人とも何も喋らない。入れ替わってから2週間程度。短い時間ではあるが、2人はずっと一緒にいたような感覚だった。それが、元の身体に戻った今は、なぜか遠くに感じている。元々、入れ替わりが起きるまでは何の関係も無かった。2人でいることはもちろん、言葉を交わすことすら無かった。「孤高の2人」などと呼ばれ、対極の位置関係にある存在として対比されることも多かった。元に戻った今、もう関わりを持つこともないだろう。
2人は疲れていたこともあり、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
翌朝、言葉少なに朝食を済ませた2人は帰宅するためにバイクを入れ替える。
そのまま、春斗が前を走る形で家路に着いた。
お互いが居心地の悪さを感じながらも、阿吽の呼吸で給油するガソリンスタンドに立ち寄る。給油量も知っているし、燃費も理解している。エンジンのクセも分かっているし、ブレーキングの位置も覚えている。もう、相棒なのだ。一緒に走ってきた。側にいることが当たり前になっていた。
6時間後、無事に大道寺に到着した。
2台が同時に門の前に止まり、しばらく沈黙の時間が流れる。
もうしばらく、沈黙の時間が流れた。
少し長めの、沈黙の時間が流れた。
だいぶ長い感じで、沈黙の時間が流れた。
疑問を覚えるほどの、沈黙の時間が流れた。
「燈矢、あとで参考書を取りに行くから」
先に春斗が折れた。
その言葉を耳にした燈矢が満面の笑みを浮かべた。
「春斗、仕方ないから待っててやるよ」



